MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



僕の通っている大学院のMBAはイタリア人クラスとインターナショナルクラスが分かれている。

僕らのクラスは21人とこじんまりしているのだが、出身国で見ると更に小さくて11カ国しかない(だったっけ?>哲雄さん?)。そしてその国の11カ国の出身者を中心としてイタリア人クラスの学生と混ざって、その国の情報や社会システムなどをプレゼンすると言うアクティビティーがある。カントリープレゼンテーションと呼ばれているアクティビティーだ。

 *先日イタリア人にキレたのはそのプレゼンであるw…。

まぁ、今までのいくつかのプレゼンを見てて、どう考えても我々と張り合えるレベルのは1つか2つ(おい、自分で言うな…)。そして昨日金曜のアメリカのプレゼンは一部を除いて良かったと思う。

JosephとShannonの二人のアメリカ人がリードしてプレゼンをしたのであるが、Shannonの姿勢には特に感心させられた。普段、アメリカ人とは思えない程物静かで、授業中自ら発言することなど殆どないと言う女性(ステレオタイプかも知れないがシャイで喋らないアメリカ人女性って何か変わってる...笑)。が、プレゼン前のランチタイム、個別ブースでシナリオを暗記し、何回も繰り返し声に出して練習する姿は決して他のチームに見られない姿であった。かなりポイントアップ。

そして最後、Josephがアメリカ人は本来こうあるべき、と言う意味合いをこめて締めをしたのだが、最後にスライドに出てきたフレーズが以下のものだった:

“The test of a first-rate intelligence is the ability to hold two opposed ideas in the mind without losing the ability to function”

これは考えさせられた。と言うか常日頃から何か戦略などを考える際にぼんやりと思っていたことをピタっと言い当てた言葉だと思う。

イタリア人には勿論ない考え方なのだが、多くの日本人、いや、サービス業に従事する人間が忘れてはいけない事だと思う。先日の経済のプレゼンの後のBlogにも書いたが、プレゼンなのに喋って終わりとか、プレゼン内の何かのフレーズなどに対し直感だけでこれは好きじゃない、、、などと文句だけ言って相手に何を伝えるべきかと言う事を考えない人たちはこの言葉から充分過ぎる程反省すべきであると思う。

勿論自分も、である。こちらに来てからと言うものの固定観念を拭い去る良い経験をしている。瑣末なことかも知れないが、例えばシャワーを浴びたいと思っても、電熱器?のスイッチをオンにしてから20-30分は待たなければならず、またお湯は10分もすると水になってしまうので、チャキチャキとシャワーを浴びなければならない。日本の僕の自宅なら24時間シャワー浴びっ放しでも熱いお湯が出るが、こちらイタリアではそうではない。シャワーはお湯が出るもの、と言うようなこと、固定観念ではないかも知れないが、物事当たり前だと思っていることがそうではないことが余りにも多く、今後何かを考える際にステレオタイプを先ず除去して、と言う思考性が身に付きつつあるなぁ、と思う今日この頃。。。



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