おいらは高校1年生の16歳の時に東京に転校をしてきた。
1990年の4月に高校2年生から転入希望の人の推定総数は200人弱。。受入可能の高校は公立で5校、私立で2校だったと記憶している。日程の関係上全ての高校は受けられず、公立3校、私立2校がマックスだった。募集要項に寄るとほぼ全ての高校で大体平均すると2人ずつの受入定員となっている。理屈で言えば7校x2人=14人と言うかーなり狭き門…。
合格率7%の高校受験って一体、と当時は完全に親を恨んだ。。。
だってあれだけ中学時代三年間野球やりながらほぼずっと学年でトップ10前後に入る成績で頑張って入試を勝ち抜いたのに、だ。二年連続して高校受験をさせられるとは思いもよらず。名古屋の高校受験は今は知らないが、当時は学校群と言うのがあって上から序列を付けられた高校の中で、1位、2位とか5位、6位とか連続したところを希望して2回公立高校を受験する習わしだ。当日の受験に加えて内申点が異様に加味されるシステムだったが、おいらの通っていた中学校は名古屋市内の中学校が参加する中学統一テストでずーーーーーーーーっとトップ3以内に入り続けるような中学校で、必然的に相対評価で決められる内申点を取るのは非常に難しい中学校だった。多分他の中学校に行ってたら完全にオール5とかだったりするような奴が4と5が疎らになる、か下手したらオール4くらいになってしまう。9科目で45点満点だが40点とか取るのが至難の業、の中学校だったくらい。
そんな中学校を卒業し頑張って高校を受験した訳だ。。
うちの親は二人とも持ち上がりの私立高校出身だから名古屋の公立高校のシステムなんぞ分かる訳ないんだが、無常にも親の転勤で転校。寮とかがあれば良いのだが、そんな公立高校は名古屋の中にあるのか、って言う状況で高校1年生が終わる迄は瀬戸の叔父の家に下宿をしていたんだが、1年生終了時点で東京に。好きなサッカーもその時点で辞めたしね。
ある意味おいらの人生のターニングポイントだったなぁ。。。
初日に転入試験を受けた高校で名古屋の時と同じ高校の制服を見てビックリ。しかも二人もいた。(結論を言うと、色々と受けて最終的に転校した先も同じになったのだがw。。)翌日、また違う会場の高校で転入試験を受けたりすると、五十音順で受験票が配布されるので隣とか近くに座るメンツは被る。昨日までは知らない人でも全く違う場所で二日、三日連続で会ったりすると流石に休み時間に話をしたりする。どこから来たのか、とかもし合格しなかった場合どうするのか、とかの不安を共有したり…。結局おいらは5戦3勝。つまり3つの高校の合格をもらった。ただでさえ14人しか枠がない状態で一人で3つも枠を取った…。訳ではなく、実は大体公立高校は6-7人の合格を出したらしい。現においらが行くことになった高校には同時に6人転入した。ま、それでも尚、5校x6人で30人。到底1990年の4月から東京に転校を希望していた200人近くの人の希望は満たされない状況だった。。残りの人たちはどうしたんだろうか…。制度的には一度元々いた高校を退学してからしか転入試験を受けられないと言うことだったけど、ダメだったら復学と言うことになったんだろうか。。。
入った高校は都立の広尾高校。
渋谷からも恵比寿からも徒歩圏内。しかも私服(今は制服らしいけど…)。当時はチーマー全盛期。ロンゲにベルボトムジーンズにブーツ履いて学校に来る人が大勢いる。ブーツを脱ぎたくない奴が学校指定のサンダルのフラップを切ってブーツ履いたまま履けるようにガムテープで大きくして学校内を歩いている…。隣に國學院大學があり、昼はそこの学食に食べに行ったりする…。そこにはフローズンダイキリとかが売られており、、、当時は土曜は半ドンで午前中は授業があったが午後渋谷に帰る途中でランチを食べてそのままJRAを見ながら、、、私服なので高校生かどうかも分からず。。。もう何から何までカルチャーギャップ。西の名古屋、東の千葉と呼ばれるくらい時代錯誤の校則で学生を雁字搦めにするのが当たり前だったので、ホントにビックリした。
それから20年弱の月日が流れ…。
高校卒業以来、2浪した河合塾で会った友達が東京での一番古い友だちだったのが、mixiで卒業後18年ぶりに友達に会った。その彼からの繋がりで同級生を紹介され、更にその彼が所属していた野球部の2学年下の後輩(現Nikeのブランドマネージャー)、そして松坂の一つ下の世代で98年優勝時もセカンドでレギュラーだった人と4人で会食。
いやぁ有意義な会食だった。
非常に楽しく、また仕事上繋がりそうな関係値を持てた。こんな有益な出会いのあった会食は久々。高校の繋がりで、ある意味仕事とは関係なく友人としても楽しそうな関係になりそうな人との出会いがあったことは非常に感謝をしたい。今となっては東京に引越しをし、かーーーーーーーーーーーーなり大変な思いをして転校したこともそれなりに納得をしている。その後のおいらの人生は全てそこから始まっているとも言えるし。そうじゃないとICUには行ってないだろうし、色んな人とも出会ってないし。ひょっとしたらミラノにも行ってないかも知れないし。
人生万事塞翁が馬。。
別に故事の馬のように骨折はしていないが、躓いたり、転んだりしたとしてもそれを不運とは思わない。だからと言ってそれを神様の思し召しとも思わない。それだけは絶対にない。おいらの人生で神が人生を導いたなんて思うことは今までも今後も絶対にない。人生は自分の努力次第。そしてコミュニケーション次第。マメに連絡を取ったり損得勘定を考えずに人と接したりすることから生まれる道筋がある筈だ。
今回はまさにそんな出会だったと思うね。設定をしてくれたKくんに感謝。
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