私的に今回の旅の目玉でもあるこのモアイ像のある島。この名前が付けられたのは1722年4月5日。キリスト教の復活祭の日曜日に「発見」されたことが由来だそうです。
もともとこの名前をつけられる1300年以上も前からこの島に人々は住んでいて、この自分たちの島のことを「ラパヌイ=大きい島・大地」と呼んでいたそうです。
今回の私の初めての寄港地ラスパルマス。「グラン・カナリア」も大きな島という意味があると聞いた。私は大きな島と言われるところに縁があるのかもしれない・・・。大地が私を呼んでいる~~~^^なんてね。
ラパヌイもハワイ同様に外国人の来島によって病気が持ち込まれて2万人はいたとされるという島民の数が一時は111人にまで減少してしまったらしい。
ひどい話だ。つい先日3日の出来事だそうですが(2010年12月3日のことね)、チリ政府と島民との間で土地を巡る紛争があったそうです。そのおかげで私のとっていたツアーがなくなって内容が変更になった。博物館が占拠されてしまってちょっと危険な状態になっているという・・・。もともとは彼らの土地なのに力ずくで攻撃して奪い取ろうとしているらしいです。
長きにわたってチリ政府側はさまざまな約束を島民と交わしているらしいのですが、それらが守られることがいままでになかったそうです。島の人々はもう堪忍袋の緒が切れています。政府の言うことを信じる者はいません。
土地の所有を巡ってハワイと同じことがまたここでも繰り返されている・・・。なぜ、後から入ってきたものがそこの文化や土地を奪い取り主導権を握ろうとするんだろう・・・。なぜ和を持って共存することができないんだろう・・・?もともといるものを尊ぶ気持ちを持つことはできないのでしょうか?悲しい話です。
今、ラパヌイの青年マリオ・トゥキさん(24歳?)が水先案内人としてエクアドルから乗船しています。彼はラパヌイ生まれ、今はチリに住んでいるそうです。ラパヌイのダンスのワークショップをしたり、今、島で起こっていることを話して聞かせてくれたりしています。いよいよ26日に到着する予定のする予定のラパヌイ。果たして私たちは無事に上陸できるのでしょうか?
彼が乗船してラパヌイのダンスをワークしてくれた。若者たちは興味深そうにワークを受けていた。(私も1回目は出てみた)
ワーク翌日私がオープンバーの一角でPC作業をしていたところマリオさんが休憩しに入ってきた。髪の毛を下してサングラスをはずしていたので彼だとはすぐに気が付かなかった。(英語の講師も外国の方が乗船しているので)
チラと目が合うとこちらにやってきて手を差し伸べた。握手した。「トゥキです。」「トゥキ?・・・あ~マリオ・トゥキさん?ラパヌイの?」そして私の髪に刺さっているクムマイカからもらったサメの歯の髪飾りを指さして「どこから来たの?」「これ?これはハワイの友人が作ったの。で、くれたの。私は日本から。今回はハワイのフラを教えに来たの。」「ハワイに住んでる?」「住んでない。でもハワイにもよく行くけど・・・」「・・・なっとく。明日のダンスのワークにも来てね!」と互いにあいさつを交わしたのでした。
なんとなく同類の感じがしたのでしょうか イケメンのラパヌイ人。ラパヌイダンスはハカのようなダンスでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます