桑部城跡
2006-05-28 | 城

桑部城跡(桑部北城・南城)
桑名市桑部字城下
築城者 毛利次郎左衛門・大儀須若狭守
永禄11年(1568)織田信長により滅ぼされる
町屋川南岸に舌状に張り出した標高50m前後の 低丘陵地の先端部に築かれてた。
城は、2つの大規模な空堀によって3つの主な郭に分かれ、北の郭が桑部北城、中央の郭が桑部南城と呼ばれていた。
北城は一辺約50mのほぼ菱形をした郭、南城は約80m×40mの長方形状の郭
南城の南には、現在は稲荷社となっている約40m×20mの長方形の平坦地がつくられ、城域内の最高所の郭となっていた。
桑部城跡には弥生時代にも遺跡があったようです。
現在は道路が通り破壊されている、城内には城山観音堂が残る。
城山観音堂(最も高いところにあります)

観音堂の北側は何も残っていないようです!

桑部小学校から城跡方面をみる(土の色が見えます!)

善徳寺を通り神社方面に行って見ます!

延喜式内 長谷神社
(桑名郡十五座の1つで、一千年以上の歴史のある神社)

桑名市桑部字城下
築城者 毛利次郎左衛門・大儀須若狭守
永禄11年(1568)織田信長により滅ぼされる
町屋川南岸に舌状に張り出した標高50m前後の 低丘陵地の先端部に築かれてた。
城は、2つの大規模な空堀によって3つの主な郭に分かれ、北の郭が桑部北城、中央の郭が桑部南城と呼ばれていた。
北城は一辺約50mのほぼ菱形をした郭、南城は約80m×40mの長方形状の郭
南城の南には、現在は稲荷社となっている約40m×20mの長方形の平坦地がつくられ、城域内の最高所の郭となっていた。
桑部城跡には弥生時代にも遺跡があったようです。
現在は道路が通り破壊されている、城内には城山観音堂が残る。
城山観音堂(最も高いところにあります)

観音堂の北側は何も残っていないようです!

桑部小学校から城跡方面をみる(土の色が見えます!)

善徳寺を通り神社方面に行って見ます!

延喜式内 長谷神社
(桑名郡十五座の1つで、一千年以上の歴史のある神社)

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