大学で後期の講義がはじまった。後期と言っても現在はセメスター制が定番なので、1回目はガイダンスである。
私が学生だったころの印象と合わせて考えると、1回目のガイダンスというものは、まだ講義をまともに受けるテンションでもない。
だから本当に概要だけを、しかもグダグダと喋らずに90分の持ち時間のうち30~40分程度でサクっと終わる、というのが美しいガイダンスのスタイルだと勝手に思っている。そして、そうなるように実践を試みている。
そういうわけで1回生の講義でガイダンスを行った。上記のようなガイダンスでは、特に大きく踏み込んだ内容を行うわけではない。したがって今日は出席を採るのをやめた。
「じゃ、今日はこれで終わりましょう。もう出席は今日は採らないので。」というと、多くの学生が残念そうな表情をしている。
「出席、採ったほうがいいの?」と訊くと、うんうんと餌を欲しがる犬のように、何人かの学生がうなずく。
しかし、もう面倒なので、「ま、いいや、今日は。」と返すと、諦め顔で教室を後にする。
学生の心情を察してみるに、おそらく、せっかく早起きして1講目・2講目から来たのだから、出席カードを出さないと割に合わないということであろう。
つまりは、講義への出席確認は早起きへの、または「わざわざ」大学に来たことへの対価となっている。
いつの頃からか、私が大学で講義をするようになってから、成績の内訳を明示するという風潮が広まった。講義への参加度合いを客観的にみるには悪いことではないが、私は半ばどうでもよいと思っている。
極端なことをいえば、一度も出席しなくても試験や課題で講義のテーマをじゅうぶん理解した結果を返してくれば、単位は認めてよいものだと思う。大学の講義は学術の考え方や方法論を伝授するものだからである。
それに関連して、時々、学生が「けっこう休んだんですけど、あと何回休んでも大丈夫ですか?」と質問してくるときがある。
自分に課す義務感のポイントがすっかりずれている。まだ「単位取りゲーム」の範疇で自分で見積もるのはわかるが、教員に質問する性質のことではないだろう。
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私が学生だったころの印象と合わせて考えると、1回目のガイダンスというものは、まだ講義をまともに受けるテンションでもない。
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そういうわけで1回生の講義でガイダンスを行った。上記のようなガイダンスでは、特に大きく踏み込んだ内容を行うわけではない。したがって今日は出席を採るのをやめた。
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「出席、採ったほうがいいの?」と訊くと、うんうんと餌を欲しがる犬のように、何人かの学生がうなずく。
しかし、もう面倒なので、「ま、いいや、今日は。」と返すと、諦め顔で教室を後にする。
学生の心情を察してみるに、おそらく、せっかく早起きして1講目・2講目から来たのだから、出席カードを出さないと割に合わないということであろう。
つまりは、講義への出席確認は早起きへの、または「わざわざ」大学に来たことへの対価となっている。
いつの頃からか、私が大学で講義をするようになってから、成績の内訳を明示するという風潮が広まった。講義への参加度合いを客観的にみるには悪いことではないが、私は半ばどうでもよいと思っている。
極端なことをいえば、一度も出席しなくても試験や課題で講義のテーマをじゅうぶん理解した結果を返してくれば、単位は認めてよいものだと思う。大学の講義は学術の考え方や方法論を伝授するものだからである。
それに関連して、時々、学生が「けっこう休んだんですけど、あと何回休んでも大丈夫ですか?」と質問してくるときがある。
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ま、学生に限らずどんな集団でもピンキリいるからねぇ。
コメントありがとうございます。
全体的に、教育・学習の方法や成長過程での経験値の積み方が、「こなしさえすればクリアできる」と思い込んでいる子どもが多いような気がする昨今です。
正直、危惧しています。