カサカサの感想ハダで備忘を保てるか

日々の感想、音楽の話、研究と教育を素材に、
作文の練習を兼ね備えた一皿。
かしこまった文体風のソースを添えて。

文字スペース

2011-08-09 00:16:29 | 研究と教育
とにかくPCの上で文章を書くようになった。

仕事の行き掛かりでiPadも持ち歩くようになった。

iPadは本当に観ることに特化したアイテムである。私に言わせれば何もクリエイトできない。何かを思いつく役には立つかも知れないが、それ自体、体現してはくれない。

「仕事の行き掛かり」上とは言え、論文は書けない。

「仕事の行き掛かり」上、役に立っているのは、PCで作成した文書をインターネットを介してiPadに移して持ち運び、現場で確認する、このくらいである。

その他どうでもいいアプリケーションなど、楽しいものはあるが、何しろ、観るためのものである。

WebサイトやPDFの視認性はPCの比ではない。しかし、文章は書けない。テキスト入力によってメモも書けるが、画面上のキーボードが遣いにくいと思う人が多いのか、指で直接描いてしまう「手書き」メモのアプリもかなりたくさんある。

私には「手書き」も使いにくい。

最近、紙に手書きしたメモをカメラで撮影して、見やすい画像ファイルにしてくれるというアプリも出たようで、何となく、それでいいような気がする。

そういえば、iPadを持ってtwitter用のアプリを使ってから、twitterを見る頻度が増えた。書き込みも増えたような気がする。

PCだけの時は、PCを開かない限り見てないし、そのときに何かを思いつかなければツイートしない。携帯電話からもアクセスしているが、とても暇か余程ツイートしたいとき以外に顧みることはなかった。

現場で喋るより移動する時間のほうが長いことが多いから、朝見て次見るのが夜半というパターンも珍しくなかった。

こうした経験で、今度携帯電話を機種変更する際にはスマートフォンにしようかとも考えるようになった。

そのtwitterで、あまりに多くのユーザーをフォローすると、間が空いて閲覧するときに未読のものが多すぎて嫌になる。フォローされている数はともかく、何千ものフォローをしている一般のユーザーはどうしているのだろうか。

時々、一つの話を複数のツイートに分けて、たくさん書いてある時がある。これも読むのが嫌になる。

NHKの科学文化部が「明日に向けて」という、1日の出来事をまとめる連続ツイートがあるが、一々のツイートが1つのニュースなので、間が空いても読み直せる。

1つのツイートは140字以内にまとまっているから、たくさんの短冊を読めるのであって、それを複数に分けて、神経衰弱して読めというのは、コンテンツの使い方として「利用」になっているとは思われない。

こうなると、1つの短冊140字以内にまとめるという技術が、利用者の腕の見せ所である。それ以上の文章になるのであれば、ブログのような広いスペースに推敲を重ねて、大作を世に問えばよい。

日本人は五七五の17文字の俳句や、五七五七七の31文字の短歌の形式を知っている。何ならその少ない文字数で、世界観や感情を表現しきる文芸を誇ってさえいる。

にもかかわらず、twitterでの表現・まとめることが苦手であるとすると、日本人の文化は知識のみ継承され、精神も技術も継承できていないことを示すのではないかという気がする。

長い内容を退屈させずに140字以内に端的にまとめる。新しい作文教育にも使えるような気がする。一言では意味がない。

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