現在の下松市辺りはその昔、青柳浦と呼ばれていました
595年(推古3年)9月18日、青柳浦の老松に大きな星が降りかかり七日七夜の間、目もくらむばかりに光り輝きました
その時、占いをする人に神かがりして
「われは北辰(ほくしん)の精である。今より3年の後、異国の太子が来朝される。その守護の為、ここに天降ったのである。」
というお告げがありました
その3年後、お告げどおり百済から聖王第3皇子の琳聖太子が当地を訪れたそうです
この霊験に民衆が神霊を桂木山に祀りました
北辰の精が松の木に降ったというので、それまでの青柳浦を「降松」と改め その後、今の「下松」と書くようになったといわれています
その降松神社は603年(推古11年)、高鹿垣山に遷座
さらに609年(推古17年)、遷座して現在地である鷲頭山に上宮と中宮を建立
琳聖太子の後裔である大内氏の庇護を受けたました
のち大内弘世が下宮を建立し、七坊を置きました
大内氏の滅亡後は毛利家の崇敬を受け1608年(慶長13年)、火災により上宮と中宮が中宮本殿を残して焼失
明治初年、神仏分離が行われ、別当七坊が廃絶となり唯一閼伽井坊が転出して鷲頭寺となりました
1870年(明治3年)、降松神社と改称され現在に至っています
先週ですがその降松神社へ久々に行ってきました
一番ふもとにある「若宮」の入口
階段を上がっていくと本殿が現れます
ここから「中宮」「上宮」を目指します
徒歩で40分くらいとの事ですが以前軽トラが上がっているのを見たので~
アドレスで山道爆走!!
といきたいとこですが既にナビにも無いような道で未舗装、しかも前日に降った雨で滑るしぬかるむし・・・
道も細いしハイリフトのジムニーくらいしか上がれないんじゃないでしょうか?(汗)
突然現れる仁王門
バイクはここまで
階段を登り左に曲がった先に中宮があります
こんな山の中に現れる立派な中宮
なんかちょっと不思議な感じです
「是ヨリ上宮三丁余リ」
一丁(町)は約109メートルだそうだから330メートル弱!?
ちょっと分かりづらいですが中宮本殿裏から道があります
低い鳥居があるので迷う事はありませんが登山道ですね
ふぅ~ 上宮到着
前に来たのは何年前だったかな?
建て替えた直後で白木に輝く銅版の屋根が初々しい感じでしたがすっかりお山に溶け込んで風格出てます
たまにはご近所も新鮮でいいですね
なお、下松の名の由来には諸説あり青柳浦は潮待ちの港でもあったので百済と交易する港の意味の「百済津」(くだらつ)に由来するという説もあります
青柳ういろーですか?d(^^:)
でも、格式ある神社の様で?社の造りが
出雲大社に似てるような気がします。
お寺から神社に代わって降松神社に
なったのね~ 勉強になります。
「白・黒・抹茶!」
と投げかけると
「小豆・コーヒー・柚子・桜!!」
って答えてくるっていうアレですか?w((´ω`))w
人口5万人の街にこれほど広大な敷地を構える神社も少ないかと~
そういえば「鈴鹿」という地名も何だか凄い由来がありそうですね!
で、鈴鹿だってd(--:)
猫に鈴を付けるという名案は出たものの誰が付けるかでもめる鼠の話の「鹿バージョン」じゃないですよね・・・"<(××)>"
昔々 道に迷った旅の僧侶が、
首に鈴を付けた鹿に案内されて
無事に山道を抜けられたので鈴鹿と
地名が付いたとか?d(--;)
それしかないわね!
しかたないけど、しかとみた訳でも
ないし・・・
なんて言ったらシカられますか?
シカトせずちゃんと教えてくれてありがとうございます
うれシカったです~(σ≧▽≦)σ