昔を懐かしむって訳ではないけど
時々、ここ書き出すようになったら蘇ることがある。
母を遠距離介護していた頃のこと。
母と何気ない会話をしていた。
行商のお兄さんの話だった。
母の言葉に、「コニセ」という言葉が出た。
「コニセ」???
鹿児島弁で、ハンサムな男性のこと、「ヨカニセ」という。
「よかにせどん」とかいう。
「コニセ」を聞いて、私は、書きとめた。
田舎関係のことをメモする為に、母の小さな出来事も変化も書きとめて
おこうと思っていたノートに。
ちょっといい男って意味になるのだろう!?
時々母に聞いておけばよかったと思うことがある。
喪中年賀欠礼の葉書が3通も届いている。
私は、ここに越して来てから、故意に書かずに来ている。
その少ない中の3通に驚いている。
先日も、私より2つ年下の仲間が、同級生の喪中年賀欠礼の葉書を貰い
とてもショックだったと聞いた。
だからこそ、今この時を大切にしようねと、語った。
少しでも長く健康でありますようにと願う。。
時々、ここ書き出すようになったら蘇ることがある。
母を遠距離介護していた頃のこと。
母と何気ない会話をしていた。
行商のお兄さんの話だった。
母の言葉に、「コニセ」という言葉が出た。
「コニセ」???
鹿児島弁で、ハンサムな男性のこと、「ヨカニセ」という。
「よかにせどん」とかいう。
「コニセ」を聞いて、私は、書きとめた。
田舎関係のことをメモする為に、母の小さな出来事も変化も書きとめて
おこうと思っていたノートに。
ちょっといい男って意味になるのだろう!?
時々母に聞いておけばよかったと思うことがある。
喪中年賀欠礼の葉書が3通も届いている。
私は、ここに越して来てから、故意に書かずに来ている。
その少ない中の3通に驚いている。
先日も、私より2つ年下の仲間が、同級生の喪中年賀欠礼の葉書を貰い
とてもショックだったと聞いた。
だからこそ、今この時を大切にしようねと、語った。
少しでも長く健康でありますようにと願う。。
鹿児島へは2回、旅行で行った。
司馬遼太郎の世界では、鹿児島、高知、会津、京都・・・が主舞台。
鹿児島、西郷隆盛、あの大きさは何だろう、人間の器量とはと、考える。
しかし、大きさゆえに人に担がれ、西南戦争で淡々と死んでいった彼の胸中には興味が尽きない。
鹿児島市、ちょこっと素通りしたアンコロ7には、寛容さ、粘り強さ、意志の強さの元は桜島の火山灰にあるも思えるけど、どうなんだろう。
高知と似通っていて、また違った県民性だ。
西郷どんは「ヨカニセ」なんだろうか、高知での「いごっそう」なんだろうか。
大きくて、そして繊細な心をもった快男子、龍馬とともに大好きな人物だ。
朝日を浴びる「よめな???」、エノコロクサも光ってる、朝寝のアンコロ7には撮れない写真だ。
yamaんちの田舎も、菜園畑の横に植えてあります。
母が送ってくれたこと思い出します。
金柑って、恐ろしく生るんですね!帰省した時に見たyamaはびっくりしました。
実りすぎて、枝が折れそうだった(^O^)
少し前、本好きの友が、今読んでるのは「西郷隆盛」って返事来ました!
yamaはびっくりしました。
郷土の歴史の勉強?で、読んだことはあったけど、全く覚えてない。。歴史弱い。。
思わぬ返球に、yama小さくなってる(-_-;)
オカシイけど、鹿児島人には粘り強さ足りないって、いつもそう思われていると思ってた。
火山灰は、yamaの田舎は風向きにもよるけど、影響は少ない方です。
でもその厄介さは十分知っています。
今日友とたまたま、昔のお正月の様子語り合いました。
yamaの田舎の昔のお正月は、シラス台地の砂を山から取って来て、小石をフルイで
取り除き、奇麗になった白い砂を庭一面に撒いてお正月を迎えていました。
清める意味があるのかしら?!
画像は、こんなに日記書くとは思ってないから、その為の画像はないのです(^O^)
没画像から引っ張って来ました。(御免)
でも、この日、アンコロ7さんが朝じゃない菊見たいと、コメント書いてくださったから、
駅前の歩道脇に首出した夕日にあたる菊撮ったんだけど、どうも上手く撮れなかったのです。
その後、この姫女苑(かな?)に、出会いました。
街路樹の隙間から、落ちる夕日の長い日差し辛うじて受けている。
テントウムシ(見えますか?)も一緒だったから、撮ってみたのです(^^♪