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こなキン じじい日記

2021/05/01

 

朝は良い天気でしたが午後から風が吹き出し予報通り雨でした
 
今日は長年通ったチェコのお話
ワールドジュニアを見に行ったのは2000年が最初でした
ウィーン(ビエナ)からプラハに入り田舎町のプレストヨフ
100年以上続いているテニスクラブで試合です
宿泊はペンション クビチェック
会場まで1.5キロほど歩いていきます
ペンション出て国道に出たところに小さなスーパーみたいなお店で一個6円くらいのパンを3つほどとジュースを買い会場に向かいます
会場までまっすぐ
左に小学校、右に5階建てくらいの団地
会場近辺はどうやら バケーションで来る別荘(?)が多かった
第一会場に到着
横は幼稚園
レッドクレイがお出迎え ざっと 10面くらい
その会場を超えると 線路にぶつかる
そこを皆 横切っていく
唯線路内に入って横切る
するとメイン会場に到着
きれいに作られていた
 
ここになんと7回も通ったのだ
ナダルが13歳
あの当時から有名でテレビ局が追っかけていた
衝撃だった
日本のテニスと比べ 「なんでもあり」 いろんなフォームが存在していた
各国からトップジュニアの集まり
初回は驚きと感動で終わった
 
その後一人で行くこととなった
いろんなことに遭遇もした
安く行くために 26時間 トランジットとか
最低34時間くらいかかった
(日本から直行便でウィーンに行けば12時間だが、飛行機代金がべらぼうに高く当時でも20万超え)
私はカタール回り一番安いときで 往復104000円でしたから
 
長年通った中でイチオシは「錦織圭」
日本No.2シングルスで負けなし
大会中 一日一日上手くなっていくのが判った選手です
慣れないコートに悪戦苦闘するNO.1
NO.2シングルスが勝ってダブルスを取るパターン
予選でシードのチェコを破った次の日の新聞は第一面を飾っていました
ペンションオーナーが新聞を持ってきて「サムライ・ニッポン」と言っていた記憶があります
試合内容は決して無理をせずラリーをしながらカウンター狙い
体格差を跳ね返すために素早く粘り強く動いてました
一番驚いたのが、「自分のフットワークに合わせてプレイしてる」ことでした
彼もあの当時速いボールを打てていましたが、自分から仕掛けることは少なく相手が仕掛けた球に反応してカウンター
精度も高かったですね
エアK
もうやってました
 
その次に好きだったプレイヤーはアメリカの「ハリソン」まだ小さくて走るのが早くやんちゃ坊主
彼も 自分から無理することなく自分のフットワークを武器にカウンター狙いでした
周りは14歳といえ190センチクラスはたくさんいた中で、怯むことなくプレイしていた記憶があります
 
チェコに行くと将来活躍するであろう選手がたくさんいました
観客の中に「ノバック」も
みんな 見に来てましたが、日本から来てたのは我々くらい
写真家になった JET 
ここで知り合ったんですね
ウチの娘と同じ年
さんざん迷惑かけられました(笑)
 
今では良い思い出でです
 
でも、一つ言えるのは 将来世界を騒がすであろう選手が目の前にいた
ということ
最先端テニスを いち早く目に収めていたということです。
 
もう一度行きたいと思うところですよ
 
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