残念です。
2022年2月27日 逝去 78歳
今の若い世代はご存じない方も多いかもしれませんが、一般的には風景写真家として有名でしょうか。
やはりインパクトがあったのは風景写真を35mm一眼レフカメラで撮影するという発想でした。そもそもデジタルカメラになるまで、4×5の世界ですから。
しかも当時タブーとされていたズームレンズを多く使用したことや大口径望遠レンズでの思い切ったアングルでしょうか?
現在では、35mmミラーレスカメラでズームレンズを使用しての撮影なんて普通だと思われている方々も多いと思われますが当時はとんでもないことでした。
記憶が確かなら、竹内敏信氏はアメリカなどでは既に35mmで風景も普通に撮影されていることを知ってか日本中に大旋風を巻き起こしました。
当時、微粒子フィルムも低感度ながらPKRなどがコダックからありましたし、国産からもRVPが後に登場します。個人的にはRFPも捨てがたかったのですが。
【なぜ受けた?】
一般のアマチュアカメラマンすべてが、大型カメラ&中判カメラを所有していたわけではなく35mmでも良質な風景写真が撮影できることを証明したからです。
条件はいくつかあるのですが、氏は35mmですとキヤノンを愛用しており、ズームレンズはズームでも「Lレンズ」と呼ばれる高性能ズームレンズが主な条件でした。
つまり優れたレンズと優れたフィルム、それから35mmならではのフットワークがあれば、これまでとは違った風景写真の世界が表現できるとのことでした。
多少抜けている点はお許し願いたいのですが、主にそのようなところでしょうか。後にAFレンズが登場すると、それも受け入れ35mmは拡大率が高いのでピントは正確ではないといけないなどマニュアル機能に固執しない柔軟さも時代に受け入れられたかもしれません。(そりゃあ新しいカメラやレンズ欲しいよね!)
フローライトレンズなど色収差を徹底的に補正した切れの良いレンズを多用したのも印象的です。
当時、35mm一眼レフカメラで作品を発表し続ける作家はどちらかと言えば少数派、中でも竹内氏のインパクトは多きかったと記憶しております。それ以外ですと35mmはスナップや報道、スポーツ、記録、一般の人のメインカメラ的がメインでしたでしょうか。
#一応仕事的に言うならば印刷で伸びてしまえば問題ないんです。通常はA4、A3、個展でもまあ全紙程度。だから大きいフォーマットが更に優位になることには違いは無いのですが、当時の35mm派はここを突きました。つまり写真集でもA4~A3なんです。プロ的には35mmでいいでしょをアマチュアにはフォトコンや個展でのサイズに置き換えたのでしょうか?全紙のびるじゃん!って。
【中判カメラ時代到来】
これがやってくるんですよ。アマチュアカメラマンにも。すると、私も同時に撮影していましたと作品を次々に発表します。
これには参りましたね。カメラマンの商売とはこうでなきゃいけないし、またプロとはこうあるべきだと、私も当時勉強になりました。
私も既に中判カメラや大型カメラで撮影してはいましたが、氏には追い付かないんです。撮影の量的に。もっともテーマも違いましたが。
勿論、助手がいたからなど理由はあるのでしょうけれど。
【PLフィルター】
これも別に竹内氏の特許ではないのですが、代名詞になりました。
とにかく当時のアマチュアカメラマンに与えた影響は多大でした。
意外だったのはPLフィルターのメーカーにこだわりが無かったということでしょうか?
【やまぽんちゃんの風景写真】
やまぽんちゃんも影響を全く受けなかったわけではありません。
でも、比較的早い段階から風景写真に関しては、脱35mm一眼レフカメラ、脱PLフィルター、脱ズームレンズ、でしたでしょうか。
まあ最終的にズームレンズでモータードライブで連写ってスタイルではなかったようです。
それでも低感度フィルムは好きでした。
【デジタルカメラ大時代】
自分もまさか!?とは思ったのですが、ある時を境に銀塩をある意味デジタルカメラが追い抜きます。
これでフィルムは止めてしまいました。
竹内氏が病気していなければ、いかほどの作品を生み出していたのか興味は尽きないです。
きっとデジタルカメラならではの表現方法を新に提唱していたかもしれません。
現在のミラーレス時代ならではの作品を発表していたかもしれません。
【最後まで銀塩】
これに拘り続ける方々もいらっしゃいます。それは構わないのですが、正直やりにくいところはありました。
もちろん銀塩は銀塩で良いのですが。
随分昔の話ですが、仕事以外、表現の場でデジタルNGと言われても。
「雲」なんていくらでも描けるじゃんと、いくらでも画像いじれるじゃん。猜疑心の強い方もいらっしゃいました。
そりゃあ、まあ確かにそうなんですが。
少し話が逸れて申し訳ないのですが、氏は銀塩時代を真っすぐに活躍できた写真家でしょうか。
【屋台で】
大昔、氏をはじめ何名か大御所写真家さんと並んだことはありますが、皆ビッグすぎて。(;^ω^)
やまぽんちゃんなんて屁みたいなもんです。
でも、あの日あの時屋台で飲んだ酒は忘れられません。皆さんお酒大好きで。食い物にうるさくて。(;^ω^)
今は時代が違いますからね。どうなんでしょう?肩を並べて酒を飲むなんて。
写真家家業が、一般的にはこんなんなっちゃって。若手の皆さん頑張ってください。
個人的には、いくつもの時代を過ぎてしまった感がぬぐえません。
最後に心よりご冥福をお祈りいたします。
にほんブログ村
2022年2月27日 逝去 78歳
今の若い世代はご存じない方も多いかもしれませんが、一般的には風景写真家として有名でしょうか。
やはりインパクトがあったのは風景写真を35mm一眼レフカメラで撮影するという発想でした。そもそもデジタルカメラになるまで、4×5の世界ですから。
しかも当時タブーとされていたズームレンズを多く使用したことや大口径望遠レンズでの思い切ったアングルでしょうか?
現在では、35mmミラーレスカメラでズームレンズを使用しての撮影なんて普通だと思われている方々も多いと思われますが当時はとんでもないことでした。
記憶が確かなら、竹内敏信氏はアメリカなどでは既に35mmで風景も普通に撮影されていることを知ってか日本中に大旋風を巻き起こしました。
当時、微粒子フィルムも低感度ながらPKRなどがコダックからありましたし、国産からもRVPが後に登場します。個人的にはRFPも捨てがたかったのですが。
【なぜ受けた?】
一般のアマチュアカメラマンすべてが、大型カメラ&中判カメラを所有していたわけではなく35mmでも良質な風景写真が撮影できることを証明したからです。
条件はいくつかあるのですが、氏は35mmですとキヤノンを愛用しており、ズームレンズはズームでも「Lレンズ」と呼ばれる高性能ズームレンズが主な条件でした。
つまり優れたレンズと優れたフィルム、それから35mmならではのフットワークがあれば、これまでとは違った風景写真の世界が表現できるとのことでした。
多少抜けている点はお許し願いたいのですが、主にそのようなところでしょうか。後にAFレンズが登場すると、それも受け入れ35mmは拡大率が高いのでピントは正確ではないといけないなどマニュアル機能に固執しない柔軟さも時代に受け入れられたかもしれません。(そりゃあ新しいカメラやレンズ欲しいよね!)
フローライトレンズなど色収差を徹底的に補正した切れの良いレンズを多用したのも印象的です。
当時、35mm一眼レフカメラで作品を発表し続ける作家はどちらかと言えば少数派、中でも竹内氏のインパクトは多きかったと記憶しております。それ以外ですと35mmはスナップや報道、スポーツ、記録、一般の人のメインカメラ的がメインでしたでしょうか。
#一応仕事的に言うならば印刷で伸びてしまえば問題ないんです。通常はA4、A3、個展でもまあ全紙程度。だから大きいフォーマットが更に優位になることには違いは無いのですが、当時の35mm派はここを突きました。つまり写真集でもA4~A3なんです。プロ的には35mmでいいでしょをアマチュアにはフォトコンや個展でのサイズに置き換えたのでしょうか?全紙のびるじゃん!って。
【中判カメラ時代到来】
これがやってくるんですよ。アマチュアカメラマンにも。すると、私も同時に撮影していましたと作品を次々に発表します。
これには参りましたね。カメラマンの商売とはこうでなきゃいけないし、またプロとはこうあるべきだと、私も当時勉強になりました。
私も既に中判カメラや大型カメラで撮影してはいましたが、氏には追い付かないんです。撮影の量的に。もっともテーマも違いましたが。
勿論、助手がいたからなど理由はあるのでしょうけれど。
【PLフィルター】
これも別に竹内氏の特許ではないのですが、代名詞になりました。
とにかく当時のアマチュアカメラマンに与えた影響は多大でした。
意外だったのはPLフィルターのメーカーにこだわりが無かったということでしょうか?
【やまぽんちゃんの風景写真】
やまぽんちゃんも影響を全く受けなかったわけではありません。
でも、比較的早い段階から風景写真に関しては、脱35mm一眼レフカメラ、脱PLフィルター、脱ズームレンズ、でしたでしょうか。
まあ最終的にズームレンズでモータードライブで連写ってスタイルではなかったようです。
それでも低感度フィルムは好きでした。
【デジタルカメラ大時代】
自分もまさか!?とは思ったのですが、ある時を境に銀塩をある意味デジタルカメラが追い抜きます。
これでフィルムは止めてしまいました。
竹内氏が病気していなければ、いかほどの作品を生み出していたのか興味は尽きないです。
きっとデジタルカメラならではの表現方法を新に提唱していたかもしれません。
現在のミラーレス時代ならではの作品を発表していたかもしれません。
【最後まで銀塩】
これに拘り続ける方々もいらっしゃいます。それは構わないのですが、正直やりにくいところはありました。
もちろん銀塩は銀塩で良いのですが。
随分昔の話ですが、仕事以外、表現の場でデジタルNGと言われても。
「雲」なんていくらでも描けるじゃんと、いくらでも画像いじれるじゃん。猜疑心の強い方もいらっしゃいました。
そりゃあ、まあ確かにそうなんですが。
少し話が逸れて申し訳ないのですが、氏は銀塩時代を真っすぐに活躍できた写真家でしょうか。
【屋台で】
大昔、氏をはじめ何名か大御所写真家さんと並んだことはありますが、皆ビッグすぎて。(;^ω^)
やまぽんちゃんなんて屁みたいなもんです。
でも、あの日あの時屋台で飲んだ酒は忘れられません。皆さんお酒大好きで。食い物にうるさくて。(;^ω^)
今は時代が違いますからね。どうなんでしょう?肩を並べて酒を飲むなんて。
写真家家業が、一般的にはこんなんなっちゃって。若手の皆さん頑張ってください。
個人的には、いくつもの時代を過ぎてしまった感がぬぐえません。
最後に心よりご冥福をお祈りいたします。
にほんブログ村