今月4日。青山学院大学名誉教授 哲学専攻 清水礼子先生が 呼吸不全のため
お亡くなりになりました。70歳でした。
私は、同大学時代、先生に大変お世話になり、この訃報を聞き、心がねじれるほど
悲しく、残念に思いました。
先生に教えて頂いた カントの「道徳形而上学の基礎付け」が、今でも私の心の
支えであること・・プラトンの「洞窟の比喩」が人生の苦しさを乗り越えて、後に
大きな希望が訪れる予感を感じさせてくれること・・「プロクルステスのベッド」が自分の尺度でしか世の中を弄ることの出来ない人間の姿であること・・多くの貴重なお話を拝聴させて頂きました。
30年も経ちましが、大学2年の春に、先生とお話したなかで、私は、弁護士であった父「安田 忠」という偉大な法律実務家(まさに、実務の天才でした)が、自分の今後の成長にとって目標ではあるけれど、大きな大きな壁でもあり、それは、絶対的に乗り越えられない存在であり・・人間的にも到底敵わない「敵」でもあり得る・・という趣旨の事柄を述べましたら
先生は、「それは自分も同じことだ!」(先生のお父上は、高名な哲学者 清水幾太郎先生です)・・と言われ、「安田君の言いたいことは良く分かるわよ」と言われました。
私は、到底・絶対・無限的に父「安田 忠」は乗り越えられません。
先生は、いかがでしたか?
こんなことは、先生に失礼かも知れませんが、日経新聞等々の新聞の訃報欄には
「清水礼子 青山学院大学名誉教授 哲学専攻」とあり、カッコ書きで、「故・哲学者 清水幾太郎の長女」と書かれておりました。私は、そのカッコ書きが悲しく切なく思います。
先生、私も53歳になりました。いつまで経っても「安田 忠の息子」としか
思われていません。私は「安田 忠彦」なんだ!!と言いたいです。
しかし、先生、私は、確かに 青山学院大学で、清水礼子先生に 哲学を教えて頂き、今も、ソフィストとして生きて行こうと努力しております。
チンケなチンケな行政書士ではありますが、清水 礼子先生の教えを忘れず哲学を愛して残された人生を歩んでいきます。
先生は、「清水 礼子」と言う哲学者として、偉大な方です。
どうか、どうか、安らかにお眠り下さい。
心より、ご冥福を お祈り申しあげます。
お亡くなりになりました。70歳でした。
私は、同大学時代、先生に大変お世話になり、この訃報を聞き、心がねじれるほど
悲しく、残念に思いました。
先生に教えて頂いた カントの「道徳形而上学の基礎付け」が、今でも私の心の
支えであること・・プラトンの「洞窟の比喩」が人生の苦しさを乗り越えて、後に
大きな希望が訪れる予感を感じさせてくれること・・「プロクルステスのベッド」が自分の尺度でしか世の中を弄ることの出来ない人間の姿であること・・多くの貴重なお話を拝聴させて頂きました。
30年も経ちましが、大学2年の春に、先生とお話したなかで、私は、弁護士であった父「安田 忠」という偉大な法律実務家(まさに、実務の天才でした)が、自分の今後の成長にとって目標ではあるけれど、大きな大きな壁でもあり、それは、絶対的に乗り越えられない存在であり・・人間的にも到底敵わない「敵」でもあり得る・・という趣旨の事柄を述べましたら
先生は、「それは自分も同じことだ!」(先生のお父上は、高名な哲学者 清水幾太郎先生です)・・と言われ、「安田君の言いたいことは良く分かるわよ」と言われました。
私は、到底・絶対・無限的に父「安田 忠」は乗り越えられません。
先生は、いかがでしたか?
こんなことは、先生に失礼かも知れませんが、日経新聞等々の新聞の訃報欄には
「清水礼子 青山学院大学名誉教授 哲学専攻」とあり、カッコ書きで、「故・哲学者 清水幾太郎の長女」と書かれておりました。私は、そのカッコ書きが悲しく切なく思います。
先生、私も53歳になりました。いつまで経っても「安田 忠の息子」としか
思われていません。私は「安田 忠彦」なんだ!!と言いたいです。
しかし、先生、私は、確かに 青山学院大学で、清水礼子先生に 哲学を教えて頂き、今も、ソフィストとして生きて行こうと努力しております。
チンケなチンケな行政書士ではありますが、清水 礼子先生の教えを忘れず哲学を愛して残された人生を歩んでいきます。
先生は、「清水 礼子」と言う哲学者として、偉大な方です。
どうか、どうか、安らかにお眠り下さい。
心より、ご冥福を お祈り申しあげます。
青学にいた頃、私も先生と同じく荻窪に住んでいたため、何度か先生のお宅にお邪魔して
夜遅くまでお話をしました。
こよなくお子さんを愛しておられましたね。
いい思い出です。
では。
oseki@icnet.ne.jp
青学に入学して良かったなぁ~と感じました。
清水礼子先生の思い出を大切に頑張って行きましょう!
改めて貴重な時間を頂いたな。