妻が私より先に逝ってしまいました・・・(泣)
4年前に発症し 辛い化学療法や 抗がん剤治療をしなおかつ
自家造血幹細胞移植が有効とのことで
移植も2回ほど行ったけど 今年7月に入り主治医より
もう全て考えられる治療方法をやりつくしてしまったとのこと
入院当初 この病気は現在の医学では治癒で完治はできないとは聞いていましたが 年々 新しい治療薬も開発され いろいろ試してみましょうとのことだったけど もう最後は奥様 最後に何を望まれていますか? と・・・
もう そこまで来ているなんて こちらもびっくり
つい最近 6月の時点で普通に歩いて 普通にしゃべって
彼女のやりたいこと やってみたいこと
(まあ細やかですがヒマワリ畑を見に行ったり 大きな観覧車に二人で乗って楽しんだりしてきました)
でも7月になり 検査結果が悪く もうこれが最後の治療となりますと・・・
集中治療室へ
抗がん剤をターボの如く体内に入れるやり方で効果が出ればと期待したんだけど もうほんとに最後には効果もなく 病院なんでコロナ過の中
もう会えないまま お別れになってしまうのか?と自宅で
不安と恐れとか もう頭の中ぐっちゃぐちゃ
(この時点で集中治療室内は携帯電話は禁止なので連絡も途絶えてしまい
妻との連絡もどうすればよいかと思案して無駄な時間が過ぎていった)
そして数日間 集中治療室で過ごしたおかげなのか
それとも もう治療方法がなく延命治療に切り替えたのか?
通常の個室に移動したとの連絡が入り 主治医より話があるとのことで
病院へ やはり嫌な予感が当たってしまい治療はもう延命治療しかないと
・・・
でも 妻の最後の願いは「家に帰りたい」と言っていたので
私からも先生にお願いし8月も下旬に差し掛かる頃
車椅子での帰宅で その日に帰宅し 数時間過ごした後病院に戻る案に
なり その準備をしていた最中 またまた病院より連絡が入り
病院スタッフでバックアップ体制をとるから数日間 自宅で過ごせるようにと
皆さんの暖かな応援の中(いつでも何かあったら病院に連絡 救急車で病院へ) 帰宅となりました。
退院初日 車椅子で介護タクシーに乗る妻 なんだか嬉しそうでした。
ただ鼻に酸素のチューブが入っていてタンクと一緒に移動ってことで
介護タクシーといっても車椅子が乗れるタクシーのことで
家の前で車椅子を下ろして はい終わりなので そのあとの
自宅で玄関から 上に上げるとき もう超大変だったよ
部屋に戻って(準備中に用意した介護ベッド)ベッドの寝かせたときは
もうくたくた状態 でもこれからもっと大変なことが待ってるんだから
頑張るぞー って気力だけは保ってたんだよね
初日から二日目 何度もトイレに行きたいって言うんで
ベッドで起こして 車椅子に抱えるように乗せ トイレまで移動し
車椅子から立たせて(壁につけた手すりも持たせながら)トイレの座椅子まで
ってのを何度も何度も繰り返したね (特にきつかったのが立たせた状態で
パジャマのズボンを脱がしたり おしりを拭いたりしてあげるとき ふらつくんで大変だったよ)
でも二日目から三日目の夜 夜中に「ねえトイレ」の声で飛び上がると
なんと妻がベッドの横で立ち上がってたんだよ
しかも手を握って寄り添ってトイレまで行ったら自分で歩いて行ったんだ
これにはびっくり よくなったのかと思っちゃったよ
でもその次の昼から急激に体力が落ち 息苦しさが分かったので
酸素の値を上げてやったりしたけど あまり芳しくない
で病院に電話したけど 入院してたスタッフとは連絡が取れず
(現在コロナで電話をかける人がいっぱい 電話なかなか繋がりません)
結局 もう一晩 様子を見てみよう 何かあったら即 救急車を呼ぼうと決意
最後の日 朝から口に薬を入れてあげても呑み込みができず口から出てしまい
流動食もダメ ならジュースか水でもと思い 飲ませようと頑張ったけど
もう無理な状態 そのまま昼頃まで一緒に過ごし もうこれ以上家に居ても
自分じゃあ何もやってあげられないと 病院に何度も連絡し やっとチームと繋がり 即救急車を呼んで 病院まできてくださいとなり
119に連絡 来たと同時に すべて今までの状況を報告
病院にも連絡がついていたので スムーズに病院の病室まで行くことができました まあここでは即 病室から自分は退室で一階ロビーに戻ったけど
また連絡が取れない日々が続くのかな?と思ってたんです
翌日 平日だったので会社に行こうか? 悩んだんだけど
何か嫌な予感がして自宅で待機していたら やっぱり病院から連絡が入り
「徐々に血圧も下がり 呼吸も乱れてきています」とのことで
病院へ・・・
最初は面会が30分以内だったんだけど 先生とスタッフのおかげで
私はずっと病室内に入って 手を握り 妻に一方的に話をしていました
もうこの時点で話をすることができないけど 先生が言うには
酸素マスクをしていて苦しそうに見えますが 呼吸が苦しいということはないですよ そして人間は最後の最後まで耳は聞こえていますからとのこと
徐々に呼吸が弱くなり握っている手にも力が無くなるのを感じつつ
時間がゆっくり進んでいるようですが 妻はもっと早く弱っていくのが分かってる もうわかってるんだから・・・くっそ~ なんとかならんか
でも最後の最後まで一緒だったよ 息が止まる一瞬まで・・・
午後4時35分でした。
自分と結婚してくれて 楽しい時を過ごしてくれて 色々な事
全部二人でやってきたね もう二人で行動することできないけど
自分一人で決めて やっていくよ
今まで ありがとう お前のこと大好きだよ
もう葬儀も終わったし 墓地も決めてきた 位牌も注文したよ
あとは四十九日までしっかり お前のこと思いながら 前に進んでいくよ
おふたりがどんな数日間を過ごしていたのがよく分かりました。いろいろなことを教えてもらえた気がします。
奥さまのご冥福を心よりお祈りします。
四十九日法要も8日に無事終わり あとは納骨するんだけど 何だか急に寂しさが増してきているところです でもお彼岸や月法要とか何だかんだと 妻に会いにお墓に出かけるかも😅
四十九日が過ぎて少し生活が落ち着き疲れが一気にくることかと思います。心穏やかに過ごしてください。
またお出かけブログや日常のブログも心待ちにしています!
多肉植物おうち時間に良いですよ〜
むちむちした姿に癒されながら増やしたりして育ててます。
病院の費用は最初 高額医療制度のこと知らなくて100万以上の請求書にビックリでしたよ 翌月からは市よりの高額医療を使いましたが やはり保険代が30%掛かるので平均給料から計算しての金額が来るので高額になってしまっていますよ
妻は浜松医療センターに入院してたんで 入院費用は個室を使えば高いし パジャマを借りるだけで月数万は飛んでいきます 食事も必要経費に入ります Hさんが亡くなる前に最後だからと最高額の個室借りてましたねー 妻もひと月前までは数人部屋で過ごしていましたが最後の時が近くなると強制的に個室に移動になり経費がかかるようになっています
Iちゃんもおばちゃんになったときの用心のための貯蓄しといたほうがいいよ
妻がいない寂しさは今は休日のたびにですが
時間と共に徐々に慣れてくると思いますよ 誰かを思いコメントを書いてくれるIちゃんの優しさにグッときちゃいます
結婚!出産!など20代の時の様な派手さは無くなりましたが、今が私の人生の充実期なんだなぁ〜とブログを拝見して思いました。健康な今からの備えが大切ですよね!!
お休みの日に、エアコン掃除、電気のカバー掃除やりましょう!(私やりました!)もう少ししたら扇風機も掃除です!
コメント書きながら窓のサンも掃除しなきゃと思っています( ´ ཫ ` )冬の大掃除が嫌だからw
奥さまを思いながら今後も住み続ける家、寂しくなった時、気が向いた時はのんびり掃除しましょー♡♡
掃除・洗濯・炊事・買出しなど家のことは奥ちゃまが病気で入院してから4年間ずーっと自分でやっているよ っていうかやらないと奥ちゃまが困るから自分ができることと奥ちゃまの世話で大変な時期だったなぁ 今は簡単な調理もできるようになったのも奥ちゃまのおかげかなと思っているよ
今は奥ちゃまのことを思いながらも自分の生活を大事に前向きに突き進んでいるよ 会社も他の人たち退職したり定年で居なくなったりと寂しくはなったけど自分は70代まで働こうかなと頑張っているよ コメントありがとね~
私の職場、深夜3時〜朝9時まで働ける品出しの人を募集してるんで、今のところを退職した後はぜひぜひw
ずいぶんと顔ぶれも変わられたでしょうね。
総務のMさんはお元気でしょうか?
歯がないTさん(あれ?歯がないTさんって何人か居たなぁ)も元気だといいなぁ〜
歯がないTさんは退職後 奥様が脳梗塞で倒れたようで苦労しているみたいで職場のM君が最近出会ったそうで半日だけの仕事に出かけているみたい 以前みたいに奥様を運転手にしてパチンコや競艇には行けてないのかも?
久しぶりにのぞいたら、、、、大変でしたね。お悔みもうしあげます。医療関係はコロナ禍で最大の混乱でしたから入院中の方もいままでの入院のようにはいかずもどかしい気持ちもあったのではとお察しします。
いつまでも魂はヤスケさんと共にあります。
どうぞお身体を大切にされてくださいね。
合掌