人はさとりの世界と
迷いの世界とを区別する。
それが人の基本的な虚構である。
物を見ている時にも
物を見ないでことばの意味を見てしまう。
ことばとものを同一視すると原因と結果、
運動と変化、主体と客体など
すべての関係は成り立たない。
関係というものはものが本体をもたず、
空であるときにだけ成立する。
我々はことばを信用しているが
それが、迷妄の根源となる。
我々は言語の世界とそれを離れた空の世界とを
知らなければならない。
ものが空であるということは
ものが本体をもたず、他のものに依存してのみ
存在することである。
しかし、空というものはあるわけでもない。
空という仮の名づけにすぎない。
だから、縁起、空とは有と無を離れた中道である。
空は事実を否定するものではなく
空を理解した時にはじめて事実の世界は
障害なく成立する。
さとりの世界と迷いの世界は
別々にあるのではなく
どこまでも一如である。
ナガールジュナ(龍樹)
今日もありがとう
合掌
愚・惠真尼