親鸞聖人は【 念仏者は無碍の一道なり 】と::
人にとって自分に不都合な事は::碍
しかし、不都合な事が消えても::幸せになれるのか
また。新たな::苦の種がうまれ
振り回される。
無碍とは碍が解消されることではなく
碍と思っていたことに意味が生まれ
碍から色々な事を気づかせて戴き
碍とともに生きてゆくこと。
老、病、死から逃げられない。
視界からも遠ざけても::免れられない。
そこにこそ::【 私が生きる 】ことを明らかにする大事なことがある。
真城 義麿氏 文章より
自分を知らない自分がいるようです::
合掌
惠真尼
AMOUR/PEACE/GRAZIE