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女神になりたい主婦のブログ

駐在員妻の思い出1~狭いコミュニティ

こんなタイトルにしたけど、2以降があるかわかりません。

思い出したら書きます。

 

私は、若い頃に海外に住んでいたことがあります。

 

それは、自分自身の仕事や勉強で行ったわけではなく、当時結婚していた人の仕事の都合で行っていました。

 

いわゆる海外駐在員の妻、です。

 

最初に住んでいたところは、中国の都市部から離れたところだったので、外国人がとても少なく、「中国以外の言語と、中国以外の国籍の人に会いたい」

と思うくらいでした。

 

その時の大変さはまた、駐在員妻のそれとは全然違ったのですが

今回は、ベトナムにいたときのこと。

 

ベトナムの首都、ハノイに半年間くらい住んでいたことがあります。中国の後です。

 

やはり首都なので、外国人も多く、観光客もとても多いところです。

 

当然、日本人もそこそこ住んでいます。

 

慣れない異国の地では、同郷の人がいると助かるものです。

日本人同士、助け合っていこうね、という精神が働きます。

そこで日本人コミュニティができますよね。

 

日本婦人会って言ったかな?気づけば私は、そんなものに加入していました。

(いや、夫の会社の人が紹介してくれて入ったのかも)

 

名簿とか、色んな事が書いてある冊子を渡されましてね、年に一回、総会も開かれていました。

 

なんか、ホテルでパーティーみたいなのをやって、役員を決めるみたいでした。

 

私はそれまで、中国で少人数日本人グループ(5,6人しかいない)で仲良くしていたので、この規模にびっくり仰天しました。

 

そしてその名簿には、ご主人の勤め先が明記されていました。

あの当時だからなのかな、当たり前に住所も載ってましたね。

 

おお、日本人女性なら誰でも会員なのかと思いきや、駐在員妻の会なのか?

 

住所が載っていると言っても、駐在員たちは、いくつかのサービスアパートメントに住んでいたので、もともと住まいは知られていて、そんなにプライバシーを暴露されている感じでは無かったと思いますが。

 

サービスアパートメントとは、外国人用の長期滞在用ホテルみたいなもんです。

 

私はその中でも一番ぼろくて庶民的なところに住んでいましたが、多くの方は、中心部の高層高級ホテルみたいなところにいました。

 

ほんと、ホテルみたいなの、中も。

いくらするんだろ、家賃。

 

私の住んでいるアパートにも、日本人家族は何世帯かは住んでいました。

小さいお子さんのいる家族も、若い夫婦も、ちょっと年上の夫婦も。

 

ちょくちょく顔を合わせるので、お話したりもしましたが、始めに面食らったことがありました。

「ご主人どこの会社?」

ってね、初対面で聞かれました。

 

名簿見れば、そのうち全部わかちゃったんでしょうけど、先に聞かれましたよ。

 

私と交流するのに、なんで夫の会社名を知らないといけないんだろう?

自分の旦那さんとは違う会社だなって、わかってるくらいでよくない?

 

隠すこともないので答えましたけどね。だから何?ですよね。

 

とても狭い社会なので、皆さん、あの人のご主人は〇〇会社って把握してたんでしょうね。

 

首都なので、有名な商社とか大手銀行とかの人も多かったのかなあ。

 

私は会社のことは知らないし、大きい会社かどうかも、業種も別に何でも良かったんですけど。聞く人はそれによって接し方を変えるんですかね。

 

もともと、私は子供の頃から群れるのが苦手でしてね、異国まできて、こんな狭い社会に属するのかと、窮屈な気持ちになりました。

 

 

そして婦人会にはサークルがいくつか存在していまして、あるサークルのリーダー的な人が私に声をかけてくれました。

 

奥様たちは、基本的に暇なんですよ。お子さんがいる人たちは、そんなことないでしょうけど。

 

私はその頃、子供もいませんでしたから、同じく夫婦世帯の人たちのサークルに呼ばれました。

 

私がこれまでに会ったことのないタイプの人たちでした。

 

優しそうな良い人も中にはいたのですけど、そのグループの雰囲気がね、全然、私にはなじみませんでした。

 

ホテルみたいな超きれいなお部屋に呼ばれ、十数人の若い女性たちで遊んでるんですけどね

みんな一応優しいんですけど。。。

私だけ、みんなと違うな~~~~感がすごくてですね・・・・。居心地悪かったの。

 

今思えばですけど、あの人達って、多分日本にいたら港区とかに住んでいそうな階層なんですよね。

 

自分が、そこに合うわけないじゃんね。

住む世界が違うの。

 

皆さん、旦那さんが多忙みたいで時間があるし、かといって、ガンガン外に出て行くってこともないから、なんだかとてもつまらなそうにも見えました。

(これは私の偏見です)

 

私は一人で行動するのが好きだったし、せっかく欧米からの観光客が集まる都市にいるんだから、遊ばない手はない

と思って、しょっちゅう一人で街中に出歩いていました。

 

交通手段は、ほぼ公共バス。

たまにバイクタクシー。

楽しかったよ~~~。アオザイも作ったよ。

 

半年しかいなかったので、そんな感じで昼間はほぼ一人で過ごしました。

 

結局、気が合って仲良くした日本人女性は、お子さんが自立してご夫婦だけで滞在しているだいぶ年上の女性でした。

 

一緒にエステにも連れてってくれたしね、楽しかったですよ。

 

仲良くできる人って、年齢も立場も関係なくて、一緒にいて楽しい人だよなあって本当に思いました。

 

あと、若い人で仲良くなったのは、アパートのレセプションで働いていた日本語の上手なベトナム人女性でした。

 

彼女の目には、私は毎日、あまり充実した日々を過ごしていないように見えたようでした。

 

いやあ、実際そうだったのです。DV,モラハラ夫と一緒に暮らしていましたから。

鋭いお友達ですね。

 

たくさんの貴重な経験ができた海外暮らしでした。

 

今もたくさんの人が、同じような事態に直面しているんだろうなって思い出したので、書いてみました。

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