パスカルは「人間は考えるアシである。」と「パンセ」に書いたそうですが、葦は水辺をめぐるように互いに寄り添って生える草なので、人間が水利を求めて群衆をなす姿が思い浮かびます。
本来の解釈では「人間とは孤独で弱い生き物だが、考えることができることは偉大であり、尊厳がある。」だそうです。しかし、パスカルはその書(翻訳)で「なぜなら、彼(人)は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。」と書きました。これを言い換えると「死ぬことを知らない宇宙よりも、考える事で自死できる人間の方が偉大である。」です。
「自死(アポトーシス)」とは何か?
子孫を残して自分が死ぬことは、少なくとも「人類の死」とは言えません。少し拡大して考えても単なるアポトーシスに過ぎません。その遺伝子を継承して不要になった自身を消滅させただけです。宇宙も同様な現象によって、新旧交代を繰り返しています。人間が考える程人間は偉大な存在ではなく、単なる自然現象の一部に過ぎません。「下手の考え休むに似たり」です。
パスカルは多才な学者で、その一つが「キリスト教神学者」です。確率論を応用した賭けの論理において、「神を信仰することが神を信仰しないことより優位である。」事を示したそうです。キリスト教によると「宇宙は神が創造し、人は神が自分の姿に似せて作った。」とされています。つまり「神が創造した宇宙での確率でも、信仰によって人間に有利に変えることが出来る。」と云う事です。或いは「人間が神を信仰すれば、神は宇宙を変えてくれる。」と表現した方が良いかもしれません。
人間は「考えて」ここまで来ました。異教者に対する大量虐殺、科学的共産主義による政策での大量餓死、原爆投下による民間人大量虐殺。それでも人口は葦のように増え続けています。これは、神が人間に与えた「考える使命」の結果と言えます。
宗教家は「神は人の信仰の強弱に合わせて、人を減らしたり増やしたりしている。」と、言い訳をするかも知れません。
「葦は考える人間よりマシである。」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます