2019年4月12日に行われた東京大学学部入学式で、上野千鶴子名誉教授が「頑張ってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。」の祝辞がありました。
(前後割愛しています。)
私が考えていることと、上野教授が考えていることは違うと思いますが、当然のことです。
「公正に報われない」は、「実力があるのに報わない」と考えています。
まさか「東大」であるのに、という意味ではないと思っています。
社会の中で特別に活躍できるのは、「数字」がある方に限られてきます。
「数字」を持っている人が、生き残ることになります。
「数字」がないのに頑張っても報われることはありません。「数字」のない方は、努力されても、そのことが評価されることは限りなくありません。周りから認めてもらえない、つまりは、評価につながらない努力をしていることになります。
社会の中では、大学ブランドは通じません。
どこそこの大学を出たから、偉いだとか・出世するなどはあり得ません。
「数字」があるか・ないかで、人生は変わっていきます。
「数字」があれば、世の中で頭角を現してきます。
高校卒であっても・コネなどなくても・人生の前半がつらくしんどい思いをしても、「数字」があるその年齢が来れば、確実に社会の中で活躍します。
「数字」は年齢により変化します。
入社時には優秀であっても、年齢とともに「数字」がなくなれば、ただの人になります。
社会的に淘汰されることになります。
そのようなことが手に取るように判る人間です。
もちろん、社会で活躍できるように仕向けることもできます。
余談ですが、
日本社会の官僚機構は、怖いと思っています。
入省試験によって、将来が決まるような組織体制では日本国の将来が心配されます。
実力が的確に評価される組織でなければいけません。
日本国を動かす中枢なのですから。
話を切り出した途端、そっぽを向くような官僚はいりません。
程度の低さにうんざりです。
田舎のおじさんでした。