こちらの病棟は、看護師さんの交代が頻繁で、同じ方に会うことがほとんどなかった。
歩けるしトイレ行かれるし、看護師さんにお世話になる必要がほとんどない私は、関わりもなく・・・。コロナでカーテンは常時閉めてあり、同室の方を見ることもなく。周りの方はどんどん入れ替わっていく、、。(ベッドは窓側にしてくれました)
カーテンの中が私のベッド。みんな退院してしまい、時には1人部屋のようになることも。
とにかく顔、腫れているところは冷却。
頭痛もあったので、頭も冷やす。
顎から口を動かす筋肉のところはホットタオルで温める。
骨盤の腫れ(テニスボール)もひどいまま。下着はゆるめのものにする。
左まぶたは閉じない。洗顔料が入ってしまうとしみる!潤い用の目薬が処方される。
鼻は詰まってないのに、詰まっているような感覚を感じる。押されているみたい。でも、外側から触っても、左側は目の下から鼻、唇まで、何も感じない。何も感じない。
私は悲しみのオーラに包まれていたけど、毎日来てくださる先生はふつう?3ヶ月は腫れが残る、って手術前の説明、こういうことだったようで。でも、私の気持ちは、全然落ち着きませんでした。傷が柔らかくなるには半年かかるから、側頭部が痛いのも、その頃には落ち着いてきますよーって、言ってくださっていたように思います。半年、そんな先をイメージできる状態ではありませんでした😭
眠れない。細切れの睡眠。ナースステーション近くだったので、音が気になる。(換気で扉がどこも開けっぱなし)
眠れなくて、救急車の到着数を数える。
頑張っている人を思う。
運動しないと筋力落ちちゃう!と、ウロウロ歩き回るように心がけていました。
目の下の縫い跡が目立つので、「あの病院出るらしい。」と噂がたってしまってはいけない、と、ガーゼを当てて、片目スタイルで。
手術から6日後、口の中の抜糸だけして、退院。
帰りのタクシーで泣きました。
ここに来る時は救急車だった。どこにある病院なのかもわかっていなかった。
わずか2週間前のこと。
私はなんて変わり果ててしまったのだろう。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
家について、花瓶のしおれた花を捨てた。