寄り道フィッシング、釣りと自然を語る

釣りや自然を気ままに語ります。

生と死の境界線

2024-07-01 20:06:00 | 日記
久しぶりのブログ更新となります。
昨年から今年にかけて獣害(特に熊)に関するニュースと、それに付随した田舎住民の心情を無視した心無い都会者のコメントに憤慨していましたが、当ブログにおける発信の意義とは即ち〝自分なりに自然を敬うこと〟であると思い至り、記事の再開を決意し、再度ブログの更新に踏み切りました。


今回のブログ更新までに渓流釣りへ幾度と無く赴きました。
その中で改めて感じたことですが、我々が普段暮らしている住宅地周辺には生きるために必要なセーフティネットが張り巡らされており、なるべく死に直結しないような工夫がなされているのだなと感じざるを得ません。



山岳渓流釣りをしていると、何となく自身の死を意識してしまう場面が度々訪れます。

ゴルジュ帯の上から谷底を見下ろしている時、強い獣臭を感じた時、電波の繋がらない深山で転倒してしまった時、市街地であるなら脆弱と感じるであろうマダニや山ビルが体を這っている時、落ちれば一巻の終わりであろう崖先でカゲロウが鼻先をかすった時・・・

険しい深山幽谷に身を置くと普段取るに足らないと思い軽く払い除けている小さな羽虫も、厳然たる自然環境の厳正なる掟に適応しており、私自身の生命と平等かそれ以上に高尚な存在であると痛感させられます。

幸いなことに今現在まで大きな怪我もなく渓流釣りをしてこれました。
私は無神論者であると自負していましたが、こと山岳渓流においては毎回山の神様に手を合わせて自身の安全祈願を行ってから釣りを始めることがルーティンとなっております。



これは私個人の見解ですが、自然環境の保全に必要なこととは自然環境を畏れるマインドではないかと思います。

自然を舐めてしまえば手痛いしっぺ返しが必ず身に降りかかるという教訓が現代日本人には必要なのではないかと考えます。

エゴイスト

2023-10-11 18:25:00 | 日記
本来なら岩魚に関する現状の私の知見を当ブログにて述べようかと思っていたのですが、前回更新した内容の続きとなってしまうが偶然見つけてしまった熊森協会の記事とそれに付随する案件に対してここ数日夜中に目が覚めてしまうほどイライラが募っています。

前回の投稿で熊森協会がホームページのブログにて、私の地元の役場へイノシシ駆除に関する抗議の電話を入れたと意気揚々と語っていたと記載しました。私はそれがどうしても腹立たしく、地元住民や通報に応じて対処してくれた地元警察及び猟友会の方々に対する侮辱であると思わざるを得ませんでした。
そこで私は熊森協会のブログにコメント欄がなかったのでYouTubeにて熊森協会が運営する「くまもりチャンネル」というものを見つけたのでそちらに抗議のコメントをすることにしました。我ながらとんでもない執着心であるとは思いましたが私の生まれ育った町や人を貶されるということは筆舌に尽くしがたい思いがあったのです。

くまもりチャンネルの最新動画に当時の記事に対する抗議と、イノシシが住宅街に出た際地元住民や警察、市役所員と猟友会が危険に晒されることなくイノシシを安全に山へ返す方法を質問しました。
答えはすぐに返ってきました。







私のアカウントが即座にブロックされるという返答です

私の地元市役所に対し偽善丸出しな抗議の電話を掛けてきて溜飲を下げる一方で、地元住民である私の抗議は封殺するというのが熊森協会の答えでした。熊森協会ホームページの当時の記事を引用しての抗議文が余程都合が悪かったと思われます。
私の過疎ブログなど見ている方はほとんどいないと思われますが、今後も熊森協会の動向を監視し逐一報告して参りたいと思います。

害悪な自然崇拝者たち

2023-10-10 18:05:00 | 日記
最近住宅街に熊や猪が出没するというニュースをやたらよく耳にする。そんなニュースの後には必ず胸糞の悪い連中が湧いて出る。
私はほとんどテレビを観ないのでニュースはもっぱらYouTubeやインターネット速報で仕入れているのですが、害獣駆除の速報後は必ず市町村役場に苦情(嫌がらせ)の電話をする者が現れたり、YouTubeのコメント欄には地域住民を蔑ろにした的外れな動物擁護のコメントをする者が現れたりする。
数年前私の住んでいる地域にイノシシが出没し猟友会が駆除を行ったことがあった。それに対して地元の役所に何件かの苦情電話があったそう。この件は“熊森協会”という組織の人間が的外れな苦情の電話を入れてやったとホームページで意気揚々と語っていたのでリンクを貼っておく。http://kumamori.org/news/category/くまもりnews/55914/

多くの人間は動物が駆除されることに対して憐れみの感情を持っていると思う。私もその1人です。だが自分や、自分の大切な者の安全を脅かす存在が生活圏に入ってくるのだとしたら駆除をして然るべきと思う。そもそも、その地域における生息動物の推移や生息数、出没地点の状況などを鑑みずに感情だけで物を言うなど言語道断でしょう。

野生動物擁護者の皆さん、熊森協会の皆さん。地域住民が野生動物の脅威にさらされることなく野生動物にも安全に山へ戻ってもらえる方法があるなら是非聞かせて下さい。代案も出さずに言いたいことだけ言って逃げるなんて絶対許しませんよ?

秘匿の美学

2023-08-26 18:37:00 | 日記
この記事の見出し画像を見てこの川の名前を当てることが出来る人間が果たして何人いるだろうか。
世の中には全国津々浦々の滝を巡るような物好きもいるので、そういった人の目に留まればあるいは即座に解答できるかもしれない。しかし私の過疎ブログが、大衆はおろかニッチな趣味の人間の目に留まることなどおそらくはないだろう。

エッセイストである山本素石の書籍にこんな様なことが記されている。素石がある釣り雑誌の記者から取材を受けた際に言われたことによれば、海釣り師は開放的で陽気な人が多い一方で渓流釣り師は閉鎖的で陰気な人が多いと。
素石は1988年に既に亡くなっており、この取材を受けたのはおそらく昭和の中頃〜後期であると考えられるが、この記者が釣り人別に抱く印象に関してはつい声を出して笑ってしまったのと同時に、既に2世代先の令和となった現代においてもその名残りは色濃く受け継がれていると考えます。

海が近い釣具店なんかで店主に釣果情報を聞けば新鮮で有力な情報を惜しげも無く教えてくれますし、大手の釣具店なんかはホームページや店先のホワイトボードで海釣りの情報を事細かに書き記してさえくれます。
一方で渓流に関してはどうですか。インターネットで調べてもろくな情報もなく、もちろん釣具店のホワイトボードにヤマメやイワナの釣果情報が記されていることなどありえません。その上釣り場ですれ違っても挨拶こそするものの釣果を偽ったり、詳細な情報は頑なに伏せたりと、令和の時代になっても未だに渓流釣り師がいかに閉鎖的かつ秘密主義者であるかということが見て取れます。


ここまで改めて読んでみると渓流釣り師って陰気臭くて取っ付きにくい様な印象に見受けられてしまいそうですが、私はそれで良いと思うのです。海と違って渓流は場所が特に限られてしまいますし、種の保全の観点からいっても、秘匿され続けてきた渓の存在を大衆が知ることは望ましくないと思うのです。
正直言うと「自分だけが知っている場所を他人に知られたくない」という独占欲が私を含めた渓流釣り師の本音ではあると思うのですが。そういった人達は往々にして自分達が今後もそこで釣りを楽しむために、キャッチアンドリリースを徹底して、人の手で渓魚を枯らさぬ様にと意図せず取り計らっているのです。

しかし、科学技術が日々進歩する現代。スマホが一台あれば現地へ行かずともどこに川や山道があるかなど容易に調べることが出来ます。

渓流釣り師達が秘匿してきた隠し沢も、全てが暴かれる未来がすぐそこにあるのかもしれません。

怪物

2023-08-12 11:17:00 | 日記
海釣りであれ川釣りであれ、釣り人であるなら誰しもが大物を釣りたいと思っていることでしょう。当たり前のことだが魚種によってその全長は大きく異なり、タナゴなんかは全長が10㎝程度と釣りの対象魚としては最小で、逆に日本最大の淡水魚であるイトウは過去に2メートル以上の大物が獲れたと記録にも残っています。
大物を釣り上げるというのは釣り人にとって一つの最終到達地点であると思います。

当ブログでは取り分け渓流に関する記事を主に記述しているわけですが、御多分に洩れず私にとっても渓流釣りにおける大きな目標があります。

渓流釣り師はいろいろな川で釣りをします。足繁く通うようなお気に入りの川もあるでしょうがほとんどの釣り師はそれはもう各地の川へ赴きます。その理由はやはり渓によって全く違う様相を呈していることが大きな要因でしょう。特に、人が容易に入ることの出来ない場所に限って絶景という言葉では足りない程の美しい景色を拝むことが出来るのです。苦労して辿り着いた先でその様な景色が迎えてくれれば感動もひとしおというわけです。

話は戻り、私にとっての渓流釣りの目標はここでは場所を伏せますが、一つ目に、県内随一のある河川の最奥にある岩清水まで辿り着くこと。二つ目に、某河川の源流部にある超巨大な奇岩群を目の当たりにすること。三つ目に、未だ未踏とされる県内河川の最奥に控える幻の滝の瀑下に辿り着くこと。
以上が私にとっての渓流人生の三大目標ですが、それに加えてもう一つ大きな目標がありました。それは山岳渓流にて40㎝を超える大岩魚を釣ることです。
一昨年に37㎝の岩魚を釣り上げて感動したのを覚えていますが、痩せ細って尾鰭もボロボロでした。



しかし、今年6月6日に目標を大きく上回る、正に怪物と形容するに相応しい大岩魚を釣り上げることになるのです。

当日はとにかく豊かな釣果を得たいという思いで、近所の山で今年大発生したマイマイガと思われる幼虫をかねてより採取して持参していました。
正直なところ毛虫なんて触りたくもなかったのですが、市販のブドウ虫で安定した釣果を得られるのなら毛虫なんて渓魚にとってはブドウ虫以上のご馳走だろうという推測から渋々採取した次第です。3年程前の渓流釣りの際藪漕ぎを繰り返したり葉を揺らして餌となる虫を採取したりした日の夜中に気が狂いそうになる程の痒みに襲われたことがあります。翌日は身体中に湿疹が現れ皮膚科に受診し、事の経緯を医師に話すと即座に毛虫皮膚炎で間違いないとの診断が下され塗り薬を処方されました。曰く、肌を露出していなくても毛虫の毒針毛は衣類の縫い目を容易にすり抜けて皮膚を突き刺すのだとか。
そんな苦い思い出が毛虫にはあるのですが、背に腹はかえられぬというやつです。

早朝に現地へ到着し入渓後しばらくは川を遡行し兎に角上流を目指しました。如何せん釣り人の多く入る川ではあるが、それを補って余りある程魚影が豊富な川でもあるのです。

好ポイントを横目に1時間半以上遡行した辺りで、良渓の誘惑に耐え切れず竿を出すことにしました。
最初は道中で捕まえたカワゲラの成虫を餌に打ち込みました。二投目で水面を漂うカワゲラにヤマメが飛びついてきましたがヒットには至らず。しかし魚影の濃さは健在であることに胸を撫で下ろしたのも束の間、持参した毛虫を好ポイントに幾度となく打ち込むもほとんど当たりがなく時間だけが無情に過ぎていきました。
結局半日で2匹程度の釣果で、期待していた分後半はかなりイラついていました。毛虫には期待出来ないと途中でルアーに変更するも、イラつきが渓魚に伝わっているのかチェイスはあるもののヒットに至らず。もはや石化けどころではなく川底まで響く程の大きなため息を吐く始末でした。

やはり餌釣りで再起をかけようとルアーロッドを振り出し竿に持ち直して再度再開することにしました。途中でフキの葉にしがみついていたキリギリスの幼虫を捕まえて針掛けし、その日最後となる連瀑地帯の淵へ打ち込みました。

一投目は不発、そして二投目を打ち間もなく目印は水中に消し込み、合わせた瞬間に大きな尾鰭で水面をバシャン!と穿つ魚体が見え間違いなく大物であると確信しました。
魚は縦横無尽に川底を駆け巡り、そこで自分の想像以上の、それこそ40㎝を超える大物であると再度確信しました。
何とか下流に引き寄せることに成功し魚体の全容を目の当たりにすると思わず息を飲みました。

「でかい・・・」

それ以外の言葉は見つからず、心中は「必ず獲りたい」という欲望一点のみでした。下流まで引き寄せたかと思えばとんでもない力で上流へ走り川底で停滞してしまい、まるで根掛かりしている程押しても引いてもびくともしません。このままこいつを休ませるのは不味いと思い魚体に近づくが、やはりいなすことの困難な遊泳で流れ込みの隙間に潜り込まれ、まるで根魚が鰓を開けて岩の隙間で踏ん張るが如く動じなくなってしまいました。

一か八か糸を手繰り寄せると僅かに魚体に触れることが出来たため、タモを水中に構えて手で魚体を引き摺り出そうとすると見事というべきか運良くというべきか、とにかくその魚体はタモに上手く入ってくれたのです。
思わず歓喜の声を上げるが、水中から引き上げても兎に角馬鹿力の大岩魚がタモから飛び出そうと大暴れでてんやわんやです。
仕掛けはハリスからぷっつりと切れており正に間一髪であったと言わざるを得ません。




釣り上げた当時相当焦っていたこともあり計測方法を間違っていましたが、52㎝であることを確認出来ました。



山岳渓流にて40㎝以上の岩魚を釣り上げるという目標に対してまさかこのような結果が待ち受けているとは夢にも思っていませんでした。
渓流釣りを始めてから20年以上、この時ほどの感動を味わったことはありません。これは私の生涯で大切な思い出と誇りになりました
。しかし、おそらくもう二度とこの様な大物が目の前に現れることはないでしょう。
目標としていた数ある山の一つを踏破して少し物悲しい気分もあります。

言うまでもなくこの日は納竿し退渓しました。余韻覚まさぬ様に。



      滝壺に帰る岩魚



よろしければYouTubeもご覧ください。