寄り道フィッシング、釣りと自然を語る

釣りや自然を気ままに語ります。

秘匿の美学

2023-08-26 18:37:00 | 日記
この記事の見出し画像を見てこの川の名前を当てることが出来る人間が果たして何人いるだろうか。
世の中には全国津々浦々の滝を巡るような物好きもいるので、そういった人の目に留まればあるいは即座に解答できるかもしれない。しかし私の過疎ブログが、大衆はおろかニッチな趣味の人間の目に留まることなどおそらくはないだろう。

エッセイストである山本素石の書籍にこんな様なことが記されている。素石がある釣り雑誌の記者から取材を受けた際に言われたことによれば、海釣り師は開放的で陽気な人が多い一方で渓流釣り師は閉鎖的で陰気な人が多いと。
素石は1988年に既に亡くなっており、この取材を受けたのはおそらく昭和の中頃〜後期であると考えられるが、この記者が釣り人別に抱く印象に関してはつい声を出して笑ってしまったのと同時に、既に2世代先の令和となった現代においてもその名残りは色濃く受け継がれていると考えます。

海が近い釣具店なんかで店主に釣果情報を聞けば新鮮で有力な情報を惜しげも無く教えてくれますし、大手の釣具店なんかはホームページや店先のホワイトボードで海釣りの情報を事細かに書き記してさえくれます。
一方で渓流に関してはどうですか。インターネットで調べてもろくな情報もなく、もちろん釣具店のホワイトボードにヤマメやイワナの釣果情報が記されていることなどありえません。その上釣り場ですれ違っても挨拶こそするものの釣果を偽ったり、詳細な情報は頑なに伏せたりと、令和の時代になっても未だに渓流釣り師がいかに閉鎖的かつ秘密主義者であるかということが見て取れます。


ここまで改めて読んでみると渓流釣り師って陰気臭くて取っ付きにくい様な印象に見受けられてしまいそうですが、私はそれで良いと思うのです。海と違って渓流は場所が特に限られてしまいますし、種の保全の観点からいっても、秘匿され続けてきた渓の存在を大衆が知ることは望ましくないと思うのです。
正直言うと「自分だけが知っている場所を他人に知られたくない」という独占欲が私を含めた渓流釣り師の本音ではあると思うのですが。そういった人達は往々にして自分達が今後もそこで釣りを楽しむために、キャッチアンドリリースを徹底して、人の手で渓魚を枯らさぬ様にと意図せず取り計らっているのです。

しかし、科学技術が日々進歩する現代。スマホが一台あれば現地へ行かずともどこに川や山道があるかなど容易に調べることが出来ます。

渓流釣り師達が秘匿してきた隠し沢も、全てが暴かれる未来がすぐそこにあるのかもしれません。

怪物

2023-08-12 11:17:00 | 日記
海釣りであれ川釣りであれ、釣り人であるなら誰しもが大物を釣りたいと思っていることでしょう。当たり前のことだが魚種によってその全長は大きく異なり、タナゴなんかは全長が10㎝程度と釣りの対象魚としては最小で、逆に日本最大の淡水魚であるイトウは過去に2メートル以上の大物が獲れたと記録にも残っています。
大物を釣り上げるというのは釣り人にとって一つの最終到達地点であると思います。

当ブログでは取り分け渓流に関する記事を主に記述しているわけですが、御多分に洩れず私にとっても渓流釣りにおける大きな目標があります。

渓流釣り師はいろいろな川で釣りをします。足繁く通うようなお気に入りの川もあるでしょうがほとんどの釣り師はそれはもう各地の川へ赴きます。その理由はやはり渓によって全く違う様相を呈していることが大きな要因でしょう。特に、人が容易に入ることの出来ない場所に限って絶景という言葉では足りない程の美しい景色を拝むことが出来るのです。苦労して辿り着いた先でその様な景色が迎えてくれれば感動もひとしおというわけです。

話は戻り、私にとっての渓流釣りの目標はここでは場所を伏せますが、一つ目に、県内随一のある河川の最奥にある岩清水まで辿り着くこと。二つ目に、某河川の源流部にある超巨大な奇岩群を目の当たりにすること。三つ目に、未だ未踏とされる県内河川の最奥に控える幻の滝の瀑下に辿り着くこと。
以上が私にとっての渓流人生の三大目標ですが、それに加えてもう一つ大きな目標がありました。それは山岳渓流にて40㎝を超える大岩魚を釣ることです。
一昨年に37㎝の岩魚を釣り上げて感動したのを覚えていますが、痩せ細って尾鰭もボロボロでした。



しかし、今年6月6日に目標を大きく上回る、正に怪物と形容するに相応しい大岩魚を釣り上げることになるのです。

当日はとにかく豊かな釣果を得たいという思いで、近所の山で今年大発生したマイマイガと思われる幼虫をかねてより採取して持参していました。
正直なところ毛虫なんて触りたくもなかったのですが、市販のブドウ虫で安定した釣果を得られるのなら毛虫なんて渓魚にとってはブドウ虫以上のご馳走だろうという推測から渋々採取した次第です。3年程前の渓流釣りの際藪漕ぎを繰り返したり葉を揺らして餌となる虫を採取したりした日の夜中に気が狂いそうになる程の痒みに襲われたことがあります。翌日は身体中に湿疹が現れ皮膚科に受診し、事の経緯を医師に話すと即座に毛虫皮膚炎で間違いないとの診断が下され塗り薬を処方されました。曰く、肌を露出していなくても毛虫の毒針毛は衣類の縫い目を容易にすり抜けて皮膚を突き刺すのだとか。
そんな苦い思い出が毛虫にはあるのですが、背に腹はかえられぬというやつです。

早朝に現地へ到着し入渓後しばらくは川を遡行し兎に角上流を目指しました。如何せん釣り人の多く入る川ではあるが、それを補って余りある程魚影が豊富な川でもあるのです。

好ポイントを横目に1時間半以上遡行した辺りで、良渓の誘惑に耐え切れず竿を出すことにしました。
最初は道中で捕まえたカワゲラの成虫を餌に打ち込みました。二投目で水面を漂うカワゲラにヤマメが飛びついてきましたがヒットには至らず。しかし魚影の濃さは健在であることに胸を撫で下ろしたのも束の間、持参した毛虫を好ポイントに幾度となく打ち込むもほとんど当たりがなく時間だけが無情に過ぎていきました。
結局半日で2匹程度の釣果で、期待していた分後半はかなりイラついていました。毛虫には期待出来ないと途中でルアーに変更するも、イラつきが渓魚に伝わっているのかチェイスはあるもののヒットに至らず。もはや石化けどころではなく川底まで響く程の大きなため息を吐く始末でした。

やはり餌釣りで再起をかけようとルアーロッドを振り出し竿に持ち直して再度再開することにしました。途中でフキの葉にしがみついていたキリギリスの幼虫を捕まえて針掛けし、その日最後となる連瀑地帯の淵へ打ち込みました。

一投目は不発、そして二投目を打ち間もなく目印は水中に消し込み、合わせた瞬間に大きな尾鰭で水面をバシャン!と穿つ魚体が見え間違いなく大物であると確信しました。
魚は縦横無尽に川底を駆け巡り、そこで自分の想像以上の、それこそ40㎝を超える大物であると再度確信しました。
何とか下流に引き寄せることに成功し魚体の全容を目の当たりにすると思わず息を飲みました。

「でかい・・・」

それ以外の言葉は見つからず、心中は「必ず獲りたい」という欲望一点のみでした。下流まで引き寄せたかと思えばとんでもない力で上流へ走り川底で停滞してしまい、まるで根掛かりしている程押しても引いてもびくともしません。このままこいつを休ませるのは不味いと思い魚体に近づくが、やはりいなすことの困難な遊泳で流れ込みの隙間に潜り込まれ、まるで根魚が鰓を開けて岩の隙間で踏ん張るが如く動じなくなってしまいました。

一か八か糸を手繰り寄せると僅かに魚体に触れることが出来たため、タモを水中に構えて手で魚体を引き摺り出そうとすると見事というべきか運良くというべきか、とにかくその魚体はタモに上手く入ってくれたのです。
思わず歓喜の声を上げるが、水中から引き上げても兎に角馬鹿力の大岩魚がタモから飛び出そうと大暴れでてんやわんやです。
仕掛けはハリスからぷっつりと切れており正に間一髪であったと言わざるを得ません。




釣り上げた当時相当焦っていたこともあり計測方法を間違っていましたが、52㎝であることを確認出来ました。



山岳渓流にて40㎝以上の岩魚を釣り上げるという目標に対してまさかこのような結果が待ち受けているとは夢にも思っていませんでした。
渓流釣りを始めてから20年以上、この時ほどの感動を味わったことはありません。これは私の生涯で大切な思い出と誇りになりました
。しかし、おそらくもう二度とこの様な大物が目の前に現れることはないでしょう。
目標としていた数ある山の一つを踏破して少し物悲しい気分もあります。

言うまでもなくこの日は納竿し退渓しました。余韻覚まさぬ様に。



      滝壺に帰る岩魚



よろしければYouTubeもご覧ください。

山岳渓流の門番

2023-08-06 21:18:00 | 日記
現在8月の上旬。平地では猛暑日が連日続き、週末や連休にもなると避暑地を求めて田舎の原風景を流れる冷涼な清流へ各地から人々が集まる季節となってきました。


世の中とは上手く回らないもので、クーラーの効いた喫茶店にでも入れば一杯500円もする珈琲でも頼まなければいけないし、週末に海なんて行った日には人でごった返している始末。

さて、それじゃあ山奥の人が容易に入れない渓流で涼を取ろうとするとそれを許さない山の門番達に行手を阻まれます。

盛夏の山岳渓流沿いの林道を車で走っていると車体をコツンコツンと小突いてくる無数の虫がいます。
その正体は大小様々なアブの大群。大型のアブだと、スズメバチを模した様な姿の“アカウシアブ”なんかは見た目のインパクトこそ強烈で、刺されればそれは痛いのでしょうが、本当に恐ろしいのはちっこい方のアブなのです。
我が新潟の渓流釣り師の間では“メジロアブ”という愛称で親しまれて?いますが、正式名称を“イヨシロオビアブ”という小型のアブで、こいつがとてつもなく厄介な存在です。

イヨシロオビアブの何が恐ろしいかと言ったら、単純な人海戦術を駆使して襲い掛かってくるところです。10匹や20匹などという生易しさではなく100匹や200匹という大群で周囲をブンブンと飛び回られると、いくら毒性がないとはいえ「殺されてしまうのではないか」と錯覚してしまいます。
更に厄介なことに、蚊取り線香の強化版とも言える“パワー森林香”を焚いても、ディート濃度の濃い虫除けスプレーやハッカスプレーを身体中に振りかけても何の効果もなく変わらずブンブンと飛び回られます。

山への侵入者に襲いかかってくるのはアブだけではありません。これまた特に盛夏の渓流で多く見られる“ブユ”がとにかく厄介。
アブは刺されるとチクッとした痛みはあるものの先程述べた通り毒性はありません。しかし、このブユという虫、見た目は小蝿のようですがアブと同じように吸血昆虫でしかも毒を持っています。
こいつは刺された瞬間は少量出血はあるものの痛みはありませんが、刺されて時間が経過していくとともにとんでもなく激しい痒みに襲われます。酷い時には発熱を伴ったり最悪アナフィラキシーショックを起こしてしまう可能性もあります。

そしてアブやブユに気を取られていると今度は足元からは同じく衛生害虫のヤマビルが這い寄ってきます。こいつもまた厄介で気づかないうちに足元から這い上がり服の中に侵入してやはり吸血してきます。ヤマビルは吸血する際にヒルジンという血液凝固する作用を妨げる成分を注入してきます。知らぬ間に体から出血している箇所を見つければそれはもうびっくり仰天。またウネウネとしながら人に這い寄る姿は単純な気色悪さを感じずにはいられません。


5月6月という渓流釣りの最盛期が終わり真夏の盛りで中々外に出掛けるのも億劫で、家でゴロゴロ過ごす日々が続きます。久々に渓流釣りに出掛けようかと「よし!」と意気込むものの、頭の中を過ぎる吸血害虫の存在を思うとやはり重い腰は上がってくれません。


人間にとっては非常に厄介な存在の害虫も渓流魚にとっては厄介な釣り人を追い払ってくれる山岳渓流の門番なのかもしれません。

山怪

2023-08-04 13:34:00 | 日記
渓流釣りをしているとふとした時にナニかの気配を感じたり、山奥に自分一人の筈なのにナニモノかの話し声が聞こえたりすることがあります。

渓流釣り師が山中で特に警戒するのが熊との接敵であると思われますが、沢歩きをしていると稀に強い獣臭が漂ってくることがあります。そんな時には大声を唸り上げたりホイッスルをけたたましく鳴らしたりと他人には見せられないほど無様に自身の存在をアピールするものです。

一度高まった警戒感は鋭さを増して周囲の気配に更に過剰に更に過敏になってしまいます。時にそれは本来聞こえない音や見えない物まで見せてしまうほどです。


とある釣り師の話

その方は当日、久しぶりの渓流釣りに心躍らせて自宅から片道2時間のN川へ向かっていました。


有名河川にも関わらず現地駐車場には先行者の車は止まっていませんでした。時期は6月の中頃、自宅を3時過ぎに出発したこともあってか、太陽は上りきっておらず辺りはまだ薄暗い、少しひんやりとした空気が立ち込めていました。


駐車場からすぐ入渓できることもあり早速釣り仕掛けをセットし、意気揚々と釣りを始めました。

両岸に針葉樹と広葉樹の入り混じった渓は「ザーーー一」という、川の流れる音のみで、静寂と喧騒を肌で感じる何とも言えぬ雰囲気を携えていました。


しばらくアタリがないまま遡行していくと、すでに太陽は昇っているものの、釣り座は左右を深い藪で覆われた何となく嫌な圧迫感を感じる景色に変わっていきました。そんな中でも釣りを続けていると、仕掛けに付けている目印が水面直下へ消し込むやいなやそのアタリに即合わせ、魚とのやり取りの後には何とも綺麗なニッコウイワナの姿を拝むことが出来ました。


釣り上げたイワナの姿を手に取ってマジマジと見つめていると、背後の藪から「ふふふふふ」と、男とも女とも言えないくぐもった無機質な笑い声が不意に聞こえ、急な出来事に「うわぁ!」と声をあげました。

視線を藪の方へ向け神経を傾けるも、聞こえてくるのは「ザーーーー」という川の流れる音のみでした。


藪を抜ける風の音だったのか、水流が川底の岩を舐める音だったのか、はたまた得体の知れない何かだったのか、今となっては確かめる術はありません。


何とも言えない不気味さを感じたまま渓を後にするのでした。




古今東西渓流釣りを嗜む大抵の釣り師は奇妙な体験談の一つや二つ持っているもので、それは釣り仲間との晩酌の肴に最適です。


しかし、“アオの寒立ち”だの“送り狼”だの“岩魚坊主”だの、山にまつわる伝説的な出来事はあまりにも多く、山中での恐ろしい出来事を山岳信仰として奉った当時の人々の心境には共感せざるを得ません。