ヨロコ燈

心に小さくともすもの。

小学生の時、何故、あんなにも外で遊びたかったのだろう。

2025年03月06日 | 日記
先日、非常に寒い一日だったが、小学校の横を通った際、休み時間らしく、校庭で大勢の子供達が薄着で元気良く遊んでいた。

その姿が、まるで違う世界の生き物のように思え、まぁこの寒い中よーやるわ、と半ば呆れたのだが、考えたら自分も小学生の時は全く同じだった。「子供は風の子」と言うが、いつの時代もそうなのだ。

登校して教室にランドセル・鞄を置くと校庭にすっ飛んで出て遊び、2時間目が終わると所謂20分休みで、校庭にすっ飛んで出て遊び、給食をかっ喰らうと校庭にすっ飛んで出て遊び、放課後も下校の音楽が鳴り出すまで校庭で遊んでいた。とにかく外に出て遊びたかったのだ。何故、あんなにも外で遊びたかったのだろう。これは理屈でどうこうではなく本能的な物で、生育上不可欠な要素でもあったのだろう。

真冬であっても、余程でない限り、半ズボン、半ズボンと言っても、膝丈位のではなく、もっと短い物だったが、それで通した。男子は大体そうだった気がする。中には年中(だったと思う)タンクトップ+半ズボンという子も居た。

何をして遊んだのか。低学年の頃は良くうんていをやって豆を潰したものだったが、中・高学年の頃良くやったのは、「手打ち」と呼んでいた、ゴムボールを使った手打ち野球や、「4(よん)ピン」と呼んでいたと思うが、「田」の字型に線を引き、それぞれのマスにひとりずつ入って、バレーボール位の大きさのボールを手で打ち合って、ひとりずつ倒して行くという遊びだった。考えたら、4ピンは老若男女分け隔て無く出来る遊び、スポーツだと思うな。

画像は当時物のmolten tangoとmolten serve。さすがにもう実使用には耐えないだろうが。