ヨロコ燈

心に小さくともすもの。

押麦、ビタバァレーを土鍋で炊く。

2025年03月10日 | 日記
米は父に回して、私自身は基本的に、完全な麦飯に移行することにした。そのために炊飯器をもう1台調達する気は無く、土鍋を使う。

普通の6号土鍋で良いかと思ったが、ご飯を炊く場合は少し底が深い物が良いらしく、実際販売されている炊飯土鍋を見るとそういう形状をしている。そこで、薬を煎じるためか何かの土鍋を使うことにする。

先ずは押麦から。半合入れる。↓



水を1カップ強。火に掛ける前に一応予め2、30分漬けておく。↓



内蓋代わりに適当な椀かどんぶりを被せる。↓



小さなコンロを使う。先ず一番強い火で5、6分、続いて一番弱い火で10分強程度。後は暫く放置。↓



出来上がり。見た目、味、食感いずれももち麦と殆ど区別が付かない。水が少なかったかな、つぶつぶ、ポロポロで、箸で食べることが出来ず、匙ですくって食べた。↓



ビタバァレーもやってみた。↓







埋もれているのは薩摩芋。もち麦、押麦に比べればご飯ぽい見た目になる。箸で食べられる。味、食感は米とは違うが、これはこれで普通に食べられる。やはり水加減を詰めたい所。もち麦、押麦、ビタバァレー、どれにするかということならコレかな。



今回使った押麦、ビタバァレー共にTOPVALUの物。製造ははくばく。店頭販売価格はどちらも現在800g298円。値上げする以前は268円?228円??とかだったかな?忘れた。1kg372.5円、5kg1862.5円という計算になる。ちなみにもち麦は800g398円。これもツイ先日まで318円とかじゃなかったっけ…?違うか?

小学生の時、何故、あんなにも外で遊びたかったのだろう。

2025年03月06日 | 日記
先日、非常に寒い一日だったが、小学校の横を通った際、休み時間らしく、校庭で大勢の子供達が薄着で元気良く遊んでいた。

その姿が、まるで違う世界の生き物のように思え、まぁこの寒い中よーやるわ、と半ば呆れたのだが、考えたら自分も小学生の時は全く同じだった。「子供は風の子」と言うが、いつの時代もそうなのだ。

登校して教室にランドセル・鞄を置くと校庭にすっ飛んで出て遊び、2時間目が終わると所謂20分休みで、校庭にすっ飛んで出て遊び、給食をかっ喰らうと校庭にすっ飛んで出て遊び、放課後も下校の音楽が鳴り出すまで校庭で遊んでいた。とにかく外に出て遊びたかったのだ。何故、あんなにも外で遊びたかったのだろう。これは理屈でどうこうではなく本能的な物で、生育上不可欠な要素でもあったのだろう。

真冬であっても、余程でない限り、半ズボン、半ズボンと言っても、膝丈位のではなく、もっと短い物だったが、それで通した。男子は大体そうだった気がする。中には年中(だったと思う)タンクトップ+半ズボンという子も居た。

何をして遊んだのか。低学年の頃は良くうんていをやって豆を潰したものだったが、中・高学年の頃良くやったのは、「手打ち」と呼んでいた、ゴムボールを使った手打ち野球や、「4(よん)ピン」と呼んでいたと思うが、「田」の字型に線を引き、それぞれのマスにひとりずつ入って、バレーボール位の大きさのボールを手で打ち合って、ひとりずつ倒して行くという遊びだった。考えたら、4ピンは老若男女分け隔て無く出来る遊び、スポーツだと思うな。

画像は当時物のmolten tangoとmolten serve。さすがにもう実使用には耐えないだろうが。

スプレー菊(スプレーマム)にはそれぞれちゃんと名前があるんだな…

2025年03月05日 | 日記
昨日買った切り花の見切り品、スプレー菊(スプレーマム)とスプレーカーネーション。スプレー菊はガーネットという名前のようだ。

前回買ったスプレー菊、花の真ん中が、最初は割と平らな感じだったが、仕舞いにはこんなにぼっこり大きく膨らんだ。こっちはレミダスという名前のようだ。


「うれしいひなまつり」の替え歌と、我が家のひな壇怪談。

2025年03月03日 | 日記
ひな祭りの思い出と言えば、何と言っても「うれしいひなまつり」の替え歌である。我々はこうだった。

あかりをつけましょ爆弾に
お花をあげましょ毒の花
五人ギャングに連れられて
今日は悲しいお葬式

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うちにも七段飾りのひな人形があった。母も姉もその人形を大変気に入っていた。飾り付けの手伝いをするのが年中行事になっていたが、母は、絶対に顔に触っては(=汚しては)ダメよ、としつこく念押ししたものだ。

そのひな人形は、姉が嫁ぐ際一緒に連れて行くことになったが、母は非常に名残りを惜しんだらしい。

姉にはその後色々なことがあり(お察し下さい)、その中で、ひな人形が行方知れずになってしまった。ただ、どういう訳かひな壇だけは無事発見された。

あの人形達は皆いづくに行ってしまったのだろうか。五人ギャングに連れられて行ってしまったのだろうか。だとしたら可哀想なことだ。

後日譚。残されたひな壇は、何故かうちで引き取ることになった。

どーすんだよコレ。