ヨロコ燈

心に小さくともすもの。

約束〜きまぐれ・ショートストーリー

2025年01月29日 | 日記
旅立ちの日。

遠く離れた土地で、オレの人生の新たな一歩が始まる。

空港まで、見送りにと、彼女が付いて来てくれる。遠いし、わざわざ来なくて良いよと言ったのだが、ううん、一緒に行くからと。

駅のホーム。寒い。雪がちらついて来る。彼女がどうも薄着に見えるので、上からコートを着せ掛ける。

彼女は、ほとんど口を利かない。元々お喋りな方じゃないし、感情表現も豊かとは言えないが、それにしてもいつもと様子が違う。





オレは彼女を黙って見ていた。その視線に答えるように、彼女はこう漏らした。喋ったら泣いちゃいそうだから……と。

このまま一緒に連れて行ってしまいたい。彼女が綺麗になって行く、愛しげになって行くその一瞬一瞬を見逃すのが、ただ惜しい。

必ず迎えに来るよ、なるべく早く……約束する。

オレはそう告げる。

彼女が、背後の夕陽のように、少し頬を紅潮させる。

うん、待ってる……約束する。

ちらつく雪の遥か向こう、一点の光がやはりちらちらと明滅している。

列車が近付いて来る。

カメラ・オブスクラの中へ。

2025年01月28日 | 日記
作品制作を想定した撮影行から遠ざかってしまって久しい。

自分が昔撮った写真を見ていて、これは、先ず肉眼でどのように見えていたのか、何故それを撮ろうと思ったのか、どのように写そうと思ったのか、レンズ(画角)、絞り(深度)等をどう考えたのか、印画紙に焼く際、引き伸ばしレンズはどれを選んだのか、フィルターワーク(号数)はどう考えたのか、ドッジングやバーニングの際何に重きを置いたのか、実際想定の結果になったのか…自分のした事でありながら、色々な事が今更ながら気になってしまう。

ファインダーを覗くという行為は、カメラ・オブスクラの中へ入り込んで、投影されている事物を視るという事だ。それは、ただ突っ立って裸眼で眺めているのとは明らかに違う。本当に、違う世界に入り込んでしまうものなのだ。

裸眼で見ていて、これは良いぞ!と思いつつカメラ・オブスクラの中に飛び込んでみたら、全然パッとしなかった、という事は割とある。一応撮ってはおくが、やはりどうにもならなかったりする。

逆に、何てことない風物なのに、カメラ・オブスクラの中から窺うと、とんでもない事になっている、なんて事もある。それが写真撮影の醍醐味で、その嗅覚を如何に養うか、なのだ。以前は、ただ道を歩くだけでも、あちこちを見回しながら、あれをこう撮って、こういう仕上がりにする、なんて事を一々考えた物だった。撮る為に考え、考える為に歩き、歩く為に撮る。

また何かやりたいな。

カーバッテリーのケーブルを外す・付ける順番の話。

2025年01月27日 | 日記
クルマのバッテリーが寿命を迎えたらしい。

クルマの利用頻度が極端に少ない我が家。先日エンジンを掛けようとしたら、うんともすんとも言わず。

バッテリーの健康?状態を表すインディケーター、良好であれば緑、要充電であれば黒だが、これが真っ黒け。そこで充電。しかし幾ら充電しても真っ黒の侭。充電器の方のランプも満充電にならない。

前回の交換は2019年10月。本来ならもっと早くに交換していなければならなかったのだろう、特にウチみたいな、クルマの出番が滅法少なく、あってもチョイ乗り、という乗り方してると。

で、全く同じバッテリーを通販で買って交換した。インディケーター、綺麗な緑色。

その後、バッテリーに添付されていた説明書に、何となく目を通していたら、バッテリーの交換方法の項で、取り外す際は−側から、取り付ける場合は+側から、といった内容があった。うん、ちゃんとその通りにしたよ。

でも、あれ?どっちからだっけ?とわからなくなる事も過去にはあった。

そうだ、これは覚え方が上手くないのだ、多分。外す時はマイナス、着ける時はプラス、なんて、記憶する要素がタブルで対称を成しているので、どっちがどっちだかわからなくのも無理は無い。

対称的に覚えるのは止めよう。要は、ケーブルを片方だけ装着している状態があるとすれば、それは、より目立つ「赤」の方だ、という事だ。この覚え方の方がまだ良い。