昭和20年8月17日蘇緯埃聯邦が占守島に進行して来た為樋口季一郎中将が徹底交戦を命じて北海道陥落は、免れたのまでは、知っている人は、知っていますが原因は、ヤルタ会談でFDRとスターリンの密約に有ったのまでは知られていない。
戦時国際法では、降伏勧告受諾した国への攻撃は、降伏文書署名前で有ってもしては、いけないし受諾後24時間以内に停戦する事双方自衛目的以外の戦闘は、禁止とする。
スターリンは、降伏文書署名前に占領した所迄蘇聯領に出来ると言う戦時国際法違反の解釈で攻撃して来た為に日本の分割統治無しに去れたと言う問題も後で発生していますね。
何故蘇聯が攻撃して来たのかてヤルタ会談でFDRとの密約で北海道を蘇聯にと日本に無断で約束した国際法違反行為です。
樋口季一郎中将が北海道の師団指揮しているために全米ユダヤ人協会通じて蘇聯に抗議迄行われたですね。
何故全米ユダヤ人協会が蘇聯に抗議したのかは、ユダヤ人救出やユダヤ人のアメリカ合衆国渡航を手助けしたのが樋口季一郎関東軍参謀大佐だった欧州から追われたユダヤ人を満州入国日本経由でアメリカ合衆国渡航させたのも樋口季一郎大佐が上官の東條英機関東軍参謀長に進言し日本政府の判断でユダヤ人の満州入国と日本通過を認めた為ですね。
ユダヤ人は、蘇聯で酷い扱いを受けていたので蘇満国境に満州入国要請した時に動いたのが樋口季一郎大佐だった。
何故樋口季一郎大佐が動けたのかは、蘇聯の各国に駐在武官勤務や北欧中欧にも勤務したことがありロシア語フィンランド語ドイツ語フランス語英語等15言語を話せる為ですしね。
諜報機関のトップ樋口機関を指揮していただけは、有って蘇聯や共産主義者の動きは、掴んでいたためとか当時ナチスに懐疑的だった日本陸軍と日本政府の方針でユダヤ人を助けた。
樋口季一郎が将監に成った為樋口機関は、藤原機関に代わりましたが終戦直後樋口季一郎中将は、蘇聯が来るかも知れないと踏んでいて装備の海没等の放棄は、18日とすると指揮下の部隊に通告していたため戦闘出来たのです。
日本軍日本政府の最大の敵は、共産主義ですね。
樋口機関も藤原機関も亜細亜に共産主義蔓延を防ぐ為に動いていますしね。
蘇聯の目的は、表向きは、樋口季一郎中将の引き渡しだったが侵略目的だったのだけどね。
そもそもコミンテルの狙いは、煮え湯飲まされた樋口季一郎中将を戦犯指定前に捕まえるのと占領の一石二鳥狙ったが全米ユダヤ人協会等が全米世論誘導した為に千島列島と南樺太の露西亜人等保護の為の占領に止めさせたのです。
武力抗争しなければ日本分割統治に成ったのに全米ユダヤ人協会等の反発で分断無しに成った日本なのですね。
蘇聯兵と言っても露西亜兵じゃ無くて宇克蘭兵が多いですからね。