男系男子と言うと戦後離脱の11宮家と思われていますが戦前戦中離脱の賀陽家次男三男東久邇宮稔彦王の次男栗田侯爵等も多く居ますのでね。
東久邇宮稔彦王の長男盛圧王の妃は、昭和天皇と光淳皇后の第1子照宮成子内親王ですし稔彦王の妃は、明治天皇の内親王ですのでね。
盛圧王と成子内親王の間に男子が3名産まれて更に孫も入れると存命10名盛圧王は、再婚後男子2名が新たに産まれました。
皇族本体寄りも男系男子が多い東久邇宮家等が筆頭に100名を越える男系男子が存命しているのですがね。
賀陽家は、本家に男系男子が若年2名他ですしね。まだまだ沢山居ますのでしばらく男系男子は、跡絶え無いですよ。
過去には、内親王と婚姻して即位した天皇も居ますし傍系のほとんど臣籍降下寸前で上位女王や内親王と婚姻してその間の子が即位したり臣籍降下後復帰して即位した天皇も居ますしね。
過去の天皇は、内親王と婚姻で皇太子(皇嗣)に成った傍系男子も居ますのでね。
皇族に男子が少なく成ると臣籍降下や出家した男子が復帰して来る等も有った為に皇室典範改正して旧皇族男系男子も即位可能にする方が良いでしょうね。
公務負担軽減悠仁殿下の妃だけにプレッシャー掛けない様にする為にも旧皇族の男系男子は、復帰出来る様にすれば良いでしょうね。
昭和天皇は、皇統は、礼宮に万が一血筋が切れた場合は、照宮の子か孫にと言ってましたですのでね。