YOU-PROJECT BLOG

2001年「ハーフ」(初演時)劇評

京都にC.T.T.事務局という団体があります。
Contenpolary Theatre Trainingの略です。
簡素な(素舞台、地明かり、音響無し)試演会を舞台芸術家の訓練の場として提供することを主な役割としており、京都を地盤にするプロデューサーや演出家が所属してボランティアで運営しています。
 現在はアトリエ劇研を根城にしておりますが、以前は京都市内の小さな劇場をいろいろ回っておりました。スペース・イサンという小劇場でやった2001年4月に参加したのがYOU企画の本格的な公演で、10月本公演をする「ハーフ」の初演、というか原型でした。
 このCTTは試演というだけあって、終演後に事務局員から劇評やアドヴァイスをもらうのです。辛口も多く、終演後は倍疲れるのですが、このときは志を評価してもらったのか、作品の出来不出来よりはあたたかいコメントもありました。当時はその講評を載せた機関紙のようなものを発行されていて、実は今だにネット上に公開されているものを見かけました。
ベトナムからの笑い声という変な名前の劇団代表であり、精華小劇場事務局に勤められている丸井重樹さんの劇評です。■「感性の言語化」 /review by producer というところを探すとあるのですが、ご面倒かとも思い、全文掲載します。

YOU企画「ハーフ」

どんなにオーソドックスな芝居でも、“今までにないもの”を作る意識は必要だ。YOU企画にはそれがあった。
C.T.T.の上演会は、それが本当に“今までにないもの”なのか(本人が新しいと思っているだけかもしれない)、その挑戦はどこまで成功していたのか(ほかにもっといい方法があったのではないか)、そしてその意図がどこまで伝わったのかを検証する場だと、僕は考えている。
上演までにワークショップをやって参加者を募ったり、ある程度は即興で芝居を立ち上げたりすることは、さして目新しいことではない。そして、即興で立ち上がってきたのであろう台詞たちは、逆にぎこちなさを感じさせるものとなってしまっていた。「日常会話を話す人たちを演じる」というパラドックス? それとも、普段からそういう話し方の人? どちらにしても、客席からはどう見えているのか、観客はどう感じるのだろうかという、演出的な目線が足りない感じがした。
親友に奥さんを取られたり、離婚したり、幼なじみと再婚したり、近くに空き巣が入ったり、その犯人に疑われたり、自分は在日だったり、俳優を目指していたり、オーディションに落ちたり、短い時間にさまざまなことが全て舞台の外で起こる。直接事件を扱うのではなく、事件の当事者がたまたま集まるパブリックな空間を設定して、そこで行われる会話でもって、当事者や事件について明らかにしていくと言う手法も、さして新しくはない。
オーバーにやりたくない、あくまでも普通にしたいという思いだけが先行した気がする。もっと言えば、何故そういう方法を選んだのかと言う意図が明確でなかった気がする。
一つ一つの出来事に対する当事者達の態度や変化が、見えないまま時間は流れていく。直接触れなくても、会話の端々や態度から、事件についてや、その人について浮かび上がってくることが目的だったように思うが、残念ながらそこまでは辿りつけなかった。俳優自身の心の中では場面によってさまざまに変化していたのかもしれないが、それを表現することはまた別の問題で、そこには技術が必要だし、少なくとも演出的な工夫が必要だ。「僕はこうなんだから分かってよ」というのでは、観客には何も伝わらない。
今回の上演を経て、演出的な目線や工夫について考えてみてはどうだろうか。次回に期待します。

→とても”演出”が叩かれている。このアドヴァイスのおかげで演出をがんばるようになった、ということはないが、少しは影響があったのかと、今にして思う。あれからW.サローヤンとか横光利一とかシェイクスピアとかいろいろやって、ついに初演の再演を図る。今回は演出家としてきちんと企みを持ち、それを実現する為に日夜努力をしている。ぜひともその成果を観に来ていただきたい。10月公演詳細内容アップはまもなくである。
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