筑前の国からこんにちは!

北九州市を中心に、福岡県とその周辺の情報を発信していきます。

柳川市にある三柱神社は稀有の人徳と武勇を合わせ持つ戦国武将・立花宗茂公と岳父と奥方を祀る神社

2022年09月15日 11時28分18秒 | 神社・寺社

柳川市にある三柱(みはしら)神社は、立花宗茂、岳父・立花道雪、妻・立花誾千代(ぎんちよ)を祀る神社です。



三祭神のうちで、柳川藩祖となった立花宗茂は稀有の強さを持ち、
上からも下からも信頼される私欲のない大人物だったようです。

今まで、戦国時代の歴史が好きで色々な武将の小説を読み漁ってきました。
立花宗茂に関する小説は少なかったこともありかなりあとになり読みました、
その人物像の素晴らしさに感動し胸に刻んでいました。
今回は改めてネットで得た資料を一通り読み直して私なりの立花宗茂公をまとめました。


~豊臣秀吉の九州征伐と立花宗茂~

歴史の表舞台に出てきたのは、豊臣秀吉の九州征伐のときでしょう。

島津藩が九州統一にもう一歩のところまで来たところで立花宗茂の強い抵抗に会い九州征服を断念し
後はズルズルと後退し、秀吉の九州征伐が終わりました。

秀吉は、立花宗茂のその時の人となりと強さに「九州随一の忠義と武勇を持つものなり」と
言わせたそうです。

また、仕えていた大友宗麟の薦めもあり、秀吉の家臣となり柳川8万石の大名になりました。

その後、秀吉より加増を申し渡されたそうですが、分に合わぬ禄高だとことわりを入れたそうです。


~関ケ原の戦い前後~

関ケ原の戦いの開戦の前、立花宗茂公の武勇を恐れた徳川家康が破格の領地を申し入れ徳川方につくよう説得を受け、
かつ家臣の多くが徳川方有利なので豊臣から徳川への鞍替えの勧めたそうです。
宗茂公は今までの秀吉公の恩義に対して忠義が立たぬため断ったそうです。

関ケ原の敗戦後、大阪城に入らず島津義弘公と帰国します、
その際、家臣より島津から滅ばされた岳父(立花道雪)の敵討ちをするよう
部下の進言があるも、弱っているいるものは討つことは許さぬと退け、島津公の深い信頼を受けたそうです。

その後、柳川藩が鍋島と黒田官兵衛に責められたとき、その時の恩義を返すため間に合わなかったものの
島津藩は柳川へ応援を出したそうですが開城には間に合いませんでした。

柳川城は黒田官兵衛などのすすめにより藩の民の守るために潔く開城し引き渡したそうです。

~浪人生活から柳川藩再興へ~

江戸で浪人生活をしていると、家康よりたっての願いで徳川家に仕え、
秀忠、家光公の相談に乗るほど信頼を勝ち取りました。

その後、柳川藩を与えられました。

関ケ原の合戦で徳川に鞍替えし、藩を得た後に絶藩された所も多い中、
旧藩に返り咲いた人は宗茂公ただ一人です。



~三柱神社の祭神~

三柱神社の祭神は、宗茂公と岳父・立花道雪、婿入したその娘の誾千代(ぎんちよ)である。
当初は道雪と宗茂・誾千代が別々に祀られていたものを一緒に祭り三柱神社となりました。


拝殿



拝殿
横から見たところ



参道
参道に掛かる提灯のトンネルは初めてみました。
トンネルの先にある鳥居が印象的でした。


三柱神社の説明板




心字池
回遊式庭園で旧藩公の設計だそうです。
神社にある池は心の字を形作るものが多い気がします。


心字池・ベストアングルー1


心字池・ベストアングルー2



三柱神社を見て、立花宗茂公の忠義や武勇を思い起こしました。

宗茂公は自分から進んで事を起こすところがなく、時代に流れに身を任せながら
その都度信念に基づいて生き抜いてきた人のように思います。

今まで小説などを通して宗茂公を理解していたことに、今一度見つめ直すことができました。
改めて、上から信頼され下からは愛される人なのだと思いました。

ぜひとも、NHKの大河ドラマに取り上げて欲しい方ですね。

 

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櫻井神社・・・福岡県糸島市二見浦の夫婦岩と白い鳥居の神社

2022年07月07日 09時47分28秒 | 神社・寺社










筑前国福岡藩二代目藩主:黒田忠之公が創建した神社です。

櫻井神社のご利益は、『あらゆる縁を結ぶ』というご利益があることで有名だそうです。

そのせいか、糸島とジャニーズの嵐は妙に関係がありそうで、
「嵐」の櫻井翔さんの名字と神社の名前が同じことから、嵐ファンの女性の方が訪れることも多いそうです。
また、糸島には松本潤さん絡みの「潤(うるう)神社」、二宮さん絡みの「二宮神社」も合わせて、糸島の「嵐三社参り」だとか・・・。






鳥居と石灯籠
鳥居の向こうに太鼓橋が見えます。


鳥居と太鼓橋


楼門と手水舎


手水舎
水がなく松ぼっくりが入れてありました。


楼門
楼門の奥に拝殿が見えます。


楼門と拝殿


二見が浦遥拝所(ふたみがうらようはいしょ) 
縁結・夫婦円満の神です。
夫婦岩の縮小モデルがありました。


福岡県糸島の二見ヶ浦には数度来ていますが、初めて、櫻井神社に参拝させていただきました。

櫻井神社について、初めて知ったのは、数年前の嵐の櫻井翔さん絡みで知り、一度は行ってみたいところでした。

神社といえば、一般に朱色で綺麗なところが多いのですが、歴史の重みを感じさせる神社でした。

 

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2022年の初詣は宗像大社

2022年01月07日 23時41分55秒 | 神社・寺社

2022年の初詣は福岡県宗像市にある宗像大社に1月2日にお参りしました。



昨年はコロナの影響で初詣はせず、日を変えて6月にこの宗像大社にお参りしました。

今回の初詣に人出はコロナのなかった三賀日の賑わいを見せていました。

車の渋滞がひどく宗像大社までの距離1kmを1時間かけて宗像大社の駐車場にたどり着きました。

参拝のコースと写真番号
写真の説明に出る名前も入れました。


① 二の鳥居と多くの参拝客
今年は正月らしい参拝客の賑わいを見せてくれました。



 ② 石灯籠と心字池
沖ノ島から見つかった国宝の写真が掲示されていました。
石灯籠は宗像大社の復興に心骨を注いだ出光佐三の寄進によるものだそうです。



 ③ -1 手水舎(左)、神門(右



③-2 神門(中央)、手水舎(左)、祓舎(右)
参拝のための行列が参道を埋めていました。


④  拝殿
二礼二拍一礼で参拝します。
家内安全、交通安全、厄払いをお願いしました。
厄年は60歳を超えるとなくなるというのが通説ですが、70を超えると毎年が厄年のようなものになり、
その傾向が強くなるらしいです。
昨年から、毎年厄払いのお守りを頂くようにしました。



⑤-1 高宮参道入口
高宮祭場への参道入口で、高宮祭場は大社で最も神聖な場所で古代祭祀の跡を色濃く残しています。


⑤-2 末社(まっしゃ)
末社は、大社に付属する神社でこの場所に宗像郡内の末社が集められ、祀られたものです


⑤-3 末社と本殿


⑥ 鎮守の森の道
高宮参道です、高い木々に覆われた尊厳な雰囲気の道です。


 ⑦ 太鼓橋、心字池



⑧ 一の鳥居
一の鳥居の外の通りは、参拝に来ている車で大渋滞です。


自宅の近くに神社があるのですが、毎年遠くに初詣に行っています。

娘たちが初詣先を決めているのですが。遠くの著名な神社がご利益が高いと思っているのでしょう。

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福岡の日本三大愛宕神社

2021年05月31日 22時31分29秒 | 神社・寺社

福岡県福岡市西区にある愛宕神社は日本三大愛宕神社(あとは京都、東京)の一つです。

愛宕神社は、高さ65mの愛宕山の頂上に建立されペイペイードーム、福岡タワー、ヒルトン福岡シーホーク(シーホークホテル)、マリノアシティ、
玄界灘などが一望に見渡せる絶景を楽しむことができます。






愛宕神社は西暦72年に創建され、福岡で最も古い歴史をもつ神社です。

主祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、
火産霊神(ほむすびのかみ)、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の四柱の御祭神です。


愛宕神社のご利益は、厄除開運・縁結び・試験合格・安産成就・禁断(禁酒・禁煙)です。


福岡にある愛宕神社の正式名称は、「鷲尾愛宕(わしおあたご)神社」といいます。
愛宕山には、もともと鷲尾神社がありましたが、南北朝時代のころに衰退し
その後に建てられた愛宕神社と合併することになったとされています。
 
福岡市民はほとんど、「愛宕神社」として思っているようです。


拝殿
福岡県最古の時を経た風格を感じます。




巫女さんと絵馬と御籤掛け
拝殿の左横に移動すると、たまたま巫女さんが歩いていました。
結構、神社などよくお参りするのですが、このような出会いは少ないです。
巫女さんの赤白の衣装と神社の雰囲気がよく調和していました。
絵馬、御籤掛けは一般的なもので神社の本道を感じました。



本殿から見た急な階段
参拝する前にこの階段を見た時、歳のせいか参拝を止めようかと思ったほど急で長く感じました。
悩んでいると、一緒に来た人が先に登っていたので付き合いましたが、登り終えた時はとても息切れしました。
かっては、九州で最初のロープウエーがあったそうです、なるほどと思いました。


愛宕神社からみた絶景-1(東方向)
福岡タワー。ヒルトンホテル、少しだけペイペイドームが見え、博多湾とその先に福岡市東区の町並みと山々が見えます。


愛宕神社からみた絶景-1(北西方向)
博多湾とその先に、四季毎に見事な花が咲く能古島と、古に国宝の金印が見つかった志賀島が見えます。




参拝して、例年だと健康、交通安全などお願いするのですが、今はコロナの早い収束をお願いしました。

北九州の高齢者のワクチン接種の予約が後期高齢者の2回目の接種と重なり、もう少し待たないといけない状況です。

現在、緊急事態宣言の効果も出始め新規感染者数もかなり下がっています、
難しいことですがこの状態でワクチン接種者が高齢者のみならず若い世代まで増えれば
収束への光も見えてくるのかなと今までになく少しだけ明るい希望を持ち始めています。




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深い歴史を刻んだ紅葉八幡宮

2021年05月28日 22時14分00秒 | 神社・寺社

福岡市早良(さわら)区にある紅葉(もみじ)八幡宮にお参りしてきました。

大都会の中に深い紅葉(もみじ)の緑に覆われた厳かな天満宮でした。




紅葉八幡宮の創建は、平安時代(1065年ころ)に陸奥国(福島、宮城、岩手、青森)の中の宮城県より筑前国(福岡市)に派遣され、
八幡神像に産土神(うぶすなかみ)の分霊し持ってきたことが始まりとされたそうです。

*(筆者の感想) 平安のこの頃は全国が統一されていて、今の国家公務員の転勤のようなことがあったようですね。

その後、室町時代(1482年)に八幡神像をお祀りするため紅葉八幡宮の社殿を創建したそうです。

創建以来、陸奥国から派遣された一族の守り神から村の鎮守、黒田藩(福岡藩)の守護神へと大きく発展し、
江戸時代には東の筥崎、南の太宰府、西の紅葉と並び称されたそうです。

*(筆者の感想) 箱崎宮、大宰府はよく知っていましたが、紅葉八幡宮は今回はじめて知りました。

ご本殿には神功皇后を初めとして12柱の御祭神がお祀りされたことから、「もみじに参れば万事吉」とされています。
その中でも、安産・厄除け・子どもの守り神として広く崇敬されています。


拝殿

通年、赤紫色の紅葉が守っていました。
この紅葉はもともと新芽から赤い品種で「ノムラモミジ」といノムラの由来は「濃紫(のうむら)」から来たそうです。


神門と拝殿


紅葉天満宮の絵馬と宇賀稲荷神社
絵馬は、紅葉の形と色が特徴ですね。


宇賀稲荷神社
元は宇賀神社と稲荷神社の2つの神社で、紅葉天満宮が現在地に移ってくるする前からこの紅葉山に鎮座していた神社です。
大正2年に遷座した時に、合祀されました。


真っ赤な幟が印象的でした。



歴史以外にも、ここで発行される御朱印が注目をされていました、

御朱印AR(ARとは「Augmented Reality」の略で一般的には「拡張現実」と言われている技術です。)というもので
日本で初めてのタイプの御朱印だそうで、御朱印にスマホをかざすと「ポケモンGO」のようなイメージで
お祀りしている祭神などが現れるそうです。


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