猛暑が続く夏もようやく過ぎて幾分涼しくなってきました。
TVや新聞でも彼岸花の開花を知らせていたので、福岡県築上町にある正光寺(しょうこうじ)の
白花彼岸花を見に行きました。
今年の夏の猛暑が影響しているのか、開花が遅れと
いつも程の開花は期待ができず、白い彼岸花まつりは中止されました。
正光寺は、曹洞宗のお寺で、鎌倉時代に豊前宇都宮氏の祖である宇都宮信房が下野国から
文殊菩薩を勧進して開山したのが正光寺の始まりと言われております。
その本尊である文殊菩薩は檜材の寄木造りです。
東屋と朱橋
正光寺の麓にあります、数十m上の本堂にお参りする前後に休憩するとしたくなります。
鎌倉時代に下野国から移り住んだ宇都宮氏は黒田官兵衛に滅ぼされました。
この地に来ると、未だに、黒田官兵衛を凌ぐ人気の高さを感じます。
文殊菩薩
本堂までの坂道の途中にある苔むした屋根の東屋
2箇所あります。
本堂のある横の東屋「もんじゅ」
このあたりだけころうじて白花彼岸花が3000本の内の数百本が咲いて迎えてくれました。
後藤又兵衛作の手水鉢
黒田藩を脱藩し豊前藩の正光寺でしばらくその時に作ったものです、この後、大阪の陣で落命しました。
地蔵群の中に一本の赤い彼岸花が寂しそうで印象的でした。
本堂奥にある広場では、木漏れ日を浴びた赤い彼岸花が寂しそうに咲いていました。
自慢の彼岸花も木漏れ日を浴びて寂しそうでした。
本堂から参道を降りて迎えてくれた朱橋
正光寺にまつわる寂しい歴史は、猛暑で満足に咲かなかった白花彼岸花の侘しさに
通じていたように感じました。
深い森の中で白花彼岸花が陽を浴びて白く浮かぶ正光寺です。
正光寺は鎌倉時代から続く長い時を重ねた神秘的な雰囲気が漂っていました。
~正光寺の開山~
正光寺の歴史は、鎌倉時代に宇都宮信房(のぶふさ)が平家追討の功績によりこの地を賜り
関東から下向したことに始まります。
その時、正光寺と隣の岩戸見(いわとみ)神社を開きました。
~宇都宮氏の終焉~
その後、豊臣秀吉が九州征伐を終え、黒田官兵衛に豊前国を与えるため、
鎌倉時代よりこの地を治めていた宇都宮氏を土佐(高知)への移封を申し渡しました。
宇都宮氏は鎌倉時代から治めた領地からの移封を承服せず黒田と争い滅亡しました。
正光寺に残る後藤又兵衛の手洗鉢は、関ケ原の戦い以降筑前(福岡)に移封してきた黒田藩藩主・黒田長政と
折り合いが悪くなり脱藩し匿われていたときに造ったようです。
大阪夏の陣で豊臣方に参陣し、歴史を閉じました。
この地は、宇都宮氏の治世が良かったせいか、現在にいたるも、このあたりは治めた黒田官兵衛に負けないほど
宇都宮氏の人気があることにに驚きます。
宇都宮氏の悲しき歴史と深い森に浮かび上がる白花彼岸花が重なりました。
白花彼岸花の花言葉は「また会う日を楽しみに」「想うはあなたひとり」です、
宇都宮氏のことを言っているような気もしてきました。
正光寺説明図
ブログ記事の参考にしてください。
正光寺参道入口
正光寺は小高い丘に上にあり、参道入口には朱橋と池が駐車場横の丘の麓にありました。
森の中に白く浮かび上がる白色彼岸花
参道を登ると白花彼岸花畑1と「やすみ處もんじゅ」があり、白花彼岸花が薄っすらと浮かび上がるようで
すごく神秘的な雰囲気を醸し出していました。
後藤又兵衛の自作手洗鉢
後藤又兵衛は豪傑で黒田藩主黒田長政と折り合いが悪く、脱藩後しばらく正光寺にいたようです。
その後、大阪夏の陣で歴史を閉じました。
岩戸見神社参道横の白花彼岸花
わずかに見える鳥居が印象的でした。
堂山(どうやま)城址を支えるように咲く白花彼岸花
堂山城址下の崖に沿って陽が差し込み白花彼岸花と赤い曼珠沙華が幻想的な雰囲気を作っていました。
堂山城址下の地蔵群
神秘的な雰囲気でした。
正光寺は、白花彼岸花が咲く頃、毎年訪れています。
今回は、正光寺を開いた宇都宮氏としばし住んでいた後藤又兵衛について調べてみました。
来るたびに悲しそうな雰囲気を持つ理由は、悲しい歴史から滲み出ているのかもしれないと思いました。
北九州市門司区にある白野江植物公園は、この時期、彼岸花がとても綺麗に咲きます。
園内に入り、散策路の両脇に咲く彼岸花に誘われて最終的に彼岸花の丘へたどり着きました。
彼岸花の丘までは、結構、急な坂道がありますが彼岸花がその疲れを忘れさせてくれました。
散策コースと撮影場所
枠内の数字が本文の数字に該当します。
① 散策路の右上の紅白の彼岸花
園内に入ると紅白の彼岸花が迎えてくれました。
② 紅白の散策路の右上の紅白の彼岸花と庭門
少し足をすすめると、右上に古風な庭門と彼岸花が見えました。
③ 彼岸花が誘う散策路
彼岸花が先へと誘います。
④ 散策路の右上は花だらけ
赤い彼岸花、萩、黄色のカンナが彩りを添えていました。
⑤ 坂道の途中にあるシロバナヒガンバナ
⑥ 急斜面のツツジ畑の上の散策路
木漏れ陽の中を白色彼岸花が迎えてくれます。
⑦ 彼岸花の丘への階段の両脇
登り始め
⑧ 彼岸花の丘へ到着
⑨ 彼岸花丘の様子
かって、田んぼの畦道を赤く染める花が彼岸花と思っていました。
この公園は、そんな彼岸花をあぜ道から表舞台に引き上げた気がしました。
自然の地形そのままに、その時々の花を魅力的咲かせてくれる素晴らしい公園です。
近くにこのような公園があることを幸運だと思います。
福岡県の東部に位置する築上町の山奥に白い彼岸花が群生していることで知られている正光寺(しょうこうじ)があります。
白い彼岸花はシロバナヒガンバナで、50年ほど前にこの地の伝法寺地内の田の畦に生えていた白い彼岸花の球根を所有者から譲り受け、
正光寺境内に植えたことから始まったといいます。
地元の方たちがこの白い彼岸花を大切に守り育て、現在では1万本にまで増えて珍しい白い彼岸花の群生を見ることができるまでになりました。
地元から慕われている正光寺は、鎌倉時代に豊前宇都宮氏の祖である宇都宮信房が下野国から文殊菩薩を勧進して
開山したことが始まりと言われております。
かの黒田官兵衛がこの地を治め、慕われていた宇都宮氏を滅ぼしたのですが、今日なお宇都宮氏をより慕っているようです。
一面に広がるシロバナヒガンバナ
数年前より整備され、やすみ処「もんじゅ」より一面のシロバナヒガンバナを見ると、気持ちを癒やされます。
木漏れ日を浴びるシロバナヒガンバナ
赤・白・黄色の彼岸花と正光寺本堂
紅白の彼岸花
シロバナヒガンバナに赤い彼岸花がアクセントになって一層美しく感じました。
正光寺の周辺と紅白彼岸花
正光寺は日本の原風景に囲まれたのどかな場所にあります。
後藤又兵衛の自作の手洗鉢
徳川の時代になって黒田長政が筑前を治めていた頃、後藤又兵衛は黒田長政と折り合いが悪く脱藩し
正光寺に世話になっていたときに造ったようです。
その後、後藤又兵衛は大阪夏の陣で華々しく散ったそうです。
彼岸花に埋まる崖
地蔵様が並ぶ後ろにあり、光が差し込み幻想的でした。
宇都宮氏時代の堂山城址が崖の上にあるようです。
地蔵様と紅白の彼岸花
赤い彼岸花が多いところ
一般には、赤い彼岸花が主ですが、ここでは珍しく赤い彼岸花がたくさんあり新鮮な気持ちになりました。
彼岸花が咲く時期は、正光寺に白い彼岸花を見ることが楽しみの一つです。
今年は、なかなか天気に恵まれませんでしたが、やっとこの日に訪れることができました。
この場所に来るまでに、日本の原風景の中を車から楽しめることも嬉しい限りです。