前回、ブログアップした宗像大社を後にし、別格本山・鎮国寺(ちんこくじ)にお参りに行きました。
鎮国寺は、唐から日本に帰った空海(弘法大師)が、宗像大社に旅のお礼参りに行った時、
屏風山の上に彩雲(吉兆を示す雲)がたなびくのを見て行って岩窟を発見し、修行をしたそうです。
岩窟での修行中に「この地は鎮護国家を祈る霊地である」というお告げを受け、鎮護国家から字をとって「鎮国寺」を開創されました。
弘法大師が最初に建てた寺社ということになり、この後国内に真言宗を広めていったことになります。
鎮国寺は、別格本山という位置付けにあり特別な意味(弘法大師が日本で最初に創建した?)を持つ大本山に準ずる寺社だそうです。
今まで、鎮国寺には桜の花見に何度も来ていたのに驚くような歴史を持っていることを改めて知りました。
宗像大社方向の光景
深い森の先の田園の広がったところの左に宗像大社があります。
位置的にはこんな感じです。
境内入口
阿吽形像の吽形像と満開の桜があり、その下に霊水を汲むところがあります。
結構、水を汲みに来ている人を見ました。
本堂
残念ながら手前の桜の開花はまだでした。
大師堂
本堂の奥に弘法大師を祀られていました。
心字池と三猿
大師堂の横にあり、静かな佇まいは気持ちが落ち着きます。
ぼけ封じいきいき観音
歳を取るとぼけが本当に心配になります。
心を込めてボケないよう拝みました。
桜と水子地蔵尊と水子地蔵
悲しみと慈しみの雰囲気が宿る場所です。
春の桜の咲くこの時期だけは色鮮やかな賑わいで癒やされます。
年にとると、ぼけ封じ観音様に縋りたくなります、お願いすると何故かホッとしていまいます。
近くではこの鎮国寺だけしかぼけ封じ防止をお願いするところはありません。
振り返ってみると、記憶力はもともとあまりなかったような気がします、それで、若いうちからメモ魔になってしまいました。
メモ魔になることは、記憶することを止めることでもあり、さらに記憶力の低下を招きます。
現在は、スマホが代わりをしてくれていよいよ記憶をすることがなくなり、便利で少し不安なことでもあります。
そして70歳になるまでには、もう認知症を発症してました。
直ぐに家に引き取りましたが、完全に認知症になってからは、
文字を書く事も読む事もなくなりました。
几帳面な人でしたが、遺伝も有るんでしょうね。
親もまたその親も、そして姉弟5人も全て認知症になりました。
それだけに、その息子の主人には、ジムへ行って人と会話するようにと、
通って貰ってます、夫婦だけだと、緊張しての会話はしませんからね(^^ゞ
若いうちから他人に失礼がないようにメモをしまくり、覚えようとはしないようになりました。
これは良くないようです、やはり体は使わないと退化するようです。
でも、夫婦間でも約束をするので忘れたりすると迷惑になるのでやはりメモをしてしまいますね。
我が家の系列では認知症は出ていないようですが、心配しています。
ご主人のこと、心配ですね。
ぼけないようにするには、会話が良いそうです。でもコロナで友達と会っていません
おしゃべりも良い事ですが結局人の悪口に
なります。
やはり自分んが感じた事、思った事を字を
書き相手に伝えるのも一つの手段です。
会話ですか、会話は随分頭を使いますね、
退職後は会話らしい会話は夫婦でしかないですね。
家ではほとんど会話はありませんが、買い物など車の中では不思議によく話をしています。
書くことも大事ですね、書くことは相手がいらないですね。
ブログを書くために運動し、まとめ、コメントのやり取りをする、ボケ防止に最適に思えます。
頭で思ってることが直ぐに口から出なくなったり・・・?
パソコンにスマホで字は書くことが少なくなりましたしね。
記憶の衰えが一番ぼけに近い感じがします、恐怖ですね。
パソコンやスマホの豊富な辞書は単語を調べるの重宝しています。素晴らしい世界になりましたね。
わからない人の名前や言葉の意味などあるとすぐ調べたりしています、同じ言葉を何度も調べています。