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お正月のお飾り、今年も買いました。
千葉ではこの形が主流で、縁起物なので値段はピンからキリまでいろいろ。
九州にいたときは丸い形でした。
所変われば品変わる。
お雑煮も地方によって特徴がありますよね。
ばばは東北宮城の出身なので具だくさん、味付けは醤油系、だしは昆布と鰹節。
じいちゃんは埼玉県の出身、味付けは醤油系だけど大根と里芋を入れないとご不満。
旦那君の実家はあごだしの醤油系。
「あご」とはなんぞや?
トビウオのことで、年末が近づくと扇状などに縄でくくりつけられた乾燥トビウオが売ってる。粉末もあるらしく、最近ではスーパーでオールシーズン手に入る。
そして今年も買いました❗
カバーは邪魔なのではずすと
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ピンクのキラキラした文字がおしゃれ。
実務実習の学生さんは「今日の治療薬」を愛用してるけど、どちらかというと医師向けかな?
「治療薬ハンドブック」は薬剤師が知りたい情報を網羅していて、付録のスマホアプリをダウンロードすれば画像や構造式や添付文書も手軽に見れる。
いつ、どんなときでも、気になった情報を調べられるので、「あれ?規格は間違えてなかったかな?」とか、「注意点は見逃してなかったかな?」とか、突然気になり出したときにササッとググれるのはありがたい。
後から気が付くなら先に気付け、と思うけど、ごくたまに帰宅して料理してるときに突然気になるとか、出かけて列車に乗ってるときに、突然思い出したりとかあるんだ。
一度気になり出すと、頭の中でモヤモヤが膨らんで行き、他の事に集中出来ない。
出がけに麦茶を沸かして、「ガスレンジの火をちゃんと消したかしら?」と突然気になりだすのと同じ感じ。
「玄関のカギをちゃんと閉めたのかしら?」とか、「回覧板まわしたっけ?」とか。
ごみを捨てるときも「大事なもの紛れ込んでないよね?」と気になるし。
息子が探し物をしていて「おかん捨てた?」と聞かれて、「捨てるわけないでしょ。」と答えたものの自信がない。
車のカギを閉めたか?
お風呂を沸かすとき、「ちゃんとスイッチ押したかしら?」とか、「栓をしたよね?」とか。
「不安神経症」なのかも。
子供の頃から心配性で、おでかけのときにギリギリまで家事をこなす母親を見ては「バスに間に合わなくなる~っ。」と気をもんで泣いたり。
気をもむくせに、どん詰まりにならないとやる気スイッチが入らないからテストはいつも一夜漬け。「努力」なんて言葉に縁がない。
「勉強しなさいっ」と、私の顔を見るたびに言っていたばばに感謝すべきか。
高度経済成長時代に教育ママゴンという言葉が流行ったが、まさにそのものズバリって感じかな。
主任とブレイン君は私にとってありがたい存在なのかもしれない。
追い詰められると俄然能力を発揮するタイプだからね。
でもヘタレな一面もあるから「何くそっ!」と奮起する前に自信喪失することも多々あり。
子供の頃から怒られると隠れてしくしく泣いていた。
怖くて泣いたのか、悔しくて泣いたのか…。
「自分の不甲斐なさに泣いた。」が正解。
失敗しても「てへペロッ」で済ませてしまうかちびまるこちゃんのように笑いに変えてしまえばいいのに、いちいち出来ないことを苦にしたり、やらなかったことを後悔して落ち込む。
起きてしまったことは取り消しようがないのだからどうしようもないのにね。
DELキーやリセットボタンやタイムマシンがあれば、なんてありもしないことを何度願ったことか。
薬剤師に向いてない。
数えきれないくらいそう思ってきた。
でもね、自分で思う自分と他人から見た自分は違っていたりする。
悪いときもあるけど、思ったほど悪くない時もある。
でも、他人の目が気になる。
物心ついたときから人様から笑われないようにとばば(母親)から言われ続けたからなのか、それとも元々の性格なのか。
不安な時は誰かにそばにいて欲しい。
治療薬ハンドブックは私のパートナー。
たまたまみつけてからずっと愛用。
しかも新薬が次々と採用される昨今、毎年買わないと知りたいことが調べられない。
おばさんはアナログ好きだからね。
年々ページ数が増えて紙は薄くなったけど、内容は濃くなっていくし最新のガイドラインに沿って各項目の解説も充実していて(←個人的感想ですが)。
が、しかし、根がマメでなはないので宝の持ち腐れ感満載。
辞めたいなあ。
そう思いながらも自分なりに精一杯働く。
役立たず、そう呼ばれることが嫌だ。
いや、役立たずになることが怖い。
だから理不尽なときも主任やブレイン君に謝ってしまう。
そして、「君は◯◯に手を出さないでくれたまえ。」になるわけで。
楽でいいや、と思えばいいのに、悔しいって思ってしまう。
所詮パートなんだから、と割りきることができない。だって薬剤師であることには変わりはないから。
助っ人として雇われたからには役に立たないと申し訳ないから。
中途半端な気持ちで仕事をしてはいけない。人の命を左右することもあるのだから。
専門書は高額だけど、必要な投資。
それなりに給料をもらう仕事に携わるのだから期待に応えないと。
でも残念ながらどの業界でもそう考える人ばかりではない。
期待に応えたい。
でも能力が伴うかどうかはわからない。
自分の能力は自分にはわからないものなのかもしれない。
他の人が見つけてくれて伸ばしてくれて、壁にぶち当たったら引き上げてくれて、調子に乗りすぎたら抑えてくれる。
そうやって一人前になり、そして誰かを助けたり、誰かを誉めたり、誰かの才能を伸ばしたりするかもしれない。
maybe
それもいいかもしれない。
must
それは苦しすぎる。
日本人は他人にmustを求め、自分はアバウトだったりする。
ならば自分もアバウトに生きればよいのでは?
それができたら苦労はしないんだけどね。
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