
「きみは薬剤師としてふさわしくないっ。」とか、
「きみはこの薬局にふさわしくないっ。」とか。
いろいろ言われたけど、今じゃ遠い過去の記憶に過ぎない。
でも、
新人の頃とかデキる人とかと組んだとき言われたことありませんか?
ふさわしくないとか、似つかわしくない等々。
否定的表現をされたら萎縮してなおさら失敗しちゃうし、心臓がドキドキして話す言葉もしどろもどろ。
出勤が辛くなり、仕事で失敗して怒られる夢ばかりみる。
サザエさん症候群と呼ぶ人もいるみたいだけど、
日曜日の夕方頃からだんだん憂鬱になりごはんも美味しくないし熟睡できない。
お酒の力を借りたり眠剤飲んだり。
自分の仕事なのだからやり遂げないと、と思えば思うほど深い闇や底なし沼か奈落の底に落ちて行く…。
真面目だからこそ陥る展開なのに、落ち込む自分を恥じ、否定し、消えてしまいたくなる。
自殺する勇気が残っていれば命を絶つかもしれないが、身も心も疲れはてエネルギーチャージゼロどころか果てしなくマイナスだから…。
なのに期待に応えようとするがごとく頑張っちゃう。
子育ても同じだね。
「できて当たり前。おかあさんなんだから。」の既成概念がどれだけ多くのママたちを苦しめ、追い込んで行くのだろうか。
人間は未完成な生き物。アダムとイブが禁断の果実を食べたから、という説もあるけれど、
神様じゃないんだからポンっとできるはずなどないじゃん。
それに気がついていたら人生もっと楽しめたし、気持ちが楽になったかもしれない。
妻は様々な重圧に耐え、夫と子供のために尽くす。
妻は身を呈して夫と自分の両親を介護する。
時代は「令和」になったのに、未だに古き考え方や風習が根強く残り、
「共稼ぎ」と言うと夫婦で協力し合うイメージがあるけれど、
子供が熱を出せば連絡は母親のところに来るし、何かあれば母親の愛情が足りないとか育て方が悪い等々責めの言葉が降り注ぐ。
専業主婦なら尚更だ。
仕事もしていないで家で楽をしてるのに、とか。
仕事をしていないとPTAの役員決めで断る理由がない。
仕事をしていないとじゃあ町内会の役員を、とか子供会の役員をとか。
子供たちがお世話になってるから、と、よかれと思って役員を引き受けたのに、よってたかってああせえのこうせえの。
「何やってるの?」とか、
「バザーの売り上げは昨年よりも多くないとね。」とか。
幼稚園は私立だし選んで入園させたので仕方ないけれど、
小学校は公立なのにバザーとかマラソン大会の豚汁作り等々、なんでやなん的なものだらけで協力しない人に限って文句を言う。
今、両親ともに正社員の家庭がほとんどで、「仕事してないんだからそれくらいやらないと社会に貢献できないわよ。」と言われたりもした。
旦那君の仕事の都合で転勤族なのだから働けるわけないじゃん。だって異動の辞令が出たら一週間で引っ越しとか一連の作業や手続きを終えないといけない。
薬剤師の仕事は責任が重いだけにホイホイ辞めるわけにはいかない。代わりの人を見つけるのも容易じゃないし。
子育ても「つ」がつくうちは人に預けないというしきたりを守り、9歳までは仕事はしないと決めていた。
上の子が10歳の時に父が悪性リンパ腫になり旦那君を九州に残し千葉に帰ったんけど、
翌年に父は亡くなり母がおかしくなり子育てが疎かに。
介護に振り回されている間にふたりとも中学校に行けなくなっていて、職場では登録販売者制度の創設でドラッグストアを辞めざるを得なくなり、封印していた調剤の封印を解いて調剤薬局に。
しばらくは平和だったその薬局にブレイン君が現れてからはまさに地獄。
いろんなことが一気に起きて…。
でも、どげんかせんといかん精神で乗りきるしかなかったんだろうな。気がつけば還暦過ぎのおばあちゃん。
娘は学校でのできごとが原因なのかそれともネットトラブルが原因なのかそれとも持って生まれたものなのか詳しい検査をしたら精神科の病名がわんさかついて施設でお世話になるしかなくて。
何度も何度も絶望したけれど、自分があきらめたら家族が浮かばれない。
ばばは何度も何度も三途の川を渡りかけては戻りを繰り返し、いつ施設から臨終の知らせが来るのかと。「看とりの承諾書(いよいよのとき家族が間に合わなければ施設の職員と医師と看護師で看とることを家族が認めたことの証)」を書いてから一年以上経過した。
パートだってホイホイ休めるわけではないので、管理薬剤師さんに概略は話したものの、「いつやねん?」て状況。
旦那君が倒れたら自分で介護するから仕事を辞めると決めているけれど、
「再就職は難しいから施設に預けたら?」と周りの人からの助言。
が、しかし、
ばばは独り暮しだから介護認定おりたし、施設の費用も年金でかろうじてまかなえる。
でも、
旦那君の年金支給年齢は65歳で、まだまだもらえない。
ゆうこは女性で昭和35年生まれなので基礎年金が62歳から、満額もらえるのは65歳から。正社員とか厚生年金を払うパート勤務の年数が少ないから微々たるもの。
旦那君は男性。昭和36年生まれだから65歳まで待たないとダメなのだ。
今さらのようにその事実に気がついて、身体が元気なうちは現役で働かないと、と。
でもね、そんなときに限ってあちこちガタがきてね。「定年年齢」って理にかなってるのかもね。
テニ友から何歳まで働くのかと聞かれたけど、ゆうこは今「何歳まで働けるのか?」と不安が頭をよぎる。
時代はどんどん進み、ハイテクだのオンラインだのと次から次へとSF小説じゃあるまいし技術革新と効率化が進んで行くので置き去りにならないようしがみつくことで必死。
でも、
それって無理してまでやることなのだろうか。
思い起こせば様々な事柄は果たして無理してまでやることだったのだろうか?
引っ越してきてわかったことがあるんだ。世の中の大多数の人はPTA役員じゃないってこと。
無理してまでやることなのではなく、やれる状況のときにやれる範囲でやればよいのでは?
町内会もPTAも誰かが仕事を増やし、やるのは当たり前だよという魔法の言葉に騙されてしまっているんじゃないだろうか。
桜が咲いた。
春来たりなば町内会総会遠からじ。
高齢化が進み、役員の受け手がほとんどいないのだから若い人の負担を減らすためにも省力化が必要だと思うんだけどなあ。
真面目な人は身を呈して人のために働くから無理がたたって病気になったり怪我をしたり事故にあったりする。
病は気から。
本当の意味は知らないけれど、
ストレスは万病のもとなのは確かだ。
無理は禁物。
でも、頼まれると嫌と言えなくて頑張ってしまう。
手抜きとか、断るとか、それがまたストレスになる。
発散しようと始めたこともストレスになる。
前向きに
やってみるけど
後ろ向き
この仕事
やらなきゃ誰も
やりゃしない
やったらやったで
文句来る
気にしなきゃ
どうってことない
何もかも
気にしちゃう
そんな私はO型ね
↑O型女性は石橋を叩いて渡ろうとして叩きすぎて壊したり、空気を読んで読んで読んで尻込みするみたい。
B型の
旦那にすれば
他人事
そうね子育て
他人事
子煩悩
ほんとは旦那
子煩悩
仕事多忙で
時間なさ過ぎ
定年退職5年延びたけどいいんだか悪いんだか。
本人的にはモチベーションだだ下がりなんだけど、技術やさんなので土日もお仕事。
定年が
5年延びたら
先長い
妻喜ぶけど
身体心配
たかが5年、されど5年。
ゆうこは今年63歳に。
還暦を
過ぎてまだ咲く
老い桜
足りないところは
笑顔でカバー
この歳だからこそ薬剤師の仕事を楽しめるんだけど、
終わり来る
どんなことでも
いつか来る
ピリオド来ても
あきらめつかず。
日々がいとおしく感じる時と、日々が恨めしく感じるときがあるけれど、
人と人との関わりを大切にしたい。
いつか旅立つその日まで。
桜は台風の被害にもめげずに花開きましたが、何本かは枯れてしまいました。
枯れてなお
心に残る
その姿
嵐が来ても
思い出消えず

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます