主婦&薬剤師ゆうこの ワガママにっき

主婦&薬剤師のふたつの顔を持つ
変なおばちゃんの日常を気の向くままに綴ります。 

終活

2016年06月26日 03時57分19秒 | できごと

ホスピスにはとても興味があります。 ホスピスのドクターが書いた本か2冊と終末期医療に携わるドクターが書いた本が一冊



小澤竹俊先生の
「今日が人生最後の日だと思っていきなさい」

新聞広告につられて読もうと思い衝動買い。

ばばが真剣に読んでいたのでグループホーム入居の荷物にこそっといれた。

どうしても読みたくてもう一冊買おうとアマゾンのホームページ開けたらおすすめの本がどっちゃり。

で、 小野寺時夫先生の
「人は死ぬとき何を後悔するのか」と

川島朗先生の
「人が死ぬときに後悔する34のリスト」の

2冊を衝動買い。

ここのところ介護とか、人が死ぬと言うこととか、仕事をやめなければならなくなったときとか、様々なことを真剣に考える機会が数えきれないほどあった。

自らのことだけではなくて、投薬窓口での対話や「とと姉ちゃん」などなど。

皮肉なものでグループホーム入居直前になってばばと一緒にテレビを見てあれこれと話をした。

福祉用具を撤収した部屋はもとに戻っただけなのにガラーンと広くて心にポッカリと穴があいたかのようにさびしく…。

あんなに望んでいたことなのに、

涙があとからあとからハラハラと流れ落ちて行く…。

後悔の念とかではなくて、純粋に母が恋しいのかもしれないし、切ないのかもしれないし、張りつめた心の意図がプッツリ切れただけなのかもしれない。

もうデイサービスのお迎えが来ることもなく、訪問のヘルパーが訪れることもない。

病院だってよほどのことがない限り施設のヘルパーさんが対応してくださるのだ。

いつでも会えるし外泊自由というけれど、里心がつくからと家に帰さないほうがいいみたい。

っていうか待って待って待って入居が決まるケースがほとんどだから、介護する側が追い詰められた状況。もはや心のゆとりなんてあるはずもなく、

満身創痍。

もはやもとには戻れないことを本人も家族もなんとなくわかってはいるが、あえて口には出さずに…。

こんなときに限って仕事はとても忙しく、なんだりかんだりラジバンダリで用事が山積みに。

で、外は嵐。
大野くんならいいけど、
Oh No!って感じ?

でも出勤時も退勤時も雨やんでてラッキー♪

ケアマネさんと行きつけの本屋さんの(←いまどき珍しい昔からの個人経営のお店)の店主のおばあちゃん(←ばばと同い年で司書の資格を持つスゴい人、今は洋品を扱って未だ現役)に、「あなたは素直でお人柄がよいから皆さんに親切にしてもらえるんじゃないかしら。」と、誉められた。

自分では自信がからっきしないけど、誉められるとすごーく嬉しい。

その本屋さんはとなりまちの時代に取り残された場所にあり、たまたま息子の高校時代の友人がいきつけで、息子がよく行くようになり…。(取り寄せもしてくれるしトレーディングカードや流行りの一番くじも扱ってる)

息子を迎えにいくついでに立ち寄り、おばあちゃんと話すようになり。
おばあちゃんはたまたまばばと同い年で、でもばばと違ってとても優しくていいおばあちゃんで。

グループホームやデイサービスにばばを預けてわかったことがあるんだ。

ばばは意外と社交的で人に親切。
笑顔で相手を和ませ、豊富な話題で回りを楽しませる。

案外親子でも知らない面がたくさんある。離れてみて見えてくるものがあるし、自分が子育てをしてみてはじめて母親のありがたみを身に染みてひしひしと感じる。

「おたくの息子さんは素直でいい息子さんですよ。」本屋のおばあちゃんが誉めてくれた。

戦争をくぐり抜け、様々な経験をし、人の弱さ、汚さ、怖さを知り尽くしたからこそ優しくて思慮深いのかもしれない。

子育てはとかく次から次へと欲が出てしまい、見失ってしまうものがたくさんある。

生まれたときは手足にちゃんと指があることに安堵し、生まれてきてくれたことにあんなにも感動したはずなのに、いつしか欲が出てしまい、人と比べ、我が子を叱ったりののしったりしてしまってる。

赤い糸で結ばれた人と結婚した喜びや、こどもが生まれた喜びは、欲望の渦の中に流されて行き、やがて相手のよさを見ようともせず、欠点ばかりが鼻について邪険にしたり邪魔物扱いしたり離れることを願ってみたりする。

でも、いざ、失ってみるとその存在の大きさに気がつき、自分のおろかさに気がつく。

ばばをグループホームに入居させてしまったけど、はたしてそれでよかったのだろうか?

本屋のおばあちゃんは、
「私はね、今は元気だけど物忘れも激しくなり身体に自信がなくなってきたの。だから何かあれば施設に入り、こどもには迷惑をかけたくないと思ってるの。だって、私の面倒を見るということはこどもの生活を変えてしまうということだから。せっかく一生懸命生きてるのに、その生活を変えることでこどもは負担を強いられる。それは申し訳ないことだからね。親はこどもの幸せを願うもの。そのためには私は施設にお世話になるのがお互いのためだと思うわ。あなたの選択は間違えていないし、施設ではちゃんとお世話をする人がいて、そのための設備が整っていて、安心なんだから。だから自分を責めないで。」と。

Everything お見通しだっ!

やまだならそう言うだろう。

そしておばあちゃんはこう言った。
「あなたの息子さんと出会えてうちの孫は変わった。私の考え方も変わった。人生はね、学歴じゃなくて、元気に素直にいきることが大切だと。二人が楽しそうに話しているのを見るたびになんだかほほえましくて、自分の子育てがまちがえていたのではないかと自責の念にかられてばかりいたけれど、実は子育てには正解はないのかもしれない。親戚がみなエリートだったから肩身がせまいと思っていたけど、まっすぐに育ってくれて…。男の子はね、自分で道を見つけ、自分で歩んでいくの。人をだまし、傷つけるズル賢い人間になるよりずっといい。エリートは内面はわからない。人として大切なことを守れない人がたくさんいる。大切なことは人と人との繋がりを大事にして人を見下さないこと。商売をするということはお客様がどんなに理不尽でも耐えないといけないからいろいろなことを考えさせられてきた。」と。

「あなたとは話が合うからずっと仲良くしてね。」と握手を求めてきた。

おばあちゃんの手を握りしめながら、私はばばのどこをみてきたのだろうと思った。

厳しい人で大嫌いだったけど、真意は違うところにあったのではないだろうか。

娘を愛するが故に次から次へと要求をつきつけてしまい、いつしか支配してる格好になってしまっていたのか…。
そして自分自身もこどもに対して自分のイメージを求めていたのかもしれない。

親離れ子離れの本当の意味はお互いを尊重し、適度な距離をおきなさいということなのかもしれない。

自分に残された時間をどう使うか。
終活の本当の意味はそれかもしれない。
そして不用品を整理し、突然この世を去ったとしてもこどもたちが片付けに困らないように家の中をスッキリさせて機能的にしておかないと。

家は一軒という発想を捨て、旦那君の実家、自分の実家、自分の家それぞれを快適環境にしていこう。
別荘的感覚?アトリエ欲しいし。

さて、制作活動と仕事の勉強も再開するぞ!

なんせハイレベルな薬局で勤務してるから時代の流れにおいていかれないよう頑張らないと。

どうせやるならとことんやる。
それがゆうこのポリシー。

が、しかし、歳だねー。
整形外科通いが日課になりつつあります。

時間に余裕ができて少し心にもゆとりができてきました。
ばばはそれなりに元気に暮らしているようです。

地域密着型

最近は↑が増えてきたようです。
そうでもしないと東京や横浜から近いだけに都市部の人々が不動産処理したお金で入居してしまうのでどこも満杯になってしまうのです。

一生懸命働いて税金を納めたのだから市から恩恵を受けたいですよねー。

ゆうこが高齢者になる頃は年金も破綻しているし介護保険も破綻し健康保険ですら存続が危ういと言われてます。
自分の身の処し方は自分で考えておかないと。こどもには負担をかけたくないから。




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