港区の芝は江戸時代以前からの古い地名です。江戸時代には武家地や寺社地として利用されました。札の辻は江戸時代のはじめに高札場があったことから付けられた名で、高札場が高輪に移った後は、「元札の辻」とも言われました。現在も交差点に名前が残っています。
歌川芳宗の浮世絵 本芝札の辻😲
歌川芳宗の浮世絵 本芝札の辻😲
その先、東海道京都に向かって右手の方、ユニ・チャーム本社敷地なに、元和キリシタン遺跡があります😲
江戸時代初め、キリスト教は全国的に布教されていましたが、幕府は天下統一に差し障りがあると考え、慶長17年(1612)に禁教令を発しました。これにより、信徒の逮捕が行われ、長崎や京都で信仰を捨てなかった信徒の処刑が行われました。しかし、逮捕を逃れた信徒は、隠れて信仰を続けていました。江戸でも元和9年(1623)12月、キリシタン50人が処刑されました。処刑された中には、原主水やデ・アンジェリス神父、ガルベス神父がいました。原主水は家康の小姓でしたが、駿府城を追放され、江戸市中に潜伏していたところを捕えられました。
後に、処刑場だったことから空地となっていた場所に、慰霊のために智福寺が建てられました。智福寺を開山した一空上人の伝記や、処刑場は「東海道の入口にある丘」であったというパジェスの記述、江戸時代の切絵図や地形から、この地付近が処刑場だったと推測されています。
遺跡からの海岸側への眺め😥
おしまい😀