三十路中盤備忘録

とりとめの無い事をタダ書き連ねていきます。

オミクロンがもたらした残念な分断の解説と、35歳フリーターの考えその①

2022-02-22 09:09:41 | 日記
すコロナが作る分断



オミクロン株が新型コロナウイルスの主流となってから、日本国内でも現状の指定感染症2類という取り扱いが妥当なのか疑問を持ち始めた人が増えている様に感じます。

その理由として、現在感染もしくは濃厚接種者と判明した瞬間から私権を半強制的に制限され、外出や他者接触は愚か、同居している家族にまでその影響がもろに広がる訳です。不安定な雇用条件で生計を立てている家庭からすれば私権制限による経済活動の停止は死活問題です。

労働者人口の大多数にとって重症化率の低さと、重症化する方の特徴が明確化された昨今、オミクロン株に感染して受ける身体的ダメージよりも私権制限による経済的、精神的ダメージが上回ってきているからではないでしょうか。

Twitter界隈では「2類を継続派」と「5類に変更派」での論戦が巻き起こり、熱くなり過ぎて水掛け論に陥り、終いには対立、分断、意見の一致している人達以外は遮断、という残念な状況が生じています。

この議論を前に進める為には、「2類派」「5類派」の議論が陥りやすい魔の対立ロジックが存在していて、お互いがそれに陥る事の危険性を理解する必要があると私は思います。

「魔」の対立ロジックとは


その魔の対立ロジックを端的に表現するならば、お互いが「命を盾に主張を展開してしまう」と言えるでしょう。

2類派は「重症化リスクの高い人達の命」、
5類派は「経済的心理的負担で失われる命」、
それぞれが掛け替えの無い「命」を旗印に戦ってしまうのです。

ざっくりとその議論内容を紹介してみましょう。

5類派
「もはやコロナでの年間死亡者数は8500人程で、その数は餅などを詰まらせて亡くなる方と同じ位なんだぞ!それにインフルエンザで多い年は10000人も亡くなっているではないか!3年前まで社会はそれを許容していた事実もある!だからこそコロナで亡くなる事だけを特別扱いするのはおかしいではないか!!!」

2類派
「その8500人という数字は2類という厳しい体制化での数字。規制を緩和すれば当然分母である感染者数は増え、重症化する人は比例して増幅するのが目に見えてるではないか!!そもそも、命を落とした8500人の命を軽んじるな!経済を回す為、重症化リスクの高い人の命は切って構わないとでも言うのか?」

5類派
「ハッキリと言おう。社会全体でその犠牲は許容すべきだと思う。綺麗事ばかりで世の中は回らないのだ!大体年間19000人もの人が自殺で亡くなっているんだぞ!!コロナで亡くなった数の倍だ!この規制による経済的、精神的な負担で自殺した人の命はどうでも良いのか?」

2類派
「勿論自殺で失われた命を軽んじるつもりは無いが、それは適切な補償や相談システム等社会の仕組みがきちんと設計されていない事によるエラーが原因だ!それを感染症で亡くなった方々と同列に扱うべきでは無い!そもそも三年前にインフルエンザで10000人以上亡くなっていたからそれ以下のコロナは許容すべきと言っていたが、インフルエンザに対する三年前の対応が正しかったのか?そこから議論すべきではないか?」

5類派
「もういい加減にしろ!じゃあ死者が何人なら許容できるんだよ!交通事故で亡くなる人がいるから車は乗るな、外を歩くな!とでも言うつもりか。人はいつか死ぬんだよ!そんな事を繰り返して人類は今まで歴史を紡いで来たのだ!もう君とは話にならないな!本当に馬鹿な奴だ」

2類派
「人としてありえない。命を軽んじている。身体が弱い人間は淘汰されて仕方ないと言い切る冷徹な貴方とは話す事はない!最後の一文はそっくりそのままあなたに返すよ」

5類派、2類派
「あー、なんて馬鹿な奴なんだ!」

…とまぁこんな感じです。

双方が「命を盾に主張を展開してしまう」の意味が掴めましたでしょうか?

「餅を詰まらせて亡くなる」
「コロナで亡くなる」
「インフルエンザで亡くなる」
「自殺で亡くなる」

「命」と「命」を天秤に掛けてしまい、引っ込みがつかなくなり、水かけ論になって、お互いの間に「バカの壁」が聳え立つ。
これが先に述べた「魔のロジック」なんです。

冷静にこの議論の問題点を整理してみましょう。

2類派は重症化リスクの高い人達の命を守る為に、自殺で亡くなる方の命を生贄にしても致し方ないと遠回りに言っています。

「社会の仕組みが引き起こしたエラー」というもっともらしい理屈を引き出してはいますが、「19000人の自殺」という数字は、見通しではなく、すでに失われた結果の数。取り返しなどつかぬものにそれらしい理由を後出しで添えたところでなんの意味があるのでしょう。

そもそも社会の仕組みを整備するプロセスを具体的にイメージすれば、瞬発的に整備する事など出来ないのは明白ですよね…。

5類派は売り言葉に買い言葉で、完全に「重症化リスクが高い方の命が失われる事を社会全体で許容すべき」言い切っています。つまり、弱肉強食の世間では8500人の犠牲は致し方ない。
もっと露骨に言えば生産性が高い人達の経済的心理的な負担を軽減し、自ら命を絶つという行動を取らせないない為には、必要な犠牲だと言ってしまっている訳ですね。
もはや優勢思想。

この議論に隠された「魔」とは、

「どの命を切り捨てるのか」

を正義感満載にお互いが主張している点です。
果たしてそんな正義なんかあるんでしょうか。

私は「あるカテゴリーの命を守る為にはあるカテゴリーの命は失われてやむなし」という議論のトレードオフ化から脱却する必要を強く感じます。

「どの命を切り捨てるのか」では無く、
年齢、生活環境、健康状態、性別、そういった全く異なる個々人の集合体である日本国で、

一人一人の権利をバランス良く守りながら
「どう命を守って行けるのか」

を議論するべきだと私は思います。その為には

「国による私権制限が正当か否か」


という議論と


「リスクがある命を社会としてどうやって守るのか」


という議論を同時進行させず、丁寧に分けて語らなければならないと考えます。


まず第一段階として、


①国による私権制限を可能にしている法的根拠を理解する。


②その適用がこの国に住む人々にとって最適解であるか否か、「法文」が持つ意味の客観的解釈と、「統計データ」をベースに答え合わせを行う。


この2つの工程を丁寧に踏襲する必要があります。


狙いとしては、「個々人の感情論」という不安定な前提を話し合うフェーズから脱却し


「私権制限を可能にしている法律と、法律に記されている言葉の意味」

「蓄積された数字」


という事実ベースに基づいた、客観的で不可逆的な「前提」が構築され、2類派5類派双方でこの前提を共有するところにあります。


一人一人の権利を守りながら「どう命を守るのか」という建設的で意味のある前向きな議論は、双方が共通の前提を持ってこそできると私は考えています。


その為にも次回「オミクロンがもたらした残念な分断の解説と、35歳フリーターの考えその②」で先に述べた工程を踏襲していきたいと思います。


本当に世の中が自動化したらどうなるか

2021-12-07 15:30:00 | 日記



2112年まで91年となりました。
小学生の頃「ドラえもん誕生」という映画を観て、自分はそこまで生きているのか真剣に考えたのが懐かしですね。

あれから時は流れ少年時代に輝いて見えた「SF」が「近未来」として現実味を帯びて来た昨今、ロボットやAIが私達の生活圏で活躍する未来は喜ばしい事ばかりではないなと感じてしまうのです。35歳の単なるおじさんではありますが、起こりうる問題を結構真剣に考えてみましたので暇つぶしにでも読んでやって下さい。

①人工知能の種類


人工知能には特化型と汎用型という二種類が存在しています。特化型AIは「運転」や「将棋」など一つの分野に特化した人工知能を指します。2021年現在、AIと呼ばれている全てが特化型です。

続いて、様々なタスクを一つの人工知能で
完結させる事ができる汎用型AI。こちらはまさにドラえもんをイメージして頂ければ良いと思います。2021年現在では実現できていません。

②私達の生活とAI


2030年頃から特化型AIが本格的に我々の生活圏で存在感を示し初めると言われています。その象徴的な事象として、コックピットが無い自動運転車の実用化があります。

イメージとしては街中を無人自動車が走り回っており、必要時にはサブスク契約した会社の配車専用アプリで自宅まで呼び付けて乗車する感じでしょうか。

Uberタクシーの無人版といったところですね。
自動車メーカーは配車サービスの会社に業態変化を求められるか、米テスラの巨大な渦に巻き込まれて木っ端微塵になる可能性もあります。

自動車生産大国日本。
それを様々な企業がサプライチェーンとして繋がり支えているという背景があります。

先程お伝えした様に自動運転車がサブスクサービス化するという事は、ザックリ言ってしまえば大規模なカーシェアリングシステムの様なもので圧倒的に世の中にある「車の数」は減ります。という事は自動車販売という一つのモデルが崩壊する訳ですからサプライチェーンも同時に壊滅的ダメージを被る訳ですね。

世界のトヨタがそんなポッと出のテスラなんかに負ける訳が無いと思う方もいるかと思いますが、テスラが出している自動車は全てロボットにより組み立てられていて人件費が掛かりません。部品数も従来のエンジンは1000個程なのに対しテスラは17個。他社との提携としては小型リチウム電池を提供しているパナソニック位で後は自社生産という状況です。

しかもフルEVですから脱化石化燃料が叫ばれている昨今にもアジャストしています。
そんな事業モデルに共感する投資家は多く、業績としては赤字ですがテスラモータースの株価はすでにトヨタを超えているという状態です。

大量の従業員と大量の下請を抱えた愛知県の巨人トヨタと、人件費も下請けも掛からないシリコンバレーが産んだスマートスターテスラ。

2030年、スタンダードカンパニーになっているのはどちらなのでしょうか。

果たしてテスラ以外の自動車メーカーは存在意義を見出す事ができるのでしょうか。

「資本主義」ならトヨタが勝つはずですが、今は資本よりも「アイデア」「行動力」「情熱」という資本より尊いものがイズムとして確立し、それが世界を動かしている様に感じます。誰かこれに名前を付けて欲しいですね 笑

「イノベイズム」とか「パッショナリズム」的な。

ちょっと脱線しましたが要はずば抜けた「アイデア」と「行動力」と「情熱」を持ったほんのひと握りの天才起業家と、そこを見抜く目利きの「投資家」による資本投入。AIと、ロボット技術のみで完結するビジネスモデルの完成系がどの業界においても向こう15年の内に確立すると私は考えています。

「そうではない人間」の、供給側に入り込む余地が無い世界。これは間違いなくやって来ます。

今はまだ「人が働く」という事になんの違和感も感じませんが、裏を返せば世の中を便利に発展させるには「人が働く必要があった」という事です。

「頭の良い指導者達」が国という単位を用いて
「人を効率よく働かせる仕組み」を考え、「イデオロギー」や「宗教」等を駆使して実践してきた歴史の上に我々の「今」があります。

生産された品々の分配システムとして「お金」という手段を発明した人類は、そのお金を労働の対価として据える事で「生産」「供給」「需要」のバランスをとってきた訳ですね。

しかし「生産」も「供給」も人間以外が行う世界になれば残るのは「需要」のみです。

「生産・供給」の対価としての「賃金」。
その「賃金」を活用し「需要」を満たすという現在のシステムが使い物にならなくなる訳ですね。

そのおかげで「お金」は「労働の対価」としての側面は殆ど無くなり「公平な分配手段」として本来の姿を取り戻すと私は予想します。

今ベーシックインカムが叫ばれ始めている根本的な理由はここにあるかもしれませんね。

③人が働かない世界で働くという事



全て人からロボットへ置き換わるかといえばそうでは無く、細かいグラデーションがありますし、置き換わるにしても慎重に時間を掛けて行く必要があるものを考慮すると、我々が供給側から完全撤退するのはまだ先でしょう。

例えば、「福祉」「医療」「教育」等、汎用型AIが究極のレベルまで発達しても人力の撤退が正立しないであろう業界で働く人材の「労働意欲」や「あり方」の源泉を見出すのは簡単ではない気がします。

人々が働く事から解放される目処が立った時点でベーシックインカムを始めなければ社会は崩壊しますから序盤は生活保護位の水準からスタートして年々総労働時間が減るのに反比例する形で分配金額は上がって行き、最終的には現在年収450万円位の人が送れる生活水準程で落ち着くのだろうと予想します。

働かなくても生活が担保された世界で、働く理由はなんでしょう。

勿論「やり甲斐」「生き甲斐」はあるでしょうが、それで必要な人手を補完できるとは思えません。

それに大体が人と接する事自体に価値が生じるサービス業に人手のニーズが集中するとしたら、提供者と消費者間に発生する情緒的な均衡を担保するためのスタビライザーは何になるのでしょうか。

「生活を送る為には労働の対価として賃金が必要である」という前提があるから、「消費者」は「お客様」で労働という「生活に必要な負荷を背負わせてくれるありがたい存在」であるという定義が成立します。

その前提がなくなれば「消費者」は単に「施す側」と「施される側」という「優劣感情」が発生しやすい負荷だけを背負わせてくる厄介な存在になってしまいます。

この様相では破綻は必須です。
ですから「賃金」以外のインセンティブというスタビライザーを私達は今から真剣に考える必要があります。

④必要な人力を社会としてどう捻出するのか



少なくはなりますがピンポイントで必要になるであろう人力を、どの様なカタチで捻出するのかをちょっと考えてみましょう。

例えば

4時間に一度ランダムでボタンを押す事が求められる労働があると仮定します(例えだとしてもありえねー)単純に8時間労働と考えれば、3人の労働力で済む訳です。

労働の対価が、希少性のある素晴らしいものであるならば3つの席はすぐ埋まるでしょう。しかしそうでなければ成り手を探すのは非常に困難です。対価の価値にも左右されますが、社会としてその24時間に6回のボタン押し作業をどう分担するべきでしょうか。
極端ですが二例挙げてみます。

★1   1日に24人の人員を動員し1時間交代で労働します。

★2   それとも3人の人員を動員し8時間交代で労働します。

もし★1の形態をとるのであれば、
軽い負担を沢山の人々で担う事になります。全く苦ではありません。ですからある意味対価は「他23時間を自由に過ごせる権利」で良いのだと思います。必ず社会は人と人が関わり合って構築されていくのだからというある種宗教的、儒教的な縛りでもって十分な気がしますね。
この小さな負荷を担う事でベーシックインカムのお金を得る権利が担保されますというイメージでしょうか。

もし★2の形態をとるのであれば、
他の人が自由に使える時間を8時間も差し出す訳ですからそれ相応の「対価」が確立していないと難しい様な気がします。

私は日割り時間割りで振り分け方の幅はあると思いますが、★1が現実的なのではないかと考えています。

自動運転化で必要になる障害者や高齢者への小さな手助けなんかもこの必要な事に入りますね!

⑤働く上でのメンタリティ


仕事での生産性が高い事を誇る事は、今の価値観では当たり前の事かもしれません。 
自分の働きとその対価である賃金は直接生活水準の上限幅として跳ね返ってくる構造になっていますし、人は他者承認欲求を満たしたい生き物ですからその上限に近いところで暮らしを営む傾向にあります。ただ、④で述べた様な社会構造でその様な誇りを持ち続ける事や、欲求の満たし方は出来なくなるでしょう。

生産性を求められるのは一部の「アイデア」「行動力」「情熱」という資本より尊いものを持つ天才に限られます。

だからこそ、もっと違うところに価値を見出す練習をする必要があると思います。

例えば、絵を描く事やダンスをする事、音楽を楽しむ事や料理をする事、友人と時間を過ごす事やスポーツを楽しむ事、それを他者との比較から自分の優越性を感じるという事ではなく、「自己満足」に紐つける。そうした価値観を持っていくと、これからやってくる世界を楽しく迎える事が出来るのではないかと思います。

ですから程よく労働にもつ誇りを放棄するのは生きやすいベース作りに必須かもしれません。
(あくまでも程よくです 笑)

たまに見かける、会社員時代の有能ぶりを町内会の草むしりで発揮しようとする偉そうなおっさんみたいにはなりたく無いですしね〜。痛いから。

⑥まとめ


さてここまで読んでみて、皆さんはどう感じましたか?あえて極端な世界観で書いた点も多かったのでとんだ妄想野郎だと思われた方もいると思いますが、あながち良い線いってるんじゃないかな〜 笑

自分は生きる事と労働が必要以上に紐付けられない世界が来る事を密かに楽しみにしてます。
ただ仕組みや考え方のアップデートは必須ですよね〜。生産性上げてく事じゃない方にアップデートするってめっちゃ変な感じですが、徐々に必要なんでねーかと思う今日この頃です。

最後まで読んでくれてありがとうございました〜!


ズラタンはやはり最高だ。

2021-10-27 20:43:00 | 日記



俺は決して最高に立派な男ってわけじゃなかった。ひでえヤツだな。俺の言動がいつも正しいわけではまるでなかった。責任はすべて俺にある。他人のせいではない。だが、世の中には、俺のような人間もたくさんいるだろう。他人とは違うちょっと変わった性格の人たちだ。そのせいで、周囲から厳しく責め立てられている少年、少女が、大勢いると思うんだ。規律が大事だということは俺もわかっている。だが、規律ばかりを押し付けるやり方は気に入らない。「こうすべきだ」と自分の主義ばかりを押し付け、別の道を封じてしまうやり方は間違っている。それではあまりに心が狭すぎる。愚かなやり方だ。俺は、自分の弱点を改善する努力もしないまま、そのやり方で押し通そうとする人間たちが許せなかった。

by ズラタンイブラヒモビッチ

有難い事に先日無事35歳を迎える事ができた。

自分はどうやら「他人と違う変わった性格の人」として人生を歩んでいる。

そう自覚している。

こうゆう人間ばかりでは世の中成り立たないだろう。

だから「こうゆう人間」以外の人に感謝しながら、明日からも「こうゆう人間」として邁進していこうと思う。

兎に角ズラタンはカッコいい。


介護業界で働いている人間が搾取されない為に知っておくべき事

2021-10-14 17:24:00 | 日記
なんでこんなに福祉ニーズが高いのに
供給も賃金も上がらないのか?

本来なら物の値段は、需要が高く供給が下がれば跳ね上がる。これを読んでいる皆さんもご存知の様に、日本は超高齢社会に突入しています。当然福祉需要はますます高まっており、供給が追いついていない状態です。

本来なら福祉サービスの値段は釣り上がり、当然その業界へ携わる人々の賃金は必然的に上がるはずなのですが、そうはなっていません。

「福祉サービス」は電気、ガス、水道、医療等と同様、「生活インフラ」という性質を持っています。ですから需要の高まりに合わせて値段が釣り上がる「自由主義経済」に丸投げし、需要の高まりに合わせて対価が跳ね上がり一部のお金持ちしかサービスを受けられない状況になってしまっては命を落とす人間が続出します。ですから国家がその価格を計画的に統制し、皆が使える値段設定に調整をする「計画経済」で福祉サービスの「定価」は決められています。

つまり、福祉サービスに携わる人々の給与水準が低いのは「国家計画で設定されている福祉サービスの価格が低いから」というシンプルな理由になります。

何故価格設定を上げないのか?

原因は、

①新規国債の発行は借金であり、その借金が増えると国は破綻するという迷信が未だに信じられている

②「保険方式」をとる事で個人負担額を発生させ、価格を上げる=国民の負担が増えるという図式を採用し続けているから

この2点になります。
日本は高齢者介護にかかる予算を「介護保険料」というかたちで徴収し、その保険料で賄えない分は国債の発行(お金を刷る事)で補填しています。※よく消費税も財源といわれておりますが、真っ赤な嘘ですのでご注意を。下のリンクで分かりやすく解説されてます。
この二大財源双方への理解不足が、福祉サービスの価格を上げる事に対する足枷となっているのは明らかです。

まず、①の解説ですが、

国債の発行額は国民ひとりひとりが背負っている借金の総額を示しているのではありません。

「国が民間へ通過発行をした残高、軌跡」

でしか無いんです。

「日本銀行」というこの国で唯一「円」を発行できる機関が、「円」を発行する事で我々の手元にある「お金」は誕生します。

つまり「円」を発行するよう政府が「日本銀行」に促すお願い手札である「国債」は、日本という国が出来てから今この瞬間まで民間に発行された「円」の総発行残高という事になります。

ただそれだけの事です。

これが増えるって、当然ですよね。
日本という国があり、円という通過を使う人間が存在する限り、これまでもこれからも発行され続けるのが「国債」であり即ち「円、お金」です。

これ日本銀行に全額返金したら、

「この世から円が消える」

という事です。ある意味日本という国が消滅でもしない限り絶対に国債は刷り続けなければいけないんです。国債発行で国が滅ぶ、財政破綻するプロセスをご教示下さる方がいらっしゃれば是非是非聞いてみたいので、連絡下さい 笑

「国債発行で国が滅びる」

もはやこの迷信はこの国の癌ですね。
※自国通過建ではないユーロ等は円と考えは異なります

借りたものは返す」という我々が小さな頃から教えられた「道徳心」を逆手にとった「大嘘」をなんとなく信じている方は、早めに目を覚まして欲しいと思います。

新規国債の発行に対し「いつか日本を滅ぼし次世代を苦しめてしまう」という恐怖や罪悪感を持ってしまえば、それを財源とする福祉サービスの価格を上げる事への抵抗感に繋がりますよね。

この嘘を撒き散らす政府を信じて選び続けているから、いつまでも設定価格が上がらないんです。設定価格が上がらないから、いつまでも供給量が上がらないんです。供給量が上がらないから、様々な福祉サービス計画は絵に描いた餅となってしまうんです。

そしてこの原因に付随するカタチで、

②の「保険方式」である必要性が唱えられる訳ですね。国債を発行し続ければ、次世代へツケを回してしまう。日本は財政破綻する。だから国民ひとりひとりに負担をお願いします。だから「保険料」を徴収しますという図式ですね。

ただでさえ不景気の日本で、福祉サービスの価格を上げる為に自己負担額を増やしてまで課題解決に取り組もうとはなかなか思いません。
そうすると、

・保険料は据え置き
・国債発行額はなるべく上げない

と言う現在の姿を維持する格好になる訳ですね。

これが計画経済に取り込まれている福祉サービス価格が上がらない理由です。

じゃあどうすれば良いのか?

極論を言えば福祉サービスの財源全額を、国債発行で賄う事は可能です。ただし新規国債の発行量には限度があります。世の中に回るお金の量が増えすぎると、お金の価値が下がってしまうんです。

ソシャゲーで言えば、レアキャラって出回る数が少ないから価値が生まれるんですよね。供給量が増えたら増える程価値は下がります。

それと同じですね。
130円という「円」と350ccのコーラを交換出来てたのに、今より多めにお金を刷ってその価値が下がったら、350ccのコーラの値段は上がりますよね。この状態をインフレと言います。

お金の価値よりも物の価値の方がちょっとだけ高い状態で追いかけっこをする。
そうやって毎年毎年少しずつ物価が上昇する状態が理想的なんです。

物の値段がちょっと上がる
生産者の給料がちょっと上がる
生産者の購買意欲が上がり
消費者として物を買う
生産者の給料がちょっと上がる

これが好景気と呼ばれる状態で、物は売れるし働けば給料が上がる。売れるから新たな商品やサービスの開発が進む。そこに新たな投資という消費が生まれる。これを「経済発展」といい、資本主義国家はこの状態を目指して運営される必要があります。このインフレが毎年2%位で推移する事こそ「資本主義経済が健全に運営されている状態」といえます。

しかし世の中に出回るお金の量が増えすぎると今度はお金が殆ど価値を成さなくなり、物を「売り買いする」という手段で、必要な物を手に入れる仕組み自体が崩壊してしまいます。
売り手と買い手を繋ぐ「お金」という潤滑油が機能を果たせなくなってしまう現象です。
これを「ハイパーインフレ」と言います。

ですから新規国債発行は、資本主義経済が健康的に推移するインフレ率までが上限だと言えます。その成長率は2%と言われており、現状日本がインフレ率2%の経済成長状態ならば、毎年発行している国債発行額を過度に増加させるのは危険な為、「保険料」という名の自己負担額で賄う必要がある訳ですね。お金が増えすぎない為のガス抜きです。

では日本の現状を見てみましょう。


はい。2021年。まさかの−0.17%。
つまり、お金の価値が高まる「デフレ」なんですね。130円で買えた350ccのコーラが、120円で買えちゃうというインフレの真逆を辿っております。

お金の価値が高まり値段が下がる
生産者の給料が下がる
生産者は消費者になかなか変身せず、価値の高いお金を勿体ぶって使わない
物が売れなくなる
生産者の給料が下がるし倒産する会社が出る

という負のループを現在日本は辿っています。
物が売れないので、新たな商品やサービスを開発する為の投資という消費も生みません。それどころか倒産等で失われた産業技術は、技術者が活躍の場を無くせばこの国から消滅するという恐ろしき状況です。

そして驚く事なかれ…
この状態を1997年から2021年までの25年近くをこの状態で推移してるんです。

それなのに国債発行したら財政破綻するなどと大嘘をついて、挙句「保険料」などといって自己負担金を天引きし財源にしている訳です。

つまり福祉サービスの価格設定を上げる為に、保険料の引き上げは必要無いんです。

毎月10万円を3年間、国民ひとりひとりに給付し続けてようやくインフレ率2%に届く程この国は疲弊しきっています。

去年配られたコロナの給付金10万円。

あの単発で新規国債発行額15兆円位です。
それを39ヶ月繰り返して達成出来るくらいの予算を繰り出す必要があるんです。

この超高齢社会という国難、その最優先課題とも言うべき事案に対し新規国債を発行して予算を引き上げる必要があるんです。

そうすれば当然「福祉サービスの価格」は上がり福祉領域で働く人々の賃金も上がります。

しかも保険料も「据え置き」もしくは「値下げ」、いやいや「廃止」という選択もできますよ。当然利用者さんが負担している自己負担額も無くしていく選択も出来ます。

現状から上限であるインフレ率2%までの新規国債発行可能額をどう振り分けるのかは「政策」として議論していく必要があります。
福祉領域以外にも枯渇している業界は多々ある訳です。

つまり福祉のみならずこの国の行く末を明るいものにする為には、舵取りをする私達の代表者である政治家をきちんと見極める知識。
それを踏まえて正しい政策を掲げている人物の見極める見識力。
そして一票を投じる小さな行動力。

この三つをもった有権者が福祉領域に増える事、それが賃金を上げる為の最重要事項だと私は思います。

間違っても、
消費増税や赤字国債は次世代へのツケなどというワードを言い放つ人物を選んだらいけませんね…。まさその政治家とそれを選択する有権者こそが国難そのものですから 笑



私が新型コロナワクチン先行接種を見送った訳

2021-04-03 06:50:00 | 日記
はじめに
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最初に書いておきます。
私は反ワクチンの人間でも、トランプ支持のQアノン的な陰謀論者でもありません。何を信じようが個人の自由です…が私は全く興味がない事だけは最初からお伝えしておきます。

それが証拠にではないが、2020〜2021インフルエンザワクチンはバッチリ接種済みです。

それとあくまで令和3年4月現時点では見送ったというだけで、今後の情報次第では接種する可能性はあるのであしからず。

ただただ、

「自分の身体に入れるモノだからこそ、納得した状態で接種か拒否かを選択したい。」

そして、その吟味の結果拒否という選択に至っただけです。

そして今回見送りに至った自分の思考過程をここに記す事で、これを見てくれた方がワクチン接種について悔いのない自己選択をする材料や考えるきっかけになれば幸いです。

またあくまでたかだか私の浅い見聞と視野により導き出されたものですから、訂正やご意見を寄せていただけたらありがたいです。
1 ワクチン接種のメリットについての考え方。



よくワイドショーやネットニュースで、

「ワクチン有効性95%」

という数字を目にする。
インフルエンザワクチンの有効性は40〜60%という事を考えれば非常に優秀。だからメリットがある。ワクチンの有効性がデメリットを上回るから打つべきというフレーズに触れる。

ハッキリ言って私からしたら新型コロナワクチンの有効性が100%でもメリットでは無い。
 
例えば、
新型コロナウイルスが罹ったら100%死ぬウイルスだったとしよう。有効性が50%のワクチンが完成しそれを打つか打たないかという選択を迫られた、貴方は打ちますか?

私は絶対に打ちます。
罹ったら100%死ぬ訳ですから。
生存確率が50%上がるだけでも御の字、絶対に打ちます。

有効性50%でもかなりのメリットがありますよね?

ワクチンのメリットって、私からすると

打たずに陥る状況ー打った際に得られる状況=メリット

なんですよね。
有効性が何%かでは無く、打たずに陥る状況の深刻さによってワクチンのメリットって大きく左右されます。

逆に、
新型コロナウイルスに罹っても致死率ゼロ%、
症状としては軽い微熱と軽い咳、大半が無症状だとしましょう。ワクチンの有効性は100%です。そのかわり、100%高熱、倦怠感、強い筋肉痛の副反応が起こります。

貴方は打ちますか?

ごめんなさい、私は打つ意味が分かりません。
だって、打たずに陥る状況より打った事により起こる副反応というデメリットが上回ってません?


そして、実はこの後半にお伝えした内容が世界では無く我々が住む日本という国での現実に近いんです。

これは私が感覚で話している訳ではありません。ここに厚生労働省が提示しているデータのURLを埋め込みますね。


30代の重症化率はゼロ%です。
もう一度言います。
重症化率はゼロ%です。

続いて死亡率に目を向けてみましょう。
30代では10人の方が亡くなっていますね。
その10人の方に基礎疾患があったか否かまでは書いていませんが、一番感染者が多い東京都に関しての記事を貼りますね。


亡くなられた方の9割が基礎疾患を持っていると考えれば、恐らく亡くなられた10人中高い割合で基礎疾患があったのだろうと私は推察しました。

つまり30代基礎疾患無しの私は感染しても、
亡くなられた10人の中に厳しめに見積もって基礎疾患無しの方が3人いたとして

生存確率は98%〜99%であると言えます。

これは紛れもない事実です。
私の感想や憶測ではなく厚生労働省が出しているデータを解説しているだけです。
30代死亡者の基礎疾患有無に関しては東京都のデータからの仮説だが、いい線ではないかと思います。

そしてワクチンを打った際の副反応が起きる確率の中身を見てみましょう。

ワクチンの国内治験では、ワクチンを2回接種後に、接種部位の痛みは約80%に、37.5度以上の発熱が約33%、疲労・倦怠感が約60%の人に認められています。

30代基礎疾患無しの私は、感染しても入院の必要がない軽症者か無症状である確率が100%。
厚労省のデータで入院してる人が3728人もいるじゃないか!!!という声が飛んできそうですが昨年10月24日より入院できる方は限定されていて以下の様になっています。

新型コロナウイルス感染症患者については、これまで一律に「入院」としてきたが、10月24日から「入院」の対象は、▼65歳以上の者▼呼吸器疾患を有する者▼臓器の機能低下が認められる者▼免疫機能低下が認められる者▼妊婦▼重度・中等症の患者—などに限定する—。


つまり厚生労働省のデータと上記の通告を照らし合わせると、30代の重症化率はゼロですから入院している方は基礎疾患があったり、妊婦さんである事になりますね。(中等症の方がどれ位いるのかは分からないですが)

私は健康診断結果が出て、
栄養状態、基礎疾患、臓器の機能異常はありませんでした。感染しても無症状感染か軽症者との扱いで自宅隔離かホテル隔離になる事がデータ上分かります。

なのにワクチンを打てば37.5度以上の発熱が約33%、疲労・倦怠感が約60%なんですよね。

おかしくないですか?
感染しても無症状か軽症で、自宅待機やホテルでの隔離で済むレベル。副反応37.5度以上の熱発33%ってエグくないすか?

そしてもう一つ気になるのがワクチンを接種した方の死亡報告が2件上がっております。





お一人の方は60代、もうお一人の方は20代の看護師の方です。どちらもワクチン接種前、バリバリ現場で働いていたお二人の方が同じクモ膜下出血で亡くなられています。
60代の方は前提として体力低下と骨粗鬆症が見られていました。20代の方は基礎疾患や体力の低下等はみられなかった。

政府はワクチンとの関連性は確証できず偶発的な事象として結論付けています。

ではよく比較対象に挙げられるインフルエンザワクチンの死亡例を挙げてみましょう。
厚生労働省がだしているインフルエンザQ&Aからの転載画像を載せます。

Q.34: インフルエンザワクチンの接種後の死亡例はありますか?

 インフルエンザワクチンの接種後の副反応疑い報告において、報告医師から予防接種を受けたことによるものと疑われるとして報告された死亡例は以下のとおりです。


ご覧の通りです。
因みに2019年〜2020年一月までで2825万人の方が接種して死亡は一例。

対して新型コロナウイルスの接種人数は約109万人。
厚生労働省の報告を貼っておきます。


因果関係は評価不能との結論は出ていますが、
接種後数日で命を落とした方が同じ死因、しかも現役の労働者が2名。インフルエンザワクチンの20分の1という分母数で起こったのです。

ちょっまとめますね。

30代基礎疾患無しの私は、感染しても100%無症状か軽症者である。しかしワクチン接種後の副反応はほぼ100%発生、その中でも高熱を出す確率は33%で倦怠感や疲労感が60%の人間に出る。接種後因果関係は評価不能ではあるものの、現役労働世代である2名の方がが同じ死因で命を落としておりその接種分母はインフルエンザワクチンの20分の1という数である。

コレ30代基礎疾患無しの私が打つメリットってなんなんです?

よくワイドショーなんかで医師が有効性95%を誇らしげに掲げ日本国民みんな打つのが良い!95%の有効率は凄いメリットみたいな事言ってますが私からすれば、年齢、基礎疾患の有無、職種によってワクチンを打たずに感染した際の症状は違う訳で、1人1人ワクチンを打つ事によって受ける恩恵って変わりません?なんで日本人全員全世代基礎疾患の有無や職種を無視して打つ事がメリットなのか誰か教えて下さい。

同じ家に住んでいたとしても、年齢と基礎疾患の有無により打った方がいい人、打たない方が良い人っているんじゃないんすかね?

ワクチンはあくまで自己防衛機能しか認められていないという現状


とはいえ高齢者や基礎疾患を持つ方と接する機会が多い介護士は打つべきだろう!ワクチンを打たずに感染させたらたらどうするんだ?という声が上がってきそうですね。

新型コロナウイルスワクチンはあくまで
発症予防と重症化予防の効果しか認められていません。予防効果は実証不能なんです。
厚生労働省が出してる資料をそのまま添付しますね。
ワクチンを打っても感染するんです。
発生したり重症化させないのが目的なんです。
つまりあくまで自己防衛の為にあるワクチンで感染者と接種する機会が多い医療従事者は打つメリットはあるかもしれませんが、感染者では無い高齢者や基礎疾患持ちの方と接する機会が多い介護士は、他者に対しての感染予防効果が無いのであれば打つメリットってありますか?

発熱や悪寒などは身体に異常が起きているサインでありウイルスや細菌に侵されているアラームみたいなもんです。

ワクチン接種したらそのアラームが鈍る訳ですよね…。しかも先に述べた様にそのアラームは30代基礎疾患無しの私には頑張れば働ける位のボリュームな訳です。
アラームが鳴れば迷わず仕事を休みます。
しかしアラームが鈍っていたらどうですか?
人工的に作られた無症状感染者がウヨウヨ現場に大量生産される事になりません?

そっちの方が怖いと思うのは私だけでしょうか?

まとめ

現時点で私が打ち出した結論は
年齢、基礎疾患の有無、職種によりワクチンはメリットにもデメリットにもなる。
30代基礎疾患無しの私は副反応の方が重いからワクチン打つデメリットのが大きい。
ワクチンとの因果関係は評価不能で偶発的であるとの結論付けはされているが、現役労働世代の尊い命二つが同じ死因で失われていて俺の感想としては偶然なわけねぇだろって感じ!!!

重症化率、死亡率が高い高齢者や基礎疾患を持つ非感染者とせっする福祉領域の人間からすると、他者に対する感染を予防する効果が無いのであれば逆に人工的無症状感染者を作り出すだけであるから逆に現場に入り込むリスクが上がって危ないっしょ?と考えている。厚生労働省のPDF見てくれた方はわかると思うけど、ワクチンの目的は発症予防と重症化予防なんだよね。

30代の基礎疾患が無い俺はそもそも感染しても重症化しないし、無症状感染って言う発症してない状況ですよ?
しかも100%その状況になってますよ?と張り付けた厚生労働省のデータを見て貰えば分かるでしょ?

言ってしまえば、厚生労働省さんがワクチンを打って目指す状態に30代基礎疾患無しの私は現時点でなってると認識してるんですが違う?笑

感染したら重症化、死亡しやすい方が有効性95%のワクチンを接種する必要はあると思うし感染者と接する機会が多い職種も自己防衛の為の接種は確かにメリットがあると思うのですが、それ以外の日本人全員が打った方が良い根拠ってなんですか?ワイドショーの専門家も政治家さんも揃ってワクチン接種の有効性やメリットを謳うけど、それに賛同してる人、どうか私にも分かる様教えてください。

ここまで言って何故今後打つ可能性がある含みを持っているかといえば、変異株の登場で30代基礎疾患無しの重症化率や死亡率が上がれば話は変わるし、他者への感染予防になる事が証明されれば仕事柄打つメリットは増すからです。

国民に丸投げしないで、

年齢×基礎疾患×職種=

・ワクチン接種を強くススメル
・ワクチン接種をススメル
・ワクチン接種は打ちたければどうぞ
・ワクチン接種は意味ない

的なたたき台くらい作れないのかね…?

馬鹿の一つ覚えみたいにワクチンは打つ方が良いの一点張りじゃなくてさ!

だから30代基礎疾患無しの私はワクチン接種を見送りました。意固地に打ちたくない訳ではないので打つメリットをきちんとデータ込みで教えて下さる方待ってます!納得したら即打ちますから!笑

なんにせよみんな打つから私も打ちます!みたいな空気感に流されての接種では無く、自分で自分の選択を後悔しない様にしっかり学ぶ事って大事だと思います。(なるべく厚生労働省など正確なデータを基に)

私は現時点で世代、体調、職種など類似した状況の人に対し何故接種するのかを説明できません。

何故接種を見送るのかは説明する事が出来ます。だから今回は見送ります。

何故接種するのかを説明出来る位に打つ根拠が明確になれば、私はワクチンを接種する選択をするのだと思います。

たかだか私の浅い見識と狭い視野での意見である長い文章、最後まで読んで下さりありがとうございました!あくまで私個人の体調を、健康診断の結果や職種に当てはめての見解です。

住む国、人種、年齢、体調、基礎疾患の有無、職種が変われば接種メリットは変わりますので全ての方に私の書いた事が当てはまる訳ではございません!

何か考えるきっかけになれば大変嬉しいです。またご意見ご感想ご指導ご鞭撻頂けたら幸いです!