三十路中盤備忘録

とりとめの無い事をタダ書き連ねていきます。

本当に世の中が自動化したらどうなるか

2021-12-07 15:30:00 | 日記



2112年まで91年となりました。
小学生の頃「ドラえもん誕生」という映画を観て、自分はそこまで生きているのか真剣に考えたのが懐かしですね。

あれから時は流れ少年時代に輝いて見えた「SF」が「近未来」として現実味を帯びて来た昨今、ロボットやAIが私達の生活圏で活躍する未来は喜ばしい事ばかりではないなと感じてしまうのです。35歳の単なるおじさんではありますが、起こりうる問題を結構真剣に考えてみましたので暇つぶしにでも読んでやって下さい。

①人工知能の種類


人工知能には特化型と汎用型という二種類が存在しています。特化型AIは「運転」や「将棋」など一つの分野に特化した人工知能を指します。2021年現在、AIと呼ばれている全てが特化型です。

続いて、様々なタスクを一つの人工知能で
完結させる事ができる汎用型AI。こちらはまさにドラえもんをイメージして頂ければ良いと思います。2021年現在では実現できていません。

②私達の生活とAI


2030年頃から特化型AIが本格的に我々の生活圏で存在感を示し初めると言われています。その象徴的な事象として、コックピットが無い自動運転車の実用化があります。

イメージとしては街中を無人自動車が走り回っており、必要時にはサブスク契約した会社の配車専用アプリで自宅まで呼び付けて乗車する感じでしょうか。

Uberタクシーの無人版といったところですね。
自動車メーカーは配車サービスの会社に業態変化を求められるか、米テスラの巨大な渦に巻き込まれて木っ端微塵になる可能性もあります。

自動車生産大国日本。
それを様々な企業がサプライチェーンとして繋がり支えているという背景があります。

先程お伝えした様に自動運転車がサブスクサービス化するという事は、ザックリ言ってしまえば大規模なカーシェアリングシステムの様なもので圧倒的に世の中にある「車の数」は減ります。という事は自動車販売という一つのモデルが崩壊する訳ですからサプライチェーンも同時に壊滅的ダメージを被る訳ですね。

世界のトヨタがそんなポッと出のテスラなんかに負ける訳が無いと思う方もいるかと思いますが、テスラが出している自動車は全てロボットにより組み立てられていて人件費が掛かりません。部品数も従来のエンジンは1000個程なのに対しテスラは17個。他社との提携としては小型リチウム電池を提供しているパナソニック位で後は自社生産という状況です。

しかもフルEVですから脱化石化燃料が叫ばれている昨今にもアジャストしています。
そんな事業モデルに共感する投資家は多く、業績としては赤字ですがテスラモータースの株価はすでにトヨタを超えているという状態です。

大量の従業員と大量の下請を抱えた愛知県の巨人トヨタと、人件費も下請けも掛からないシリコンバレーが産んだスマートスターテスラ。

2030年、スタンダードカンパニーになっているのはどちらなのでしょうか。

果たしてテスラ以外の自動車メーカーは存在意義を見出す事ができるのでしょうか。

「資本主義」ならトヨタが勝つはずですが、今は資本よりも「アイデア」「行動力」「情熱」という資本より尊いものがイズムとして確立し、それが世界を動かしている様に感じます。誰かこれに名前を付けて欲しいですね 笑

「イノベイズム」とか「パッショナリズム」的な。

ちょっと脱線しましたが要はずば抜けた「アイデア」と「行動力」と「情熱」を持ったほんのひと握りの天才起業家と、そこを見抜く目利きの「投資家」による資本投入。AIと、ロボット技術のみで完結するビジネスモデルの完成系がどの業界においても向こう15年の内に確立すると私は考えています。

「そうではない人間」の、供給側に入り込む余地が無い世界。これは間違いなくやって来ます。

今はまだ「人が働く」という事になんの違和感も感じませんが、裏を返せば世の中を便利に発展させるには「人が働く必要があった」という事です。

「頭の良い指導者達」が国という単位を用いて
「人を効率よく働かせる仕組み」を考え、「イデオロギー」や「宗教」等を駆使して実践してきた歴史の上に我々の「今」があります。

生産された品々の分配システムとして「お金」という手段を発明した人類は、そのお金を労働の対価として据える事で「生産」「供給」「需要」のバランスをとってきた訳ですね。

しかし「生産」も「供給」も人間以外が行う世界になれば残るのは「需要」のみです。

「生産・供給」の対価としての「賃金」。
その「賃金」を活用し「需要」を満たすという現在のシステムが使い物にならなくなる訳ですね。

そのおかげで「お金」は「労働の対価」としての側面は殆ど無くなり「公平な分配手段」として本来の姿を取り戻すと私は予想します。

今ベーシックインカムが叫ばれ始めている根本的な理由はここにあるかもしれませんね。

③人が働かない世界で働くという事



全て人からロボットへ置き換わるかといえばそうでは無く、細かいグラデーションがありますし、置き換わるにしても慎重に時間を掛けて行く必要があるものを考慮すると、我々が供給側から完全撤退するのはまだ先でしょう。

例えば、「福祉」「医療」「教育」等、汎用型AIが究極のレベルまで発達しても人力の撤退が正立しないであろう業界で働く人材の「労働意欲」や「あり方」の源泉を見出すのは簡単ではない気がします。

人々が働く事から解放される目処が立った時点でベーシックインカムを始めなければ社会は崩壊しますから序盤は生活保護位の水準からスタートして年々総労働時間が減るのに反比例する形で分配金額は上がって行き、最終的には現在年収450万円位の人が送れる生活水準程で落ち着くのだろうと予想します。

働かなくても生活が担保された世界で、働く理由はなんでしょう。

勿論「やり甲斐」「生き甲斐」はあるでしょうが、それで必要な人手を補完できるとは思えません。

それに大体が人と接する事自体に価値が生じるサービス業に人手のニーズが集中するとしたら、提供者と消費者間に発生する情緒的な均衡を担保するためのスタビライザーは何になるのでしょうか。

「生活を送る為には労働の対価として賃金が必要である」という前提があるから、「消費者」は「お客様」で労働という「生活に必要な負荷を背負わせてくれるありがたい存在」であるという定義が成立します。

その前提がなくなれば「消費者」は単に「施す側」と「施される側」という「優劣感情」が発生しやすい負荷だけを背負わせてくる厄介な存在になってしまいます。

この様相では破綻は必須です。
ですから「賃金」以外のインセンティブというスタビライザーを私達は今から真剣に考える必要があります。

④必要な人力を社会としてどう捻出するのか



少なくはなりますがピンポイントで必要になるであろう人力を、どの様なカタチで捻出するのかをちょっと考えてみましょう。

例えば

4時間に一度ランダムでボタンを押す事が求められる労働があると仮定します(例えだとしてもありえねー)単純に8時間労働と考えれば、3人の労働力で済む訳です。

労働の対価が、希少性のある素晴らしいものであるならば3つの席はすぐ埋まるでしょう。しかしそうでなければ成り手を探すのは非常に困難です。対価の価値にも左右されますが、社会としてその24時間に6回のボタン押し作業をどう分担するべきでしょうか。
極端ですが二例挙げてみます。

★1   1日に24人の人員を動員し1時間交代で労働します。

★2   それとも3人の人員を動員し8時間交代で労働します。

もし★1の形態をとるのであれば、
軽い負担を沢山の人々で担う事になります。全く苦ではありません。ですからある意味対価は「他23時間を自由に過ごせる権利」で良いのだと思います。必ず社会は人と人が関わり合って構築されていくのだからというある種宗教的、儒教的な縛りでもって十分な気がしますね。
この小さな負荷を担う事でベーシックインカムのお金を得る権利が担保されますというイメージでしょうか。

もし★2の形態をとるのであれば、
他の人が自由に使える時間を8時間も差し出す訳ですからそれ相応の「対価」が確立していないと難しい様な気がします。

私は日割り時間割りで振り分け方の幅はあると思いますが、★1が現実的なのではないかと考えています。

自動運転化で必要になる障害者や高齢者への小さな手助けなんかもこの必要な事に入りますね!

⑤働く上でのメンタリティ


仕事での生産性が高い事を誇る事は、今の価値観では当たり前の事かもしれません。 
自分の働きとその対価である賃金は直接生活水準の上限幅として跳ね返ってくる構造になっていますし、人は他者承認欲求を満たしたい生き物ですからその上限に近いところで暮らしを営む傾向にあります。ただ、④で述べた様な社会構造でその様な誇りを持ち続ける事や、欲求の満たし方は出来なくなるでしょう。

生産性を求められるのは一部の「アイデア」「行動力」「情熱」という資本より尊いものを持つ天才に限られます。

だからこそ、もっと違うところに価値を見出す練習をする必要があると思います。

例えば、絵を描く事やダンスをする事、音楽を楽しむ事や料理をする事、友人と時間を過ごす事やスポーツを楽しむ事、それを他者との比較から自分の優越性を感じるという事ではなく、「自己満足」に紐つける。そうした価値観を持っていくと、これからやってくる世界を楽しく迎える事が出来るのではないかと思います。

ですから程よく労働にもつ誇りを放棄するのは生きやすいベース作りに必須かもしれません。
(あくまでも程よくです 笑)

たまに見かける、会社員時代の有能ぶりを町内会の草むしりで発揮しようとする偉そうなおっさんみたいにはなりたく無いですしね〜。痛いから。

⑥まとめ


さてここまで読んでみて、皆さんはどう感じましたか?あえて極端な世界観で書いた点も多かったのでとんだ妄想野郎だと思われた方もいると思いますが、あながち良い線いってるんじゃないかな〜 笑

自分は生きる事と労働が必要以上に紐付けられない世界が来る事を密かに楽しみにしてます。
ただ仕組みや考え方のアップデートは必須ですよね〜。生産性上げてく事じゃない方にアップデートするってめっちゃ変な感じですが、徐々に必要なんでねーかと思う今日この頃です。

最後まで読んでくれてありがとうございました〜!



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