三十路中盤備忘録

とりとめの無い事をタダ書き連ねていきます。

2021年3.11の朝に聞いた曲は吉田拓郎

2021-03-11 11:04:00 | 日記
今日までそして明日から

私は今日まで 生きてみました
時には誰かの 力を借りて
時には誰かに しがみついて

私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと

私は今日まで 生きてみました
時には誰かを あざ笑って
時には誰かに おびやかされて

私は今日まで 生きてみました
時には誰かに 裏切られて
時には誰かと 手をとり合って

私には 私の生き方がある
それは おそらく自分というものを
知るところから 始まるものでしょう
けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きて行く
明日からの そんな私です

私は今日まで 生きてみました
私は今日まで 生きてみました
私は今日まで 生きてみました

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あれから10年。
津波は沢山の方の営みと、
掛け替えの無い命を飲み込んだ。
その中には、利用者やその家族。
学生時代に机を並べた仲間やその家族も、
あったはずの10年後を無きものにされた。

沢山の人達にあったはずの"2021年3月11日"を今日自分は生きている。

亡くなった人の分まで…
などと背負う事など出来ないけれど、

ただただあったはずの命を
たまに懐かしんで
たまに悲しんで
そんな感じで
無かった事になんかしないから。

そんな風に明日からも生きて行きます。

もし魂みたいなのがあるんなら見守ってくれてたら嬉しいです。

自分らしさ最優先でたまに許される位のズルをしながら、あったはずの2031年3月11日まで、生かされるなら生きていたいと思います。

因みにじいちゃんは俺の枕もとに出すぎ 笑

お金の使い方。

2021-02-16 21:55:00 | 日記
入り口から出口へ
色々考えさせられたお金の事。
必要経費編

孤独死、老老介護、そういった社会課題を解決していく為、NPO法人からのバックアップを受けながら高齢者向けの便利屋プロジェクトを立ち上げたのですが、そこで今一度お金の事、身体の事、仕事の事、自分を取り巻く環境全てを見直すきっかけになる様な案件を多数目にする事になったんです。

埃まみれの営業トップを表彰する賞状が掛かったゴミ屋敷に生活する高齢男性。

貯蓄も資産も食い果たし、明日食べるご飯にも困っている元年収うん千万円経営者。

どの方もお金を稼ぐ事で人生の荒波を越え、当然社会に大変貢献されてきた大先輩である。…がしかし、現状「幸せ」とは程遠い生活になってしまっている。

理由は至極簡単、

人はいつか老いて稼げなくなります。
それでも人は稼いだお金の使い方によって身に着く生活水準や他者への接し方を突然変えられないからです。つまり稼ぎ方が超一流でも、そのお金の行き先である「使い方」が三流では幸せになれないという事ですね。
*ここでいう稼ぐとは「不労所得」を除いた、ビジネスの対価としての利益を手にする一連の過程を指します。

この紛れもない事実と正面から向き合った時、
自分の思い描く「幸せ」とはいつ、どこで、誰と、どの様な生活を送る事を指すのかというゴールと、そこから逆算したお金の「使い方」の重要性を嫌でも考えさせられたのです。

そこでお金の使い方と言う出口を3つに分けて

「必要経費」「貯める」「増やす」

とそれぞれ表札を付ける事から始めてみました。

※便利屋プロジェクトの詳細はまた別に書きたいと思います。

必要経費ゲートの概要

必要経費と聞くと、生きる為に最低限必要な出費というイメージを持たれるかもしれませんが、ここはもう少し間口が広く遊び心があるものになります。
私は日本酒を飲むのが好きです。サッカー観戦、冬はスキーとなかなか多趣味ですが、コレにかかるお金も必要経費になります。

趣味は心身の健康を整え、人生を豊にしてくれる大切なピースです。
決して浪費ではありません。

では生活インフラ以外の出費において、必要経費と浪費の違いとは具体的になんでしょうか?
それは出費対象になる物や事柄の目的が、
「他人軸」寄りなのか「自分軸」寄りなのかという所に私は基準を置いています。

自分軸寄りな出費は必要経費で他人軸寄りな出費は浪費です。
高級時計を例にその基準を解説したいと思います。わたしも昔高級時計に憧れた次期がありました。特にIWCなんかはカタログまで取り寄せた位です…。
今は完全なるApple Watch愛用者

私の知人は、ロレックスサブマリーナという高級時計を毎日身につけています。彼は、毎日身につけているその時計を清潔に、綺麗に取り扱っていました。磨いて眺めるのが日課だそうで、この時計を見るとテンションが上がってやる気スイッチが入るのだそうです。
将来的には自分の子供へ譲るのが夢だとも話していました。これは自分の人生を豊にしてくれる必要経費として「自分軸寄り」の出費と私はカテゴライズします。

次は、以前ビジネスをしていた頃の取引先で、これまた同じくロレックスデイトナという高級時計を身につけいる方がいました。しきりに私へ高級時計の購入をすすめ、ステータスを上げる事で信用が高まり話題にもなる。とにかく見られ方は大切だと教えて頂きました。それは一つの正解ですし、若輩者に一つ知恵を授けてやろう!という気持ちには素直に有り難みを感じました。しかし「それがなかったら私はこんな物大金出して買わないよ」という一言だけには、

「そ、そうなんだ…」

と首を傾げたくなる感じがしたのを覚えています。勿論経営者でステータスが大切な立場の人間もいるでしょうが、そんな人物は僅かに一握りです。そんな希少な人物にしか当てはまらないステータス論を自らにも投影して、好きでもない時計にうん百万円を掛けるのは私からすれば「他人軸寄り」な浪費です。

そこで私は他人軸寄りな浪費を一切やめる事にしました。

車と言う浪費をやめたらめちゃくちゃ人生が好転している件

Y31セドリック→Y32シーマ→RF1ステップワ

ゴン→10アルファード。これが私の愛車遍歴。懐かしのどれも名車ですね〜!思い帰すと車選びをする時にいつも軸に置いていたのは「周囲から一目置かれるか否か」だった様に思います。 笑


そこに費用対効果などと言う概念は全くない。見た目がカッコ良く、排気量のデカい車こそがその頃の自分にとっては「良い車」でした。

若者の車離れが叫ばれる昨今では信じられないかもしれないですが、週末の仙台新港には高級セダンに乗った若者がミーティングと称して集う光景は珍しく無かった。そんな時代を生きて来たからこその価値観を引きずって10年以上車を選んで来ました。


しかし昨年2020年2月。

私は前項で述べた、他人軸寄りの浪費を止めるべく癖が強い歌舞伎顔のコイツ、


50系プリウスに乗り換えました。
V63000ccからハイブリッド1800ccへのクラスダウン。…でしたがオシャレは足元からという事でRaysグラムライツを履かせ、レザーシートカバーという自分軸寄りの経費を掛けた状態がコチラ。

ん〜!満足。
カッコいいでしょ?笑
プリティ号と名付けました。

そしてプリティ最大の強みがコレ。
カタログ数値リッター38キロと言う低燃費!
もはやスーパーカブ。実際は平均23キロ程であるが、1ヶ月に一回満タン五千円の給油をするかしないかという超絶的な燃費性能だ。

因みにアルファードはガソリン代で1ヶ月三万円以上掛かっていたので驚きも大きかった。
以前のブログにも書いたが禁煙とエナジードリンク断ちもスタートしていたので、冗談抜きで5万円近い金額が浮く様になった。

それだけではない。
コンビニで買っていた昼食や飲み物を全て自家製に切り替えた為、食費はほぼ0円。
なんだかんだで1万円程使っていた外食費用が浮き、合計6万円の節約に成功しました。

燃費が良い車に切り替わった事で遠出へのハードルが低くなはりました!…コロナ禍でその引くなったハードルも超えられないのだが…。
コロナが落ち着いたら行きたいところがいっぱいあります!!あー…早く落ち着いてくれ〜!

欲しかったスキー様品、サッカー様品、なんかも購入ハードルが下がりました。

余力を無理なく「貯蓄」「投資」「保険」に振り分け本当に自分や自分の大事な人へ集中してお金を使える様になりました。

他人軸寄りの浪費と自分軸寄りの経費を分けるという事は、節約しながら満足感ある生活を送るはじめの一歩なのかもしれません。

心理的他人軸寄りの浪費も辞めてみた

成果がわかりやすい形で出た事で、他人軸寄りの浪費を辞め、過去に他人軸寄りの浪費と思われる目的で購入した様々な物を処分しまくってみました。服、靴、時計、インテリア、そういった類のものが殆ど私の周りから姿を消しましたね 笑 

どんだけ他人の目を気にしてたんだか…。

冗談抜きで、一部屋が何もない状態にまでなりました。

ビフォー

アフター
↑まだ途中の状態ですが、今じゃココ寝室になってます。なーんもないです。気付いたら、目指してないのにプチミニマリスト状態となってましたね 笑

手元に残っているのは
スキー
サッカーボール
カメラ
レコードプレイヤー、アンプ
シーンに合わせたアウター

以上です。
なんでしょう、好きな物しか見当たらないんですよね。心が必要の無い物に掻き乱されない空間になりました。お金とおんなじで、心のエネルギーにも限りがあるのだとしみじみ実感しましたね〜。

本当に大切な人や物にだけ「心配り」できる環境を作る事で、穏やかに毎日が送れている様に感じます。

お金も心のエネルギーも「稼ぎ方」の様に量を増やす事に目が行きがちですが、今回のチャレンジで同じくらい「使い方」が大切なんだなぁと思いました。

気が向いたら、「増やす」と「貯める」のゲートについても書いてみたいと思います!

最後まで読んで下さりありがとうございました!リアクション、コメント励みになります🙇‍♀️
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僕とあの子のさよなら哀歌(禁煙生活突入から現在編)

2021-02-12 20:39:00 | 日記
コメント、リアクション本当にありがとうございます!!拙い文章ですがちょっとでも読んで下さる方々の何かの足しになればと思います。

禁煙生活突入イライラ期

さてさて今回ついに禁煙生活へ突入する訳ですが、思い返すと最初の3週間は全力で眠い…。

兎にも角にも眠い、怠い…。

タバコを吸えない事よりも、脳の働きがビックリする位低下し様々なパフォーマンスが落ちているのが辛かった…。

普段なら簡単に導き出せていたと思われる、生活上散発的に発生する課題解決への道筋が全く浮かんでこない。

仕事での打ち合わせで、担当の方から心配される程…。

感覚的には37度5分位の熱がずーっと続いている感じでしたね。

吸いたくないけど、仕事のパフォーマンスを上げる為には吸わなければいけないんじゃ…という強迫観念にかられては振り払う、そんな毎日でした。

禁煙に向けての目的が明確に記された待ち受け画面を毎日眺め、
みてねというアプリで毎日姪っ子の顔を眺め、
顕在意識をコントロールする。
※詳しくは目的編をご覧下さい。

メンソール系のガムと、キンキンに冷やした水で刺激を与える。
※詳しくは計画と戦略編をご覧下さい。
因みに、このガムと水のコンボには本当助けられました。絶対にオススメです!

ただイメージ的には火傷したところに流水を掛けた時だけ痛みが引く様な瞬発的な効力しか無いので、冗談抜きで一日4リットル位の水を飲みました 笑

それでもニコチン先輩は

「吸えば楽になるよ〜、簡単な事さ〜、仕事のパフォーマンス落ちてるんじゃない〜?」

と暇なし囁いてくるのだ…。

誘惑に負けて吸ってしまうめちゃくちゃリアルな夢で飛び起きた事が開始3ヶ月で3回ほどありました。

コンビニに出たり入ったりを繰り返し、
ゴミ箱の前でうずくまったのも開始1週間で10回程。

心の中にいる小さな自分が
眠い、怠い、吸いたい、吸えない、眠い、怠い、吸いたい、吸えないの大合唱を永遠と繰り返している感じ。

それ位強い離脱症状が出るのは、カフェインとニコチンを同時に断っている訳なので当然といえば当然ですが…。

しかし…

禁煙20日目位の事。
これは忘れられない体験なのですが、
嘘みたいに気持ちよく、
身体がもの凄ーーーーーく軽く頭もスッキリとした状態で目覚めたのだ!!

恐らく喫煙者だった頃は慢性気管支炎を起こし痰が絡んでいた為に、寝ている間キチンと呼吸が出来ていなかった。それが禁煙により改善され、就寝中に酸素が身体中に満ち溢れた状態で深く眠る事ができたのだと思います。

ここらへんから徐々に離脱症状だった怠さや眠気が和らぎ始め、「吸いたい」の波が押し寄せる頻度が減ってきたのもこの頃です。

離脱症状が生活に影響を及ぼす位強く現れたのは禁煙開始3週間まででした。
個人差はある様ですが、ハッキリ言ってめちゃくちゃ辛かったのはココまでです。
ココから禁煙は想像していたよりも簡単でした。毎食後、

「吸いたいでしょ〜?」

と囁いてきますがそこさえクリア出来れば大丈夫!ガムと冷水のコンボで封じ込められます。
もしかしたら、携帯待ち受け画面効果も手伝ってくれていたのかも?笑
姪の写真が更新される頻度にも助けられました。笑

禁煙に順応し始めた安定期

開始から1ヶ月。
ブログ的にはもう一山位来て欲しいところなのですが、本当にすんなり辞めれちゃった感じなんです…。

最初の3週間が地獄の様な苦しみだっただけに、少し面食らった感じでしたね。

3月後半に新型コロナウイルスが世界中で本格的に脅威と認識されてから私を取り巻くビジネス環境は完全に一変し、立ち上げ一年に満たないプロジェクトも完全にストップしてしまうなど一見煙草へ吐口を見出したくなるのでは?という状況下でも、逆に喫煙という無駄な時間や労力に囚われずにやるべき事へ意識を向けられたというのが正直な感想です。

そして、現在ですが
正直このブログを書いている今何故か吸いたくなっています。やはり脳は覚えているんですねぇ。タバコ、エナジードリンクなどというワードを書き連ねるとダメですね 笑
なので早々とこのテーマでの執筆を終えたいと思います。

お酒とタバコ

お酒を飲むと吸いたくならないの?と友人から聞かれるのですが、答えは「ならない」です。

お酒を好きでも無いのにガバガバ飲まれる方がおります。きっとその様に酒を煽る方にとっては、煙草もお酒も精神安定を得る為の手段として存在しているのだと思います。
過去、私もその様にお酒を使っていた事がありますが確かに煙草は絶対に外せないパートナーでしたね 笑
きっと禁煙前に私がエナジードリンクと煙草がセットになっていたの同じイメージですね!

しかし二十代後半から、私はお酒そのものが大好きになりました。日本酒がとにかく好きなんです。味、香り、肴との相性、器、酒蔵それぞれが持つエピソード、同じ感覚で日本酒を愛する仲間と過ごす時間その全てが楽しいのです。
むしろ煙草をやめた事で、味、香りを感じとるセンサーが正常に働いてくれる為、より日本酒を楽しめる様になりました。本当の味と香りを知ってしまったら、わざわざ感覚を鈍らせる煙草を吸おうとは思いません。

私の場合、完全にお酒好きが禁煙をアシストしてくれたケースでしたね。

禁煙で感じたメリット

1.  飯が旨い、酒が旨い
2.  眠りが深く寝覚めが良い
3.  金が全く減らない
4,  冷え性が治った
5.  肌荒れが消えた
6.  部屋衣類が良い匂い
7.  時間が増えた
8.  仕事の効率が上がった
9.  喫煙という動作に縛られなくなった
10.気持ちが穏やかになった

ちょっと考えるだけでもこれだけの良かった事が挙げられるます。
特に9番の「喫煙という動作に縛られ無くなった」というのが一番のメリットではないかと感じています。

喫煙してた頃は、全て行動の中心には赤マルちゃんが鎮座していました。

ショッピングモールに行って最初に確認するのは喫煙所の位置と数。

新婚旅行の目的地は、ハワイではなく煙草が吸えない飛行機に乗る時間が短いグアムへ。

料理が旨い店ではなく、煙草が吸える店へ。

煙草が吸えないスペースで会話をしていると、後半はずっと切り上げて喫煙するタイミングを計っている状態。

挙げたらキリがない程煙草の奴隷状態でした。
まさに自分の意思を支配されている感じ。
カマキリを操る針金虫の如く、長年自分を乗っ取られていたんだなぁ…とつくづく思います。

今は、
人との会話に集中できますし、仕事に雑念が入りません。行きたい所に行きたいタイミングで出向きますし、終日禁煙の旨い店を迷わず選択できます。きちんと行動の本質に沿って意思決定できていて、とても幸せです!

ニコチン中毒になるメカニズム

人間にはセロトニンという精神を安定させたり、ドーパミンという幸福感を与えたりする報酬系の脳内分泌物質があります。
ニコチン先輩はそのセロトニン君やドーパミンちゃんを出せ出せと催促する作用があります。

私の脳味噌は長ーい喫煙習慣から、ニコチン先輩からセロトニン君ドーパミンちゃんを催促されないと分泌出来ない状態に陥っていました。

本来ならニコチン先輩の催促が無くても、必要に応じ分泌が必要か否かを自動で判断するセンサーが働く様に人体は設計されているのですが、そのセンサーがニコチン先輩の登場により働かなくなるのです。

まとめると、

1 ニコチン先輩が報酬系を司るセンサーをぶっ壊し、自分がいないと分泌されない様に脳味噌に魔改造を施す。
2 報酬系の分泌が無いと、不安と不幸感に襲われちゃうから煙草と言うツールでニコチン先輩を取り入れる。
3 報酬系であるセロトニン君とドーパミンちゃんがニコチン先輩の催促で分泌される。安心感と幸福感を得る、ニコチン先輩が幸せをもたらす神と洗脳される。
4 悪徳宗教団体ニコチン教へ入信、毎月数万円のお金を支払い発癌リスク増加や慢性気管支炎という要らぬ副産物を身体に与えながら盲信。
5 ニコチンの顔色を見ながらの生活を余儀なくされる。まさに中毒状態の完成。

と言ったところだろうか。

つまり禁煙とは、

「報酬系脳内分泌がニコチン無しで自然再開されるまでの戦い」

と言えるだろう。

まとめ

人生初の禁煙。なんとなく始めるのではなく、取り組もうとしている事と真正面から向き合い明確な意思と戦略をもってして望めば乗り越えられないハードルでは無いと思いました。

吸っていた事を悔やむ事はあっても、禁煙を後悔した事はありません!

100利あって1害無しです。
今現在禁煙するか迷っている方、断言します。
禁煙すれば人生変わりますよ!
毎朝気持ちよく目覚め、毎日旨い飯が食え、充分な肺活量を取り戻した心配機能を存分に活用したスポーツを楽しめます!運動すればする程保険料が下がる保険に加入して、手厚い保障を安価で健康を手にしながら受けられる安心感と満足感があります!浮いたお金で、将来の備えとして個人年金と積み立て投資ができます!

喫煙は個人の自由です。やめるか辞めないかはあなた次第です 笑

長い文章を最後まで読んで下さり本当に本当にありがとうございました。
いいね、コメントお待ちしております〜!
励みになります〜!!!!


僕とあの子のサヨナラ哀歌(計画と戦略編)

2021-02-09 09:00:00 | 日記
さ無事に1月11日を迎え
正真正銘禁煙丸一年達成しました〜‼️

と言う事で前回に引き続き禁煙一年達成までの
流れをブログでお伝えしたいと思います。

前回は
「禁煙する事の目的を明確にし、
潜在意識を上手に活用できる様仕組み化する」
をご紹介しました。

今回は、
「禁煙までの計画を明確にし、
必要があれば戦略を打ち出す」
という点にスポットを当ててみたいと思います

「計画と戦略の違い」

目標を見据え
(達成すべき事項と期日)
達成するには
人、物、金という資源を
「いつ」「どこで」「誰が」「どうやって」
活用するのかを
時間軸上に前もって定める事。

これが私の概念上
「計画」
と言われるものだ。
(様々な考え方がある様ですので、あくまで私個人の見解です)

計画を立ててみた時、目標達成までの時間量と
資源量双方が少ないという事はよくある話だ。
そんな時に、解決方法は大きく分けて二つ存在すると私は考える。

まず一つ目は
目標達成期間を先延ばし
物理的な制限を受けにくい時間量を増やすという方法だ。

簡単な例を挙げれば
24万円の時計を12ヶ月で手に入れるという目標を達成する為の計画を立てたとしよう。

そうすると当然月々2万円の貯金が必要になる。
こういった計画が立つわけだが、
現在の収入から考えると、月に1万円を捻出するのがやっとな状態だとしよう。

1番簡単な解決方法は
24万円の時計を24ヶ月で手に入れる計画に
作り直す事だ。

これが時間量を増やすという事になる。

もう一つは

通常1万円しか捻出できない時計への貯金額を
2万円に増額、
もしくは24万円の時計を12万円に値下げする
そういったカラクリを編み出し
時間量を増やす事なく目的を達成する

戦略

を計画上で用いる事だ。

どちらも有効な手段だが、
ここで大事になってくるのは
自分が今成し遂げたい事案の性格を捉え
適している方を選択する意識である。

今回取り組む禁煙という目標達成は、
自分の生が続く限り終わらない。
これは一度愛煙家となった以上
受け入れなければいけない事実だ。

三年禁煙しても、
五年禁煙しても、
失敗する人は居る。

だが禁煙の失敗を経験した多くの方々がチャレンジ一年未満の開始3ヶ月以内に脱落している。

つまり一年間禁煙を継続するという目標を達成する為の計画を立てた時、序盤の3ヶ月は集中的な資源の投入が必要になるという計画が立つのは明確だ。

そういったチャレンジの性格的な部分も念頭に置いて、計画の立て直しなのか戦略の考案なのかを選択していく必要がある。


兎にも角にも
365日という時間制限下で
計画を立ててみる事がスタートになる。

文字通り禁煙に捻出できる予算把握。
喫煙者との接触場面想定。
禁煙意識を高めてくれる人材把握。
禁煙グッズのリストアップ。
禁煙を促す本や動画のリストアップ。

上記の様な資源項目を
時間軸上に数量も含めて配置してみたのだが、
これが中々厳しいものになってしまった。

最初に計画したのは
禁煙外来と禁煙パッジなどの補助用品活用を前提としたプラン。
これが1番確実な禁煙方法である事は疑う余地もないのだが、

「自己コントロール能力を
肌感覚で知っておきたい」

という目的からどうしても外れている様な感じがしてならなかった。

また禁煙外来は大体3ヶ月で二万円の出費。
煙草に桁違いな金額をぶち込んでいるお前が何を今更とお思いになるかもしれないが、
1〜3月に200万円の現金出費を予定していた。
新しい車の購入である。
もともとハイオクをばら撒いて走る様な車に乗っていた私。
中長期的に見たら確実にプラスとなる投資だが、妻の収入が無くなった上に禁煙グッズや禁煙外来等の出費+αレンガ二つ分の出費は痛い。

これはもう計画ではなく、戦略が序盤から必要だと私は判断した。

禁煙開始の3ヶ月間で
禁煙外来、グッズに頼らず
己の創意工夫だけで本来掛かる2万円の経費を
出来るだけ減らす為の戦略だ。

いくら己の創意工夫だけでといっても
結局2万円近い金額を使ったのでは意味が無い。

その為3ヶ月で五千円以内。
という具体的な目標設定を掲げた。

しかし、ほぼ思いつきに近いかたち。
しかも初めての禁煙そんな私に編み出せた
戦略は面白い位に雑…。

ま、まぁ成功した訳だし、

恥ずかしいが紹介したいと思う。

1、禁煙開始の1月10日までの1週間は
メンソールの強い煙草に銘柄を変更する

2、タバコとセットで飲んでいたコーヒーやエナジードリンクの代わりに水を飲む

3、1月9日に禁煙の儀を執り行う

の三点だ。

まずひとつ目の解説だが、

私はタバコに気分転換のスイッチという役割を持たせていた。
そのスイッチを完全なるニコチンから
ニコチン+メンソールによる刺激へスライド
させる狙いがあった。

そして二つ目の解説だが、

エナジードリンクを
純粋な水に変える事でそのメンソール感を
さらに強化すると同時に喫煙のトリガーになっていた脱カフェインも進める狙いがあった。

そして最後
禁煙の儀だが
人間は節目節目で式を開く。

理由は漠然とした思いを
「志」
へ強化する為だ。

一月三日から
戦略1.2を愚直に7日間継続した。
無理やり脳味噌をカフェインで覚醒させていた為強烈な睡魔に日中襲われる事態が発生した。
カフェイン断ちの時点で暗雲が立ち込めたのだが毎朝この動画を見て耐え忍んだ。



眠気を覚ます為にメンソールタバコの本数が増えたが、その都度真水を飲んで刺激を強化させた。

そして運命の1月10日、
さよならの儀を執り行いました。
儀などと堅い言葉を使いましたが、簡単な内容です。長年親しんだ赤マルを一箱購入し一本をゆっくり深く吸う。まだ19本残った状況の箱を両の手でグジャっと捻りゴミ箱へ。
車にあった灰皿はきれいに掃除してピカピカに磨き、手を合わせてから処分。

案外こんな簡単なものでも、心の整理はつく。
引き返せない禁煙という挑戦を成功させて、前回のブログで紹介した目的を達成するのだと強い「志」に変換できた様に感じた。

そして、メンソール系のガムを某ディスカウントショップで購入。吸いたくなったら噛む、水を飲むという毎日が始まった。

次回は禁煙開始から今に至るまでの経過と、戦略の効果をお伝えしたいと思います!
良かったら、コメント、いいね👍お待ちしております🙌大変励みになります〜‼️




















懲りずにまたブログを書き出した三十路中級者。

2021-01-05 10:00:00 | 日記
私はブログというものを始めては、自然消滅させるという事を何度も繰り返してきました。

①私は何故blogを自然消滅させてしまうのか
②私はこれまで何故blogを執筆していたのか

この2点をきちんと分析して改善しない事にはまたブログ始めました詐欺を繰り返す事になると考え、まずは上記二点をきちんと自己覚知する事から三十路備忘録は始めたいと思う。

そして①②を念頭に置き

③何故私はまたblogを性懲りも無く執筆し始めたのか?という「目的」。これを他ならぬ自分が理解した上でこの先も執筆を続けるか否かも含め検討していきたいと思う。

①私は何故blogを自然消滅させてしまうのか

これを考えた時、私のblogにはひとつの癖みたいなものが浮かび上がってくる。

「酒」「ダイエット」「経営論」

こんな感じでその日その時に強い関心を持っているテーマを据え、それに則ったタイトルと自己紹介文をその溢れんばかりの情熱のまま書き連ねるというスタイルのblogのスタートである。

しかしながら私は飽きっぽい性格である。

関心を完全に失う訳ではないが、2ヶ月も経てば違うものに興味が移行する。

その時にはむしろ違う事を書きたいのだ。
迸る情熱を注ぎ込み、ねりに練った「タイトル」そして「自己紹介文」が鎮座したブログ設定は興味が薄れた私には足枷でしかない。

しかしながらここで私の面倒臭い質がさらにブログを自然消滅に追いやる。

秘技「誰得潔癖」だ。

誰得潔癖とは、普段比較的ガサツでだらしの無い私がなんの前触れもなく起こす癇癪の様な「潔癖症」の事である。

日本酒をテーマにしたブログを開設したとしよう。最初は情熱を持ってブログを執筆する。しかしながら案の定興味関心が薄れてくる。今一番関心が高い分野についてなら書けるが、それ以外は筆が進まない。

そこで臨機応変にブログタイトルや紹介文を変更し書きたい事を書けば良いのだが、どうしても気持ち悪いのだ。誰得潔癖の発動だ。日本酒をテーマに始めたのだから日本酒以外の事がblog一覧に並ぶ事がどうしても許せないし、途中でタイトルや紹介文が変わる事も許せない。
まさに発動したところで誰も得をしない「潔癖症」といういらん質。

そこからは自然消滅街道まっしぐら、もはやその存在すら忘れ去ってしまう。

しかも、新たに興味関心が生じたテーマで違うblogを開設する始末。そしてそのblogも上記の理由で自然消滅していくのだ。まさに負の連鎖。blogと言う名の産物を生み出しては消滅させるの 「ビッグダディ現象」を繰り返してきたのだ。

つまり

①私は何故blogを自然消滅させてしまうのかというクエスチョンに対してのアンサーは、

間口の狭いblogの初期設定とその変更を許せない「誰得潔癖」の発動が、「ビッグダディ現象」として繰り返されるから!

という事になる。

では続いての検証項目に移行したいと思う。

②私はこれまで何故blogを執筆していたのか?
という点だ。

これに関しては趣味嗜好仕事に向けられるやり場の無い強い思いの吐口だった様に思う。

興味関心が強い時のスキル知識双方を会得するスピードは自分でも驚く程である。文字通り寝る間を惜しんでしまうのだ。

当然その爆発的瞬発力を支えているのは並々ならぬ情熱な訳だが、それを共有できる相手は中々いない。

妻に日本酒のうんちくを説いた所で、妻からすれば迷惑極まりない。

商談中のほろ酔い中年男に興味のない分野をそこそこな熱量で長尺語られる辛さは私も経験済み。

あの心が無になっていく感覚との葛藤。相槌に不備は無いだろうかという時折設ける自己点検タイム。まさに自己犠牲が為せる技。

自分がやられて嫌なことは人にやってはいけません。ですからそれを生身の人間に向けて語る事はしない。

blogにぶつけるのです!

文章に乗せて熱い思いを書き連ね、上がりすぎたテンションを適度な緊張感に整える必要がある。

何故ならば人間には感情があり、寝る、起きる、食べる、活動する、仕事する、様々な側面を多面体の如く繋ぎ合わせ、それぞれに合った心のテンションへ微調整しながら毎日を過ごしている。その調整ツールとしてブログを活用していたのだ。

当然それに対しての興味関心が薄れれば、心のテンションを調整する必要は無くなり自然とブログはお役御免となって行くのだ。

ではブログに吐き出すだけ吐き出して公開しなくても良いのでは?とお思いの方もいるだろう。公開さえしなければ、ブログの開設、自然消滅その双方を認知しているのは私だけであるからして、永遠にそのループを繰り返せばそれで済む話ではある。

何故この様に「私にとってのブログとは?過去の自然消滅から学びその教訓を活かすには?」みたいな文章を書いているのかを考えたら、ブログを公開しFacebookやインスタグラムを通じある一定の方々に読んでコメントを頂くなどして頂いているにも関わらず自然消滅ループという背景があるから、その方々に向けて新たなブログ開設の言い訳をしているに過ぎない。

自分の趣味嗜好へ偏った心のテンション調整に他人を巻き込んでしまっただけではなく、存在意義を無くした瞬間に自然消滅するという自分勝手を繰り返してすみません!という懺悔の気持ちからくる言い訳だ。

そう全てはブログを公開するという選択を過去に繰り返した代償と言ってもいい。

じゃあ公開しなきゃ良い。
先も述べた様に未公開で書きたいだけ書き永遠と開設、消滅を繰り返せば良いではないか。

しかしながらそうは問屋が下さない。

人間には生まれつき5つの欲求発動スイッチが備わっており、常にどれかのスイッチがONに入る様に設計されている。






上記が備え付け欲求スイッチのラインナップだ。生理的欲求が満たされると安全の欲求スイッチがONに入ると言う様に矢印の方向へ欲求は推移して行くのだ。


興味がある方はアブラハムマズローと検索して頂きGoogle先生にご教授頂く事をお勧めする。

日本社会において、生理的欲求と安全の欲求については満たされている方が多いと言われている。(本当か?)まぁそういう事にして話を進める。しかし社会的欲求と承認欲求が満たされない人々で溢れかえっている様だ。

確かに社会に居場所を見出せない人が増え、引きこもりや孤独死などのニュースは社会問題としてよく取り上げられているし、誰かに認められている感覚を欲しSNSで「いいね」や「ハート」をもらう為に何時間も掛けてパンケーキ屋に並ぶという狂気の沙汰としか思えない行動をとる人間を随所で目にする。

パンケーキを食べる事も、行列に並ぶ事も否定するつもりは一切ない。私も大好きなラーメンや日本酒の為ならばたとえ火の中水の中である。しかし目的そのものがブレてくるとこれは問題である。

本来行列に並ぶ目的は美味しいパンケーキやラーメンや日本酒を楽しむ事にある。
しかしながら承認欲求を拗らせると行列の先にあるラーメンやパンケーキや日本酒よりも、それをSNSにアップして「いいね」をもらう事が目的になってしまう。

これが何故問題かと言うと、知らぬ間に「いいね」と言う自分では無い誰かの評価を基準に行動が支配されてしまうからだ。

ざっくり言えば、承認欲求に支配された人は、取り組んでいる事柄の良し悪しでは無く、他者から褒められるか否かが行動の目的になってしまう。

ひとつの例を挙げてみよう。
妻が管理職に就いて間もなかった頃、膨大な仕事量に追われ疲弊しきっていた。旅行中や休暇中でも関係なく掛かってくる仕事先からの電話をとる姿を見て、心身共に壊れてしまわないかとても心配した。

比較的、時間の自由が効く私は本当に善意から家事を率先して手伝う様になった。夕食の準備をしたり食器洗いをしたりするだけで妻はとても喜んでくれた。

しかし2.3ヶ月過ぎると、私が家事をする事にあまり謝意を示されなくなった。なにか悶々とした気持ちが蓄積していく最中に見てしまったのだ、私が洗った食器を洗い直す妻の姿を。

「もういいよ!そんなんなら自分で最初からやれば良いじゃないか!!!」と私は怒ってしまった。

冷静に考えるとら、私が上手に出来なかったことのフォローしてくれている事に怒りを覚えるのは明らかに筋違いである。むしろ感謝するのが妥当だ。
私は完全に承認欲求を拗らせていた。
いつの間にか

「妻の助けになりたいから皿洗いをしよう」

から

「妻に良い旦那と思われたい、感謝してもらえるから皿洗いをしよう」

へ完全に目的がスライドしてしまった。
そうすると、本来なら「ありがとう」と言うべきところを真逆な言葉で相手に伝えてしまうという残念な現象が起きてしまうのだ。

この様に書くと、まるで承認欲求は悪いものと捉えらかねないのだが、それ自体は人間だれしも持っているものだし欲して当然なものだ。

承認されずに育った子供は人間不信な大人へ成長しやすくなるとも言われている。

大事なのは承認欲求に支配されない事であり、とろうとする行動の目的は何か点検する意識は持ちたいものである。もし行動の目的が承認欲求の充足に強く傾いてきたら調整する。

他者では無く自分の人生を自分軸で生きて行く為には必要な事だろう。

少し脱線したが、
②私はこれまで何故blogを執筆していたのか?
というクエスチョンに対するアンサーは

日常的生活を送るのが困難になる程の情熱を文章表現によりクールダウンさせ、同時に他者からの「いいね」をもらう事で他者承認欲求を満たす為(健全な範囲で)ブログを執筆していたという事になる。

①②を踏まえ
③何故私はまたblogを性懲りも無く執筆し始めたのか?という目的を明確にしたいと思う。

一つ目
自分の内なる部分を表現したいから。
二つ目
今の自分の考えている事は、今の自分にしか表現出来ないから。

真剣に自問自答した結果、この2つがブログ開設の理由として浮かび上がってきた。

私は本を読む事が大好きだ。

月に8冊位は読む。
歴史書からエッセイ、自己啓発系から宗教、哲学書と特にジャンルを絞らず読みたいものを手当たり次第に読む。

Kindleを読み上げ設定にしオーディオブック化する事で移動時間を有効活用する事も出来る。

そうすると多岐にわたる知識が、自分の内側に蓄積していく。実生活での体験と知識が繋がり「知恵」と言う恩恵を受ける頻度が増えてくる。そんなハッピーな経験を私だけの中に留めておくなんて勿体ない。一日は24時間と有限で、家族、友達、仕事関係と様々な場面場面で表出する人間性はある種無意識に役割を演じていると言う側面を持つ。

折角知り合う事が出来て、ある意味この時代を一緒に生きる同級生である皆さんにもっと色々な私を知って欲しいからだ。

だから内なる自分をこのブログというツールを用いて表現するのが一つ目の目的となる。

私は音楽が大好きだ。
自分でピアノやギターを演奏して時々良いフレーズが浮かぶと楽器で演奏して作曲の真似事などをしたりする。ただ残念ながら中三の頃に作った大作も、高校の文化祭で歌おうとした恥ずかし過ぎるラブソングも全く覚えていない。

きっとどれもこれも今聞いたら名作であるに違いない。その日その時、15歳の僕にしか書けないものがある。

(尾崎よりアンジェラ的なヤツだ)

本当に後悔している。
テープやビデオテープに残しておきたかった。
それを聴きながら飲む酒は旨かろう。
特に自分以外のその場を共にする人間には最高の肴だ。

少し遅い気もするが34歳!
三十路中級者の私にしか書けない何かがあるのではないかと思う。物凄いスピードで変化する時代とよく表現される社会を

「そんなに早いか?」

と挑戦的に受け止められる生意気さ。
平行してある程度ボリュームが増してきた人生アルバムを振り返るノスタルジックな一面も持ち合わせはじめている現在の感覚を、思考を、文章で書き留めておきたいのだ。これが二つ目の理由だ。

64歳になった時、良い肴になるだろう。
特に自分では無いその場を共有する人間には。

①②③という自己分析からの自己認識を前提に、ブログを継続させ目的を達成する為に、
 テーマは設けず、間口は広く
 文章表現は硬くてもフランクでもその日の気分で素直に表現する。

この二点を念頭に置いて、備忘録を残していきたい。

長々とここまで読んでくださりありがとうございます。2021年、今度こそ続けてみせるぞ!!

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