毎年、書いてるけど、
もう14年と感じる人と、まだ14年と感じる人がいると思う。
感じ方は人それぞれで、被災地から離れて暮らす、私にとっては“もう14年も経ったんだ“と思う方が強い。当時、被災地に住まれていて、被災された方々にとっては、きっと“まだ14年“と思われている方も居ると思う。
14年前の今日、テレビで見た光景は、今でも脳裏に焼き付いている。
それでも、経験をしていない私にとっては、テレビで見た映像であって、被災された方々にとっては、今も尚、当時を思い出す映像であると思う。
14年前の3月11日、14時46分。
私は仕事から帰宅して、のんびりと情報番組を見ながら、遅めのお昼ご飯を食べていたと思う。最初は、テレビ画面の片隅に流れて来た地震速報で『地震があったんだ』って思うくらいだったけど、情報はどんどん更新されて、地震の規模は、マグニチュード9.0。最大震度7は、発生当時、日本周辺における観測史上最大の地震になった。
地震発生。その後の津波による被害。
テレビで繰り返し放送された光景は、ドラマや映画なんかじゃなく、今現在日本で起きている事なんだと思うと、衝撃的だった。ドラマや映画で見る高波のような大津波ではなく、実際はどんどん高くなっていくものなのだと、あの日初めて知ったように思う。
家や車を、大きな船を、軽々と押し寄せていく、大津波の映像に、ただただ、見入っていた事。これ日本でおきてる事⁉️って思った事を、今でも覚えてる。
14年たった今もなお、自宅に帰れない人達がいる。
14年たって元通りになった事も沢山あると思うけど、まだまだ完全復興したとは言えない。
もちろん、ご本人の意思で生まれ育った場所から離れた人達もいるとは思うけど、帰りたいと思っている人達が、14年前の被災前と同じ所まで戻れたら、そこからが完全復興へのスタートなんだろうなぁと思う。
東日本大震災から14年を前にして、発生した、大規模な山火事。
14年前は無事だったのに、火事で家を失った人がいると、ニュースで言っていた。
いつまで、どこまで、苦しめるだって、思った。
それでも【命があるから】って話されてる方がいた。家も思い出も失ってしまっても、前向きに生きようとする、人の力強さを見た気がする。
今も尚、苦しまれている方々のために、遠く離れた高知から、
これからも、出来ることを、ひとつひとつやっていきたいって思う。
1人で何が出来る❓1人じゃ、何も変えられない。
って、諦めるよりも、少しでも力になれることをする。
とても、とても、小さな力だとしても、今、出来る事をする‼️
それが、真の復興への力になると、信じて。
最後になったけど、
被災された皆様に、改めてお見舞い申し上げますと共に、お亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
そして、この度の大規模な山火事で被害を受けられた皆様に、お見舞い申し上げます。
14年前の、3月11日。
東日本大震災によって、失われた笑顔。
ここから先の未来が、明るく笑顔で過ごせる未来でありますように。
2025年3月11日
由紀