今日午後1時から千葉市生涯学習センター・大研修室で、産業考古学会顧問(元会長)、日本国民救援会顧問(元副会長)玉川寛治さん(幸町在住)著「女工哀史の超えた紡績女工『飯島喜美の不屈の青春』」出版記念講演会が開催され、参加をしました。私自身は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉市支部の事務局次長として活動しています。
飯島喜美は現在の千葉県旭市に1912年に生まれ、東京モスリン紡織会社亀戸工場に就職。過酷な労働条件の改善のために、当時の南葛地域に集中していた大紡績工場で働く労働者がたたかいを繰り広げていて、飯島喜美は労働運動に参加し、1928年にはストライキを指導しています。翌29年には日本共産党に入党して、大工場の細胞長(支部長)となりました。こうした活動などを通じて、治安維持法の弾圧に抗して、思想的転向をせずに最後までたたかったのです。
日本民主青年同盟の前身である共産青年同盟で浜松市での共青再建を尽くし、帰京後に検挙(1933年5月21日)されました。1935年12月18日に肺結核で亡くなりました。「闘争・死」のコンパクトを残しています。日本共産党と民青の先輩でもある飯島喜美や伊藤千代子、小林多喜二、渡辺政之輔などのたたかいを受け継ぎ、治安維持法を徹底的に排除した日本国憲法をまもり、いかしていくことこそ、いまの日本に求められています。
写真は、講演者の玉川寛治さんと藤田廣登さん。開会のあいさつを行う小松実・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉県本部会長。
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