佐々木ゆうきの日記〜平和とともに歩んで〜

沖縄支援ツアーへ






 今日から5日まで花見川区革新懇主催の沖縄支援ツアーに参加します。寺尾さとし県議と小松実前県議、中村きみえ市議、私を含め22名が参加されています。私と沖縄のつながりは、2001年に沖縄で日本平和大会が開催され、学生として参加したのがきっかけです。
 まずは不屈館(瀬長亀次郎と民衆資料)を訪問し、瀬長亀次郎さんと沖縄県民の本土復帰のたたかいと運動などをまとめたDVDを視聴し、短時間でしたが資料を見ました。沖縄船員会館に場所を移して琉球新報社の志良堂仁(しらどうひとし)編集局次長兼ニュース編集センター長さんから講演がありました。。オスプレイの墜落と報じた判断やそれまでに至った経過を詳細に話していただきました。「不時着」「着水」と報道した全国紙や主要マスコミの報道に対する姿勢と、琉球新報の報道を対比して説明されました。そもそも琉球新報社に至る戦前から現在までの歴史も説明。戦前は戦争に加担した新聞であったこと、戦後は県民世論をバックにして新聞を作成し、戦前の新聞とは決別したことなどを紹介されました。沖縄戦の報道も戦前にまともな新聞があったらどう報道したかわかりやすく伝える「沖縄戦新聞」(14号まで沖縄戦の日付に合わせて発行)、現在では「沖縄戦後新聞」を発行して、過去の歴史を繰り返さないために報道する姿勢であることを強調されました。「本土の中央メディアこそが変節している」と同氏は厳しく批判しました。

 もっと講演を聴きたい思いもありましたが、次に嘉数(かかじ)高台から普天間基地(飛行場)を見ながら、基地の成り立ちやアメリカ本土でも認められていない危険な基地(クリアゾーンに住宅地や学校があるなど)であることの説明を受けている途中も、基地とその周辺を何度も旋回するオスプレイが頭上を飛んで行きました。さらに移動し嘉手納基地を見渡せるところで説明を受けました。戦闘機が離発着する様子は見れませんでしたが、嘉手納町のほとんどが基地が占めていること、米軍住宅もあり、住宅整備費や水光熱費は全て「思いやり予算」で日本が負担し、独立している国家とは到底言えない日本の現状をあらためて感じることができました。

 明日は東村高江と辺野古に向かいます。この沖縄支援ツアーは、沖縄平和ネットワークや修学旅行事前学習アドバイザーなどをされている下地さんに案内をしていただき、地図や写真、新聞の切り抜きなどを示して丁寧に説明していただいています。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「平和」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事