ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

宵山に行ったよ~

2008-07-17 09:43:14 | 日記・エッセイ・コラム

7月16日(水曜日)
今夜は祇園祭りの宵山だ。昨夜の宵々山には28万人の人出だったが、これは多分に夕方に降った雨が影響している。雨さえ降らなければ軽く40万人を超える。昨夜雨が降ったので、若干ではあるが蒸し暑さは和らいだ。気象庁は本日関西地方の梅雨明け宣言をしたので、久しぶりに宵山に行くことにした。子供が小さい頃連れて行ったが、40万人の人出の中に子供なんぞ連れて行くものではない。四条通りは歩行者天国となるのだが、身動き出来ないくらいの人出なので、子供にとっては苦痛以外何ものでもない。手を引いている親もこれまた大変で、最初の長刀鉾を見たら直ぐに横道に入った思い出が残っている。
8時前に電車に乗り京都へ向かった。途中電車の中で「チマキ売りのアルバイトはいつですか?」と姪っ子にメールをした。母親から祇園祭に、チマキ売りのアルバイトをするらしいと聞いていたからだ。「楽しみにしていたのに都合が悪くなり、せんようになった」と返事が返ってきた。「今何しとる?」と打ち返せば「家におるで」と返事があったので、下車して宵山に行こうと誘いの電話をした。OKと話はまとまりマンションまで迎えに行き、御池通りまでタクシーで行っ2008_07160002 た。御池通りの片側には明日の山鉾巡行の有料観覧席がずらりと設営されていた。炎天下の下こんな所で何時間も見ていれば、熱中症で倒れても不思議ではない。ここから山鉾の並んでいる四条通りまで歩いたが結構な距離があった。四条通りは102008_07160034 時を過ぎれば半分くらいの人出に減っていて歩くのには丁度よい。すれ違う人の服装を見ているだけで楽しい。女性の浴衣姿は2割くらいな感じがした。ちょっと前にはやった浴衣の丈が膝までの、チンチクリンの浴衣は影を潜めて見かけなかった。外人2008_07160018 2008_07160036 2008_071600432008_07160044 2008_07160047 2008_07160050 長刀鉾だった。提灯に灯がともっていればお祭りらしい気分になる。山鉾の近くでは若い女性、子供が厄除け、招福の「ちまき」や「ローソク」を売っている。姪っ子は「ちまき」はてっきり食べるものだと思っていたようだ。売り場の横には昨年買ったちまきの回収箱があり納得をしていた。ちまきは玄関の入り口に、1年間厄除けとして飾っておくものである。ちなみに「ちまき」1個は600円だった。買ったの?買ってはいません。やっぱりケチでなく、毎年女房の京都2008_07160048 の友達が月鉾のちまきを持ってきてくれるからである。山鉾を4~5見たら喉がかわいてきた。路地の横道にはそれこそ何百軒もの露天が立ち並んでいる。かき氷300円を買った。蜜は5種類ほどあり、すきなだけ勝手にかけていいのが嬉しい。氷を食べ終えれば歩行者天国の終了11時寸前になっていた。姪っ子はもうすぐ試験なので送りとどけて帰宅した。シンデレラたいむの1分前だった。明日の山鉾巡行は昨年、一昨年と行ったので今年は止めておこう。この所アチコチ出過ぎなので金も出過ぎている。サイフの紐を「キュッ」。

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◎祇園祭の由来と歴史
平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神(スサノオノミコトら)を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。
応仁の乱(1467-77年)で祭りは途絶えたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興された。以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになった。これらの懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれる。江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られている。現在、巡行に参加している鉾は9基、山は23基だ。

コメント (2)
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