ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

端午の節句(コイはするもの泳ぐもの)

2009-05-05 15:06:13 | まち歩き

5月5日(こどもの日)(祝日)
五月五日は、端午の節句。「端午」は、本来「端(はじめ)」の「午(うま)」の日という意味だが、「午」と「五」が同音のため、五月五日を指すようになった。旧暦の五月は、暑さの到来とともに様々な疫病がはやったので、「悪月」といわれた。菖蒲の葉を刻んで酒に浮かべて飲む風習があったのは、悪疫よけのためで、今は菖蒲湯に形を変えて伝わっている。「菖蒲」が「尚武」に通じるところから、男の子の節句となった。
(興膳 宏の漢語歳時記 端午より引用)

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今日は端午の節句で、こどもの日。風薫り、草萌える五月は、気持ちが安らぐので好きな季節だ。真っ青な空に悠々と泳ぐ鯉のぼりを見ると遠い昔を思い出す。新しくこいのぼりが上がれば男の子が生まれれたことが直ぐにわかった。今日は天候が悪く、風も吹かず鯉幟は一直線に垂れ下がっていた。コイの滝登りであるまいし、これでは絵にならない。垂れ下がって良いものは枝垂れ櫻くらいなもで、後は思い出せない。たれチ○、たれシ○、たれチ○○と悪い方にしか出てこない。午後、再度こいのぼりのそばに行き風が吹くのを待っていた。一瞬風が吹き、どのコイも元気よく泳ぎだした。

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鯉の幟(のぼり)は、もともとは江戸時代の中期、町人が男の子の成長と出世(竜門の滝を登り切るとコイが竜になると中国に古くから伝わる登竜門になぞらえ、わが子が健やかに育って出世しますように)を願って始めた祝いごと。 
「鯉幟風の折れ又風に伸ぶ」 (山口誓子)
田舎でも昔に比べこいのぼりを立てる家が少なくなった。あの長いポールを保管するのも難儀で、雨が降ればしまわねばならず、こいのぼりの出し入れが面倒なので、敬遠しているのだろうか。来年は我が家も、こいのぼりを立てようかどうしようかと悩みが増えるかも。こんな悩みは大歓迎だ。

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かつお幟 (沖縄県本部町)
沖縄県本部町はカツオの水揚げで有名だが、ここではコイならぬカツオののぼりが泳いでいるようだ。

こいのぼりの歌は二つあるが、 「やねよ~りたか~い こいの~ぼり~♭」の方を真っ先に口ずさんでしまう。もう一つの鯉のぼりの歌、 「甍の波と雲の波♭」は大人が歌う歌のように感じるが、新訂尋常小学唱歌 第五学年用なので立派な子どもの歌。この歌の三番の歌詞の最後に、滝をのぼり立派な龍へと変身するという中国の故事が登場する。

こいのぼり

作詞 近藤 宮子 作曲 無名著作物

やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

昭和8年(1933年)『新訂尋常小学唱歌 第五学年用』
鯉のぼり
一、
  甍の波と雲の波、
  重なる波の中空を、
  橘かをる朝風に、
  高く泳ぐや、鯉のぼり。

二、
  開ける廣き其の口に、
  舟をも呑まんさま見えて、
  ゆたかに振るふ尾鰭には

  物に動ぜぬ姿あり。
三、
  百瀬の瀧を登りなば、
  忽ち龍になりぬべき、
  わが身に似よや男子と、
  空に躍るや、鯉のぼり。

(参考)
1.興膳 宏(こうぜんひろし):1936年福岡市生まれ。京都大学名誉教授。専攻は中国語学・中国文学。文学博士。京都大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。名古屋大学を経て京大文学部教授、京大文学部長を歴任。京大退官後、京都国立博物館長を務めた。

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