僕は宮崎番傘川柳会に参加させて貰いました。
今日はその初日だったのですが、会場を借りてする例会とは違って、
吟行と言って外に出てある場所を散策しながら川柳を作るという会に参加しました。
行き先は、宮崎市内ですが市街地から車で三十分ほど行った所にある「高岡町」と言う所でした。
各自(20数名)は「道の駅高岡」に集合し、会員の車5台に分乗して史跡巡りをしました。
その中に冒頭の写真にあるように私有地の片隅に小さな石碑が立っていました。
そこには「維新傑士坂本竜馬先生御宿泊の地」と読み取れる文字が彫ってありました。
坂本竜馬がおりょうさんと新婚旅行で霧島山に登られたそうですが、
その途中にこの高岡町に宿泊されたということの証しだそうです。
上の写真には、「霧島登山之途次當町旅館川添隆七方へ宿泊」と彫ってあります。
こちらには「昭和(だったと思いますが)七年建設」と彫ってありました。
ここの私有地は、現在旅館ではなく何かの会社になっていますが(日曜日の為何する会社か確認できませんでした)、
ここに坂本竜馬が泊まった「川添なんとか」か「なんとか川添」という旅館があったが、
何かの理由で廃業した為に、誰かがこの碑を建立したのではなかろうかと川柳会の方が話されていました。
宮崎の人でもこの事を知っている人はそう多くは無いと思いますので、
貴重な経験をさせて頂いた吟行でした。
もちろんこの後、川柳の披講(個々人が作った句を選者が選択し披露する事)があり、
僕の作った句も数句選ばれた事を付け加えておきます。
今日はその初日だったのですが、会場を借りてする例会とは違って、
吟行と言って外に出てある場所を散策しながら川柳を作るという会に参加しました。
行き先は、宮崎市内ですが市街地から車で三十分ほど行った所にある「高岡町」と言う所でした。
各自(20数名)は「道の駅高岡」に集合し、会員の車5台に分乗して史跡巡りをしました。
その中に冒頭の写真にあるように私有地の片隅に小さな石碑が立っていました。
そこには「維新傑士坂本竜馬先生御宿泊の地」と読み取れる文字が彫ってありました。
坂本竜馬がおりょうさんと新婚旅行で霧島山に登られたそうですが、
その途中にこの高岡町に宿泊されたということの証しだそうです。
上の写真には、「霧島登山之途次當町旅館川添隆七方へ宿泊」と彫ってあります。
こちらには「昭和(だったと思いますが)七年建設」と彫ってありました。
ここの私有地は、現在旅館ではなく何かの会社になっていますが(日曜日の為何する会社か確認できませんでした)、
ここに坂本竜馬が泊まった「川添なんとか」か「なんとか川添」という旅館があったが、
何かの理由で廃業した為に、誰かがこの碑を建立したのではなかろうかと川柳会の方が話されていました。
宮崎の人でもこの事を知っている人はそう多くは無いと思いますので、
貴重な経験をさせて頂いた吟行でした。
もちろんこの後、川柳の披講(個々人が作った句を選者が選択し披露する事)があり、
僕の作った句も数句選ばれた事を付け加えておきます。