羽生結弦「不運なミスで悔しかった部分もあるが、滑りやすく跳びやすい気持ちのいいリンクだった」…記者会見冒頭の発言
北京オリンピックのフィギュアスケート男子で3連覇を逃した羽生結弦選手(27)(ANA)は14日、北京市内にあるメインメディアセンターで記者会見に臨んだ。日本時間の午後6時半過ぎ、日本代表の赤いジャージーを着て登場した羽生選手は「金メダルのネーサン・チェン選手、素晴らしい演技でした」と切り出し、「滑りやすく、跳びやすいリンクでした」と、会場への感謝も口にした。。
(一礼して入る)
関係者:本日の会見は羽生結弦選手に対する個別取材に対し、一社一社に対応できないため記者会見を開く。メディアからの質問に答える形で進行する。30分という限られた時間なので、すべての質問に答えられない。
羽生:このような形の中で正直、こんなに集まってくださるとは思わず、とてもびっくりしている。皆さんの前でお話しさせていただく機会を作ってくれてありがとうございます。メディアの方は当事者として感じたと思うが、まだバブル内での陽性者が出ている中でのオリンピックで、ミックスゾーンで取材していただく中で密になってしまう。大きな会場で質疑応答させていただくことになり、僕が同意した。足を運んでくれてありがとう。話したいことがいっぱいあって、自分も緊張している。質問が来ないかもと思って言わせてほしい。
金メダルを取ったネーサン・チェン選手。本当に素晴らしい演技だったと思う。オリンピックの金メダルってホントにすごいことなんです。僕もオリンピックの金を目指してずっと頑張ってきましたし。うーん、そのために、たくさん、ネーサン・チェン選手も努力したと思う。彼には4年前の悔しさがあって、それを克服して、素晴らしい。
この大会に関係しているボランティアの方、氷を作ってくださった方にも感謝します。SPで氷にひっかかって、不運なミスで悔しかった部分もあるが、滑りやすく、跳びやすい、気持ちのいいリンクだった。感謝します。ありがとう。以上です。
羽生結弦「このオリンピックが最後かと聞かれたら分からない、えへへへ」…記者会見でのQ&A
Q:きょう、演技を終えてから初めてリンクで練習。リンクから離れていた数日間の気持ちの変化は?
フィギュアスケート男子の羽生結弦選手(27)(ANA)が14日午後6時30分(日本時間)から、北京市内で記者会見を行った。主なやり取りは以下の通り。
羽生:もちろん色々なことを考えた。自分が4回転半に挑んで、成功させられなかったこと、今まで頑張ってきたこととか、道のりだとか、その価値とか、結果としての価値とか。色々なことを考えた。けど、まあ、足首が痛いのもあって、今日は練習、あんまりジャンプやっちゃいけないと思ってはいたが、痛み止めを飲んでいる、かなり強いものを許容量以上に。でもここで滑りたいと思ってここで滑った。
この3日間、なんですかね、オリンピックのことについても、もちろん、今までのことを考えてた中で、うん、僕は色々な人に支えられているんだなということと、この足首に関しても、この3日間ですごくたくさんケアしてくださったり。まだ歩くのさえも痛いけど、それでも最大限治療してくださったり、サポートしてくださったり、食事栄養の面でもケアしてくれて、たくさんの人に支えられている。それにもっと感謝したいと思った3日間だった。
Q:フリーの演技が終わった後、観客席に向かっていつもより長くお辞儀して、氷に触れてリンクに何か伝えているしぐさ。どんな思いが?
羽生:えっと、うーん。実際にあそこに足を運んでくださった方があそこにいらっしゃって、自分の演技自体が結果として勝敗としてよかったかと思えば、ベストではなかったと思う。それでもなんか残念だったなという雰囲気には包まれなかった。すごく大きな拍手に包まれて、感謝したいなと。
実際に目に見えてはいないが、カメラの向こうでたくさんの方が応援して下さった。地元のかた、被災地の方も含め、色々な国の方が見ている。オリンピックならでは。そういう方に感謝を(した)。
いつも氷に挨拶するが、メインリンクで演技するのは最後だなと。ちょっと苦しい部分はあったが、この氷好きだなと感謝した。
Q:クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)への挑戦について。今後は?
羽生:どうなんでしょうかね? 自分の中でまとまっていない。あの時(フリー後)もそうだったが、今言えることとして、これを言うことが正しいのかわからないですし、言い訳臭くなって、なんかそれでいろいろ言われるのもやだなって、 平昌ピョンチャン オリンピックの時も、何か言ったら嫌われるだろうなと思っていたけど、前日の練習で足を痛めて、4回転半で自分の中で一番捻挫した。思ったよりひどくて、普通なら棄権していた。今でも安静にしないといけなくて、ドクターからも10日は安静と言われている。朝の公式練習もあまりにも痛かったので、どうしようかなと思ったんですけど、その後注射を打ってもらって、6分間練習の直前、10分前に出場を決めた。
その注射だったり、痛みを消す感覚だったり、自分が追い込まれて、ショートプログラム(SP)も悔しくて、いろいろな思いが渦巻いた結果として、アドレナリンが出て、最高のアクセルができた。なので、ジャンプには色々な技術があって、4回転半を習得するにあたって、いろいろな技術を研究して学んで自分の4回転半につなげようと思ったが、自分自身のジャンプは、負けたくないっていうか、あのジャンプだからこそ、きれいだって言ってもらえるし、あのジャンプしかできないし。だから絶対に思い切り跳んで、思い切り高いアクセルで、思い切り早く(腕を)締めて、を追究した。その中では最高点に僕の中ではたどり着けたと思うし、回転の判定も色々あるだろうが、納得している。満足した4回転半だったと思う。
Q:4日経って、きょう滑ろうと思った理由と、リンクに立って抱いた感情を教えてください。
羽生:正直、本当は滑っちゃいけない期間だったんですけど、どうしても滑りたいなって思って滑らせてもらった。これから練習するとは思います。スケートのことを嫌いになることはたくさんあるし、フィギュアスケートってなんだろうとよく思うし、僕自身が目指していることがフィギュアスケートなのかと考えます。今日滑って今まで習ってきたことや、ちっちゃいころに習ったこととか、スケーティングうまくなったなとか、見ていただくことが気持ちいいとか、僕は僕のフィギュアスケートが好きだなと思えた練習だった。
またここから練習していくに当たって、いろいろな感情が湧いているとは思うが、ジャンプ跳びたいと思って練習していたが、フィギュアスケート自体、自分が靴から感じる氷の感触とかを大切にしながら滑りたい。
Q:東日本大震災の時に、避難所で一緒だった方が、金沢市で羽生選手を応援する応援会報誌を作っていて、北京オリンピックで100号に。
羽生:いろいろな方からいろんな声をいただいたり、もちろん、「おめでとう」にはならなかったかもしれませんし、そうですね、「おめでとうございます」にはならなかったかもしれませんけど、いろいろな「よかった」という声をいただいて、僕はすごく、ある意味で幸せです。なんか、僕は皆さんのために滑っているところもあるし、僕自身のために滑っているところもあるし、色々な気持ちの中でフィギュアスケートと向き合っているが、なんか、うん、東日本大震災の時も感じましたが、何かをきっかけにみんなが一つになることがどれだけ素晴らしいかということを、あの東日本大震災から学んだ気がする。
もちろん、つらい犠牲の中でだが、僕の演技が、みなさんの心が一つになるきっかけになれば幸せだし、それが災害でなく、もっと健康的に、何かを犠牲にすることでない、幸せな方向だったら幸せだし、こんなに応援してもらって光栄だと思うし、みなさんが自分を応援することで幸せになればと思う。
Q:王者として守るのでなく、王者として攻める、挑戦する。羽生選手にとって挑戦とは?
羽生:挑戦ですねえ。まあ、うーん、きっと別に、僕だけが特別だと何も思っていなくて、王者だったからとかじゃなくて、生活の中でみんな何かしら挑戦していると思う。それが大きいことだったり目に見えることだったり、報道されることだったり。その違いだけで、それが生きることだと思う。守ることだって挑戦。守ることって難しいことだし、大変なんですよ、守るって(笑)。家族を守るって大変だし、何かしらの犠牲や時間も必要。何一つ、挑戦じゃないことなんて存在しないと思う。僕にとってそれが4回転半やオリンピックにつながっていたり、それだけだった。僕も挑戦を大切にしてここまで来たが、みなさんも、ちょっとでも「自分は挑戦していた」「羽生結弦はこんなに褒めてもらえているが、自分も褒められるのでは?」と認めるきっかけになれば。
Q:挑戦した北京オリンピックの満足度はどのくらい? ご自分の4回転半はできたと言っているが、これからのモチベーションは?
羽生:らしい質問ですねえ。冷静に考えて自分の演技はどうだったか。ショートプログラムは、はっきり言って満足しています。ショート最初のジャンプでミスをしたり、何かしらトラブルがあったり、氷に嫌われてしまうこと、「ガコ」ってなったり、転倒じゃなかったり、ミスにつながらなくても「ガコ」ってなることはたまにある。その中でも崩れずに世界観を表現したこと、プラス、いいジャンプを跳べたことは満足している。
フリーはもちろんサルコーをミスしたのは悔しいし、アクセルも降りたかったと思うが、でもなんか、上杉謙信っていうか、自分が目指していた「天と地と」の物語、生き様にふさわしい演技だと思う。冷静に考えたとしても。得点は伸びなくても、どうやったってシリアスエラーがあって、どんなに表現してもPCS(演技構成点)は出ないし、どんなに表現したい、世界観を表現したい、達成できたと思っても、点は上がらないが、悔しいけど、僕はフリープログラムを、プログラムとして満足している。
モチベーションについて……。そうですね、正直な話、今まで4回転半を跳びたいと目指していた理由は、僕の心の中にいる9歳の自分がいて、あいつが「跳べ!」ってずっと言ってた。ずっと「お前、下手くそだな」って言われながら練習していて。今回のアクセルはほめてもらえたんですよね。一緒に跳んだというか。9歳の時と同じフォーム。ちょっと大きくなっただけで、一緒に跳んだ。それが自分らしいし、何より4回転半を探すにおいて技術的にたどり着いたのはあの時のアクセル。
ずっと壁を登りたいと思っていて、いろいろなきっかけを作ってもらって、登ってこれたんですけど、最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身。最後にそいつの手を取って一緒に登ったなという感触があった。羽生結弦のアクセルはこれだと納得している。それがモチベーションとしてどうなるかは分からないが、今の気持ちとしては、あれがアンダーだったとしても、転倒だったとしても、うん、やっぱり、いつか見返した時に、羽生結弦のアクセルって軸が細くてジャンプが高くて、きれいだねって誇れるアクセルだった。
Q(海外メディア):中国のファンに一言ください。このオリンピックが最後のオリンピックか?
羽生:このオリンピックが最後かと聞かれたら分からない。えへへへ。オリンピックやってみて、オリンピックは特別だなって思いましたし、なんて言えばいいか、ケガをしてでも立ち上がって挑戦すべき舞台って、フィギュアスケーターとしてはそんなところは他にない。すごく幸せな気持ちだったので、また滑ってみたいという気持ちはある。2万件のメッセージや手紙をいただいたり、ボランティアさんも歓迎してくださったりとか。中国のファンの方も含めて歓迎してくださっているのを感じていて、そういう中で演技するのは幸せだなって思って滑った。なんか、ほんとに、そんなスケーター、そんな簡単にいないよなって思うし、羽生結弦でよかったなって思った。
Q(海外メディア):今後どうするのか?
羽生:そうだなあ……。ゴール……。4回転半を降りたいなっていう気持ちはもちろん少なからずあって、自分のプログラムを完成させたいという気持ちもある。自分のアクセルは完成したんじゃないかって思っている自分もいるので、これから先、フィギュアスケートをやっていくとして、うーん、どういう演技を目指したいかとか、どういうふうに皆さんに見ていただきたいかとか、いろいろなことを考えている。次のオリンピックとか、どこでやるのかなとか、自分の中でも把握できていない自分がいますし、正直混乱しているんですけど、でも、これからも、羽生結弦として、羽生結弦が大好きなフィギュアスケートを大切にしながら、極めていけたらいいなと思います。Thank you.
Q:開幕前にオリンピック2連覇の実績を持っていて、それを失うのが怖いと言っていた。五輪王者ではなくなった今の感情は?
羽生:これは泣かせにくるやつ(質問)ですかね。とても重かったし、とても重かったからこそ、自分が目指しているフィギュアスケートと、自分が目指している4回転半ジャンプを常に探求できたと思う。きっと、オリンピック、まずソチで優勝していなかったら報道の数も違ったし、そこで「羽生結弦っていうスケーターがいるんだ」と、「パリの散歩道」や「ロミオとジュリエット」を見ていただいて、注目してくださるきっかけになった。
平昌五輪で「SEIMEI」などやって、「羽生うまいじゃん」「これからも応援したいな」と思ってくださった方がいる。だからこそ、今がある。もちろん、3連覇っていうことは消えてしまったし、その重圧からは解放されたかもしれないが、ソチが終わったときと同じで、オリンピック王者だし、2連覇した人間だし、そこは誇りを持って2連覇した人間として、後ろ指をさされないように、明日の自分が今日を見た時に、胸を張っていられるように過ごしていたい。
(会見終了。5秒近く深々とお辞儀)
通訳の方もありがとうございました。
読んでいただいてありがとうございました。