【羽生結弦、語る 一夜明け編(1)】4回転半」平昌の次のシーズンで降りられると思っていた」
2021年12月27日 10:11
フィギュアスケートの22年北京五輪代表に決まった男子で14年ソチ、18年平昌に続く3連覇を狙う羽生結弦(ANA)らが全日本選手権から一夜明けた27日、オンラインで取材に応じた。
【羽生結弦、語る 一夜明け編(1)】
――五輪3連覇を決意したのはいつだったか
「3連覇を決意したのは、このジャージーを選考委員会が終わって、代表に選んでいただいて、ジャージーをいただいて、で、記者会見に行くっていうところですかね。やっぱその、ジャージーに腕を通した時に『ああ、これがオリンピックだな』って。でも、自分はやっぱり2連覇っていうものを既に持っていて、それを失うことは確かに怖いんですよ。負ける確率の方が間違いなく平昌オリンピックより高いと思いますし、今のところは。ただ、このユニホームを着た時に、これは勝ちにいくんだな、勝ちにいかなきゃいけないんだなって、なんか、あらためて思わせていただいたように思います」
――大谷翔平の活躍はどう見ているか
「正直、フィギュアスケートの全盛期って23歳だったり、24歳ぐらいが全盛期みたいな感じで思われていたんですけど。やっぱり野球とか見ると、もっと何ですかね、30歳代の、30代前半の方が本当に脂が乗っていていい時期だったっていう話を聞いたりだとか。実際に自分の同年代でいいですかね、完全に、完全に同年代の選手がああやって今まで史上、一番多分いい出来の状態を保っているところを見たり、また手術後で本当に大変だったり、前人未到のことを自分で切り開いてやってるところを見たり、本当に僕自身、勇気づけられて、僕もまだ見ぬ世界かもしれないですけど、4回転半というものにある意味、一人で挑み続けているので、本当に勇気をもらっています」
――自分で描いていた4回転半成功へのスケジュールは
「正直、平昌の後、次のシーズンで降りられると思ってました。ふふふふっ。それぐらいアクセルには自信がありましたし、4回転半というものが、そんなに大変なものだっていうふうに自覚はしてなかったです。ただ、やっぱり怪我があったりとか、いろんなことがあって、なかなか4回転半に集中できない時があったんですけど。集中してやればやるほど、怪我が常につきまとう。そして、集中してやればやるほど、4回転以降回ることがどれだけ大変かということを、なんかあらためて痛感した、この4年間だったんじゃないかなというふうには思っていて。まあ実際、今、4回転半回しにいっていますけれども、こうやって軸が取れるようになったのも本当にここ最近の話なので、本当大変だったなって思ってます」
――4回転半は一日何本までと決めているのか
「あ~、そうですね、具体的な本数で決めてるわけではないです。ただ、そのときの体調次第によっては、まあ4回転半じゃなくていいぞっていう日も、もちろんありますし。ただ、その4回転半のために、じゃあトリプルアクセルどういうふうに練習していくかっていうことだったりとか。そういった面で、じゃあトリプルアクセルは今日は何本にしようとか、あとは4回転半じゃなくても、4回転ジャンプで同じような感覚を何かつかめるものがあるんだったら、じゃあ4回転ジャンプをトリプルアクセルの後に何回挟んでいこうとか、そういったことは考えてますね」
【羽生結弦、語る 一夜明け編(2)】練習方法確立で「今、一番うまいです、間違いなく」
2021年12月27日 10:13
フィギュアスケートの22年北京五輪代表に決まった男子で14年ソチ、18年平昌に続く3連覇を狙う羽生結弦(ANA)らが全日本選手権から一夜明けた27日、オンラインで取材に応じた。
【羽生結弦、語る 一夜明け編(2)】
――羽生選手が思う言葉の力は
「はい。え~、僕自身ずっとここまで競技をやってきて、有言実行が絶対したいなっていうふうに思ってきました。だから、まあ、ある意味、自分の言葉が鎖だったり、プレッシャーだったりはするんですよね。それがあるからこそ、僕は絶対にそれを達成したいってずっと思い続けられるわけであって。諦めないでやれるのは、そういう言葉たちのおかげなのかなっていうふうに思っています」
――言葉にすることで自分が勇気づけられる面もあるのか
「僕の場合、勇気づけられるとかっていうことよりも、整理ができるっていう方が近いです。自分の気持ちだったりとか、自分が考えているプランだったりとか。また、自分が今どういう感覚でジャンプをしたのかとか、そういったことを声に出すことによって、何か整理されて、いい結果が出てくることが多いです」
――どうしてジャージーを着た時に3連覇へ切り替わったのか
「そうですね。やっぱり、まあ昨日の会見というか、囲みでも話させていただきましたけど、やっぱ悔しかったんですよね。その、『q』くらいまでの、『q』判定ぐらいまでのところにいって、やっぱ跳べなかったっていう。何かそこで終わらせてしまうことへの怖さだったりとか。また、やっぱり、その、自分が跳べるって言ってくださる方への何か、裏切りみたいな感じに思ってしまったんですよね。それが、じゃあ果たして自分がやらなきゃいけないことなのかって言われたらわかんないんですけど。でも、やらなきゃいけないかどうかわかんないですけど、でも、それができるって言ってくださる方がいらっしゃるんだったら、やっぱ僕は諦めずにやらないと、それはみなさんへの裏切りになってしまうなっていうふうに思えたので。まあ全日本に行くにあたって、ここでやめられないなって。北京オリンピックまで覚悟を持ってやるつもりでやんなきゃいけないなっていうふうに思いました。で、また何か、その、オリンピックってやっぱり、発表会じゃないんですよ、やっぱ勝たなきゃいけない場所なんですよ。僕にとっては。やっぱり2連覇してることもあるので。2連覇は絶対失いたくないし、だからこそ、また強く決意を持って、絶対に勝ちたいなって思いました」
――今のままでは勝てないと言っていた、どうしたら勝てるか
「まあ、単純にあれに4回転半をしっかりGOEプラスでつけられる構成にしたいです。はっきり言って、4回転半とルッツとか、ループとかっていう構成は現実的ではないと思うんです。で、また、こっから1カ月ちょっとしかない状況の中で、やれることは多分アクセルぐらいだと思ってるので。しっかりアクセルも練習してきて。あとはショートに関しても、まだ完璧なところではないので、まったく。サルコーくらいですかね、良かったなと思えるのは。だから、それ以外、もっと点数につながりきるかどうかわかんないですけど、ただ、詰めて詰めて練習したいなって思ってます」
――体の衰えを感じていると言っていたが、どんどんうまくなっているように見える
「あの、なんか、そうですね24歳、5歳ぐらいのときですかね。あの、すごく成長が止まったなって思った時期と、あのフリーが通せなくなったなっていう時期と結構あったんですよ。でも、おっしゃるように僕多分、今、一番うまいです、間違いなく。それは多分トレーニング方法が自分で確立できるようになった。自分でプランニングできるようになった。そして、羽生結弦にとってのフィギュアスケートのトレーニングがどういうものかっていうことが確立されて、それを実行できるようになったのが一番大きいんじゃないかなと思います」
【羽生結弦、語る 一夜明け編(3)】仙台で過ごす日々「すごく温かい気持ちに」
2021年12月27日 10:14
フィギュアスケートの22年北京五輪代表に決まった男子で14年ソチ、18年平昌に続く3連覇を狙う羽生結弦(ANA)らが全日本選手権から一夜明けた27日、オンラインで取材に応じた。
【羽生結弦、語る 一夜明け編(3)】
―2年前のGPファイナルで理想の羽生結弦は9歳と話していた。それは変わらないか。そういう無邪気な自信がないと4回転半に立ち向かえないのか
「あの頃の自分の強いところは、勝てるところです。だから、そうですね。4回転半に対して、じゃあ、あの頃の自分の気持ちのアプローチが効くかと言われたら、そうではないかなっていう。あの頃の何やっても勝てるみたいな自信が、あの、なんて言えばいいんだろう。勝つことに関しては、一番必要なんじゃないかなと思うんですよね。ただ、そういう風な自信を持てるっていうのは、やっぱ、あの時なりに凄く練習していたからなんですよね。誰よりも練習しているって思いましたし。誰よりもうまいって思いながら、練習できましたし。そういうのが、オリンピックってもっともっと必要になる場所なので。もちろん、アクセルも含めてしっかり練習していきたいなと思っています。で、やっぱりあの時の自分が一番強いなっていうか。一番…強いって言い方がさっきの話とちょっとごっちゃになってアレですけど。技術的には今が間違いなく一番強いです。ただ、精神的にはあの頃が一番強くて、輝いているなって思えるので。あの時の自分を大切にしたいなとは思っています」
―4回転半のアプローチがちょっと違うというのは
「自信があれば跳べるものじゃないんですよね。ふふふ。やっぱり無邪気にがむしゃらにやって跳べるジャンプじゃないなっていうことを、この4年間ずっとぶち当たりながら考えてきたことなので。だから、どれだけ緻密に計算できるか。どれだけ緻密に戦略を立てて計算をして、その4回転半という成功をつかみ取れるかが大事だと思っているので。その点に関しては、今の方が間違いなくうまいです」
――昨年は体重を増やしていた。今年は減らしているのか、体のアプローチは
「いや、減らすつもりはなかったというか、増やすつもりもなかったというか。そうですね、なんか中途半端なところなんですけど。えっと、正直、自分の中ではもうちょっと減らせたかなと思って全日本に入りました。もうちょっと軽くてもいいんじゃないかな。ただ、去年の体重から比べてみたら、そうですね、全日本に関しては2キロぐらい。あ、2キロまでいかないかな。1キロくらいですかね、減ってますし。世界選手権と国別と比べて3キロ以上減っています。どっちがいいか分からないんですけどね。ただ、どれが正解かは分かっていないです」
――長らく仙台で調整してきた。故郷で過ごした感想。ケガのときは何が心の支えだったか
「うーん。やっぱり今、埼玉にいたりとか、試合で遠征に行くことは多々ありますけども、やっぱ仙台の町並みって自分の中に常に残っている町並みで。もちろん都市開発があったりとかして、どんどん変わっていくところありますけども、やっぱりそこに懐かしさがあるだけでも、やっぱり心がホッとするというか。凄く温かい気持ちになれています。えーっと。まあ、ケガの時期とか大変なことももちろん、もちろん自分の人生の中には、大半がケガで苦しんだりとか。大半がリンクなくなって練習できなくなっているとか。本当にそういう苦しみがたくさんありましたけど。でも、うん。なんかこうやって今生きていて、みなさんの前でしゃべって、誰かの前で演技をして、どっかの誰かが自分の演技を見て何かを感じ取って下さっているっていう瞬間が本当に素敵だなって思えるので。そのことの幸せを常に感じていたらいいなって、なんか自分の中では思っています、今」
――今後も仙台で調整するのか
「そうですね、仙台で頑張ります。たぶん。たぶん?(笑い)」
――取材が終了
「すいません、ありがとうございました。またよろしくお願いします、みなさん」
理論をしっかり理解したうえで、自分に合うようにトレーニング方法を確立した結弦くん。
私は今の結弦くんが
一番うまくて美しくて、カッコいいです。
ご覧いただき、ありがとうございました。
*画像は感謝してお借りしました。