感譚

日々感じたこと、ふと思ったことをつらつら。

超個人的音楽のすすめ宣伝

2020-07-20 22:35:16 | 日記
僕は音楽が好きだ。

本当にいろんな音楽を聴くし、聴きたいと思っている。
ロックも、ヒップホップも、ジャズやクラシックだって。

どんな音楽も聴かないうちに、自分には分からないとか、ハマらないとか決めつけたくない。排斥したくない。


そんな僕が、本当に個人的に好きな音楽をこれから紹介していきたいと思う。


音楽はもう生活に根付いていて、音楽なしでは、イヤホンなしでは生きていけない人が多いのではないだろうか。
電車に乗っていても、ほとんどの人がイヤホンをつけ、youtubeでアーティストのLIVEを見ていたり、音楽を楽しんでいる。

今の時代、音楽が溢れている。


やろうと思えば、自分で曲を作ってストリーミング配信できる時代。
よくよく考えてみればすごい時代だ。
昔から考えれば、自分で音楽を作って世界中の人々に聴いてもらえるようになるなんて夢のようだろう。


こんな時代で、人々は日々新しい音楽を求めている。
ハマっては飽き、ハマっては飽き。

もちろん僕も日々新しい音楽を探し求めている。
けれど、なかなかビビっと来る音楽には巡り合えない。


こんな背景もあって、じゃあ僕がおすすめの音楽を紹介していけばもしかして、気に入ってくれる人がいるかもしれない、との思いで紹介していこうと思った次第だ。

紹介していく音楽は、僕の超個人的な趣味で選んでいくので、すごく有名な曲も紹介するかもしれないし、全然知られていない曲かもしれない。
邦楽かもしれないし、洋楽かもしれない。
でもそんなことは問題じゃあない。

どんな曲でも、ハマってくれる人がいると信じている。
新しい音楽との出会いのキューピットになれたら、幸せだ。


勉強しなくていい方法

2020-07-19 22:00:54 | 日記
勉強しなくていい方法。

そんなものが存在するなら、誰も勉強しないよ、とそう思うかもしれない。
確かにその通り。


しかし、僕は、”机に向かって”勉強しなくても、得点を伸ばす方法はあるのではないか、と思っている。
長時間勉強しなくてもいいんじゃない?ということである。
勉強するか、と意気込んで机に向かっても、気づけばスマホ、漫画、落書き…。
なかなか捗らないものだ。


では、”机に向かわず”勉強する方法とは、いったい何なのか。


ズバリそれは、日常生活の中で思い出すことを心がける、ということである。
勉強、というと机に向かって、手を動かしてするものだという勝手な意識がある。
が、別にそんなことはない。

もちろん、目で見て、考えて、自分の手を動かしながらする勉強が一番良いのかもしれないが、なかなかそこまでにたどり着かないのが実のところだ。


だから、別に机に向かわず、ふとした時に思い出してみる。
とにかく思い出す回数を増やす。

2乗ー2乗の因数分解ってどんな形になるんだっけ。(a^2-b^2=(a+b)(a-b))
obtainの意味は何だっけ。(獲得する)
享保の改革をしたのは誰だっけ。(徳川吉宗)
詩聖は誰で詩仙は誰だっけ。(詩聖:杜甫、詩仙:李白)
リチウムの炎色反応は何色だっけ。(赤色)
などなど…。


人間の集中力は、長い時間持たない。
だから、長時間机に向かって勉強しようと思わなくていい。
気力を使うし、効率もよくない。

その分、思い出す回数をとにかく増やす。
電車に乗ってるとき、登下校の時間、お風呂に入っているとき、歯を磨いているとき。
時間は案外たくさんある。
そして、思い出そうとして思い出せないと、かなり気になる。
そこで、調べる癖もつく。


自分の好きな歌を覚えようとするとき、長時間聴きっぱなしで、紙に歌詞を書いて覚えようとするだろうか。
あまりしない気がする。
それよりも、何度も何度も聴いていると自然と覚えるものだ。

これと同じことで、何度も繰り返し思い出すことで、脳に定着していく。
長時間やること、よりも、繰り返しやること、のほうが大切だ。


もちろん、頭の中で複雑な計算や国語の長文問題を解くことは難しいので、それは頑張って机に向かって、手を動かしてやらなければいけない。
だが、思い出すことを繰り返すことで少しでも、勉強のハードルが下がる、勉強に対する意識が変わるのではないだろうか。

もし、なかなか勉強に向かえない、定着しない、と悩んでいる人がいれば、一度試してみてはいかがだろう。

スマホ恐怖

2020-07-17 22:00:44 | 日記
新型コロナウイルスが流行したこともあり、家にいる時間が増えた。
そうなると必然的に、スマホを見ている時間が長くなる。


現代人は、スマホから逃れることはできなそうだ。
何をするにもスマホが基盤になってくる。スマホのない生活など考えられない。


がしかし、最近スマホによる悪影響を感じるようになった。

まず、疲れ。
スマホが普及して、人間の目もそれに対応するようにはなったのだろうが、やはり限界がありそうだ。
頭痛や耳鳴りがひどい。
瞼がぴくぴくと痙攣し、鼓膜も震えている。あのどうしようもない、自分の意思とは無関係に起こるイヤーな現象だ。

そしてストレス。
スマホを見ていると、否が応でもとんでもない情報量が目に入ってくる。
頼んでもいない情報量のせいで、見たくなかったものを見たり、友達の投稿に神経をすり減らしたり…。
特に今の時代、悪いニュースばかりが広まるし、twitterを開けば、誹謗中傷の嵐だ。
少し目を通すだけで気が滅入る。

さらに、記憶力・集中力の低下。
集中しているようで、していない。どこか集中しきれていない瞬間が増えてきた。
本を読んでも、勉強していても、同じことを繰り返し考えてしまったり、内容が全く頭に入っていなかったり。
集中したいのに、できていない自分がいる。


スマホすべてが悪だ、と言うつもりはさらさらない。
僕も、スマホの恩恵をこれでもかと受けているし、手放すことはできない。

一方で、スマホがない時代に生まれてきたかった、と思う自分もいる。
スマホは、その圧倒的な情報量と引き換えに、他人の存在を身近にしすぎた。
自分と、自分だけと向き合う時間を引き裂いた。


スマホという文明の利器に支配され奴隷になるのか。はたまた、自分を律してスマホを従え、恩恵を受けるのか。
あなたはどっち側の人間か。

校則転換期

2020-07-16 21:36:28 | 日記
今、校則でのツーブロック禁止が議論を呼んでいる。

教育に関心を持つ僕としては、嬉しいことだ。
もっともっと、世間が教育に対して、関心を持てばいい。
どんな些細なことでも。塵も積もれば山となるのだ。


僕の中学校でも、ツーブロックは禁止だった。
大体の中学校は、ツーブロック禁止なのではないだろうか。
ツーブロックのほうがかえってスッキリしていて良さそうなものだが。
事件や事故に巻き込まれるのかは知らないが…。


あなたは、この話題に対してどう思うだろう。

僕は、髪型に限らず、ほとんどの校則はいらないと考えている。
そもそも校則は何のためにあるのかを考える時期が来ているだろう。
様々な理由は考えられるが、少なくとも子どもたちを縛るための物ではないはずだ。
校則は拘束じゃない。


校則は、学校の生徒会で決められるところもあるのだろうが、ほとんど学校側が一方的に決めているのが現実だろう。
ツーブロックはダメ。靴下は白。ジャージの半袖はシャツイン。セーターを着るときはブレザーも着る。etc...。
僕にはこれらを何のために校則にしているのかよく分からない。


集団生活には、統一感が必要だという人もいるが、もっと大切なのは、違いを受け入れる心だ。



子どもたちの多くは、大人に反抗して校則に反対するのではなく、なぜその校則があるのか、どうしてダメなのかが不明瞭だから拘束に疑問を持つ。
大人側はなぜか知らないが、流行しているものを理由も考えず禁止にしたりする。
どっちのほうが大人だろうか。


今必要なのは、不必要な校則ではなく、子どもが自分で自分のことを考える力、周りのことを考える力、自分の決定に責任をもつことだろう。

だから、子どもに校則を決めさせればいいのだ。
子どもが自分で、道を選び、その結果不利益を被るのは、仕方がないことだ。その責任は、その子どもにある。

今大人がやるべきことは、それを子どもに伝えること。そのうえで、子どもの意思を尊重することだ。


ニュースで、コメンテーターが、ツーブロック禁止の校則に対して、
社会に出れば理不尽なことはたくさんある。その理不尽なことに付き合っていく訓練だ。
というようなことを言っていて、少し怖くなった。

理不尽なことは確かにある。それはどうしようもない。
だがそれに耐えるしかないのか。
”理不尽”に声を上げ、変えていく方法を摘み取ってはいないか。


今回のツーブロック禁止の話題は、学校現場を取り巻く違和感のほんの一部でしかない。
だが、それでも大きな一歩だと感じる。
多くの人が関心を持たなければ、今の凝り固まった教育は変わらない。
教育に変革を起こそう。

幸せな記憶

2020-07-15 22:28:51 | 日記
僕は、あまり幸せな記憶がない。

というのも、何か昔のことを思い出したときに、いい思い出よりも、圧倒的に恥ずかしい思い出や嫌な思い出が頭の中に充満してくるのだ。
嫌いだった先生の顔や、好きな子に告白して振られたときの悲しさ。
思い出したくもないことを思い出して、一人悶々とする。


楽しい時間は一瞬で過ぎ去り、逆につらい時間は1分が1時間にも2時間にも感じる。
それと同じことが、人の記憶でも起こるのではないか。


とても嬉しいことがあったり、幸せな出来事でも、僕たちの頭は、結構すぐに忘れてしまう。
幸せなことは、あまり覚えていないものだ。

逆に、辛かったこと、不幸せなことは長い間頭に残る。
忘れたと思っていても、ある時ふとフラッシュバックする。
思い出しても、変わることのない記憶。
やり場のない、苦々しい記憶。


だから、失恋の記憶はずっと長く残るし、付き合いたての最初の幸せは短いうちに薄れていってしまうのかもしれない。

もちろん、人によって個人差はあるだろう。
僕は、結構この性質が強いのかもしれない。


楽しいことはずっと頭に残っていて、辛いことは一瞬で忘れられたら。

世界はよりよくなるのだろうか。

みんな笑顔になれるのだろうか。

自分はあまり強い人間じゃない。
浮き沈みの激しい人間なので、大したことじゃあないことも引きずったり考え込んだりする。


でも、だからこそ、辛い記憶を忘れないからこそ、それを糧に成長している自分もいる。

無理して強い人間になる必要はない。
辛い記憶が甦ることが、なくなることはないだろう。

それでも、楽しい記憶:辛い記憶=8:2くらいで暮らしていこう、と心に言い聞かせて。