「薪能、行こう」
妻がひと月ほど前に突然きりだした。
利根川水系の運河の川原に特設の能舞台が設けられ、
薪能が執り行われるというのだ。
それが、住んでいるところの隣の駅。
これは、もう行くしかないだろう。
さっそく、申し込むことにした。
S席はすぐにいっぱいになっているとのことで、
チケットが取れるかどうかが心配だったが、
うまいことチケットは確保できた。
残る心配は、当日の天気だ。
そして、訪れた開演の日、6月9日。
数日間不安定な天候が続いていて、天気予報は夕方から雷雨。
とはいえ、くすぶりがちだった天気も、
当日は、朝から晴れていてこれならいけると期待した。
もし、開演途中で雷を伴った雨になっても、
それはそれで一興と思っていた。
フジロック・フェステバルで経験した、
ビョークのステージのバックに雷光が走る様は、神々しくさえあった。
また、伝説の
グランドファンク・レイルロードの後楽園コンサートも、
雷を伴った雨の演出がなければ、
語り継がれた感動も今ほどのことはなかったはずだ。
もともと神事である能に、神の声が鳴り響き能にシンクロするならば、
それはもう、よろこばしき吉事ということではないか。
晴れた空に期待に胸を膨らませながら会場へと向かった。
最寄の駅では、係りの人が、
雨天の際に予定されていた、近くの大学の講堂での実施を告げていた。
うーむ、憎むべきは穏便なる近代市民主義者め。
当初より、実施当日の朝、降水確率20パーセントを超えた際は、
室内での実施を決めていたとのことを、恐縮しながら話していた。
ということで、始まったお能。
高校生のとき、学校の体育館で鑑賞さ・せ・ら・れ・て以来だから、
ほとんどはじめての経験といっていい。
仕舞「経政」「山姥」 狂言「蚊相撲」 能「黒塚」
いちおう、予習で演目
のあらすじと能楽の概略を仕込み、
以前から読みたいと思っていた
「風姿花伝」を読んでいった。
狂言はほぼ理解できたし、コミカルな動きのある舞台で楽しめた。
能はすじがきは概略つかんでいたが、せりふはほとんど聞き取れず、
視覚的な印象のみが刻み込まれた。
よく言われることではあるのだろうが、
静かな運びの動作なのに、それとは裏腹に大きな動きを感じた。
「黒塚」の鬼女と山伏たちのたたかい(祈り)は、
すさまじく躍動感溢れるものだった。
また、囃子方、地謡の入場の際の地を這うような静かな動きと、
背景の大きな影が印象的であった。
(この影は、トーキングヘッドのライブ映像、
「ストップ・メイキング・センス」の影の使い方を思い浮かべた。)
それを思うに、返す返すも野外での薪の照明で、
運河の水面に揺らぐ炎と、大きく揺れる影のなかで、
鑑賞できなかったのが残念でならない。
「黒塚」が始まって、しばらくすると激しい雨音がし雷も鳴りはじめた。
恐縮しきりだった主催者は、してやったりとほくそ笑んでいたであろう。
会場を出るころには小雨となり、
家までの30分ほどの道のり歩いて帰ることにした。
その道すがら、矢来の能楽堂かどこかのお寺さんでやる
薪能に行こうと話しながら余韻を楽しんだ。