私はどうにも淋しくなったら、例えば、高橋たか子女史のエッセイ集を手にする。たまたま開いたページに、まるで私に読まれるのを待っていたかのように、そこに言葉がある。
遠い昔を思い出そうとすると、私にとって浮かんでくるのは、常に風景である。しかも、おびただしい風景である。
そういうものの一つとして、ひっそりとした石畳や土塀が見えてくる。広大な面積をもつ妙心寺には、四十七もの塔頭(たつちゆう)をつなぐ土塀がながながと続き、土塀と土塀との間に石畳道が曲折しながら続いていた。そういうところを歩いていると、坊さんか寺の住人らしい人のほか、ほとんど人に出会わない。しらしらと人気なくて、どこまでも歩いていきたい道であった。(「妙心寺」)
遠い京都の、私では見つかるまいと思われる妙心寺の風景が、時空を越えて迫って来て、私は充たされる。
京都に生まれ、幼時にお寺で遊び、人嫌いな感受性の鋭い人となり、大学生のとき高橋和巳に出会い結婚し、デカダンなその人に誠実な妻として何年か尽くしつつ鎌倉に棲み、あと京都に行く夫には付いて行かず、孤りに徹し、沢山の小説を書き、各所に発表したエッセイを集成した『記憶の冥さ』という珠玉の文集を遺して行かれた。
私にとって高橋たか子女史は、なによりも読書の面白さ知らせてくれる人である。
書き過ぎることが嫌いな私の、ゴツゴツしているとも思える文章を読み直して、我ながら感動もする。
私も歳を取ったからか、誰かが言っていたように「歳月は慈悲をもたらす」ものであるからか、私は確かにこれまでになく歓びを味わっている。
例えば、「世界、うつくし我らが世界」と、まだ耳が聞こえていた頃歌った母校の校歌を思い出し、たちまち耳鳴りとなって繰り返す「うつくし我らが世界」という歌詞と節の美しさに改めて驚く。
二十代のころ、初めてリルケの『若き詩人への手紙』(新潮文庫) を読み、その中の次の言葉が大変私の心を打った。高安国世の訳文も新鮮だった。
もしあなたの日常があなたに貧しく思われるならば、その日常を非難してはなりません。あなた自身をこそ非難なさい。あなたがまだ本当の詩人でないために、日常の富を呼び寄せることが出来ないのだと自らに言いきかせることです。というのは、創作する者にとっては貧困というものはなく、貧しい取るに足らぬ場所というものもないからです。そしてたとえあなたが牢獄に囚われの身になっていようと、壁に遮られて世の物音が何一つあなたの感覚にまで達しないとしても――それでもあなたにはまだあなたの幼年時代というものがあるではありませんか。あの貴重な、王国にも似た富、あの回想の宝庫が。
日頃の私の《童心への志向》に文学的確信を持ちたかった意味でも、このリルケの言葉が心強かった。
私は絵画的なものより音楽的ものに惹かれる。私の文章はリズミカルだと弟に言われている。でもあまり調子づいているとも思われたくなくて、適当にぎこちなくしてみたりしている。
ロシアのプーチン大統領は、どうしてこんなに狂ってしまったのだろう。
ここで思い出したのだが、この国にトルストイという偉大な作家がいた。中学生の時、この人の著した『イワンの馬鹿』を読んで、その平和的志向の思想に共感していた。転居で蔵書の殆どを処分したので、大事にしていたその本が今手元にないのが淋しくなった。岩波文庫のその本、アマゾンに注文して読み直そう。
腰痛、腹部大動脈瘤破裂 (間違いなく死に到るところの) などで2ヶ月入院してまだ死に切れず、無理に退院し、元のアパートに戻らず、縁あってささやかな老人ホームに直行し90日以上を経過した。10畳一間だが、なにもかも処分してさっぱりした一人暮らしには、充分の住いである。
これまでと違って、複数の人たちとの共同生活である。食堂で合えば挨拶する位で会話はない。必要以上に他人を煩わさないという暗黙の雰囲気があり、それが私にはいいようだ。
もう少し自由な時間が欲しいし、ホーム暮らしの制約や規則に不満もあるが、我慢する他はあるまい。それに私はもう行くところがないのである。
改めてこの人生を見直している。とにかく私は、人生には意味があると信じてここまで来たのである。
それでも悟れなくて、やや焦りから今頃若い頃読んで感動した岩波書店発行物や、角川文庫のラッセルの『幸福論』などを改めて開いている。年の功で読みが深くなったからか、早くからもっと身を入れて読めば良かったと悔やまれるが、これが私の限界と諦める他はない。