聖書と共に

朝の祈り ④結果

今日は「朝ごとに主を待ち望む」(蔦田二雄)
からです。
朝の祈り(密室祈祷)の営みが規則正しく、継続
的になされていて、自分の生活の一部分となる
様な道をたどっている人の結果は極めて大きい

ジョン・ウェスレーは朝4時に起床、ハドソン
テーラーは中国大陸で太陽の出る前から祈る。
マルチン・ルターは毎日3時間近く祈る。
全ての教会歴史の聖徒達は、生涯において
(一気ではなく、徐々に)こうした習慣を身に付
けていきました。元々、習慣というものは一気
に付くものではありません。

長い間、同じ事を、繰り返す事によって、身に
付くものです。ですから良い習慣は貴重なもの
です。

デボーション(devotion;祈りや静思に専念する
事)
敬虔なデボーショナルな行為のみがデボーショ
ナルな生涯と品性を形成する。私の習性とか
習慣とかは積み重ねられ、継続された一つの
行動の集積です。デボーショナルな品性とかは
日々、神の栄光の為だけに生きる生涯の事を
言います。思想ではない。その様な心根が出来
てくるのです。

しかし、その人が普通の社会生活をしたり、交
わったりする中で、禁欲主義的な生活態度をと
る事ではありません。
モーセは、そうした能力がありながら、彼は民
の一員になりました。民の悩みはモーセの悩み
でした。
神様がモーセに語った提案、民は頑固
だから、もう滅ぼしてしまって、あなたを立て
て、あなたから新しい民族を作るという提案は
モーセには承服出来ないものでした。
モーセは、私の名を命の書から消し去って下さ
い、この民は救って下さい、と祈ったのです。

ここに、民と全く違う世界に生きていながら、
民と全く一つになっているモーセを見ます。
本当の神様との交わりから生じる、物の考え方
や品性、高い霊的レベルは、こうした結果を
もたらすものなのです。

誰とも友好的で、付き合いやすい、友達をたく
さん持つことが出来るバランスのとれた人物で
ある事は、大切な事だと思います。

ただ意味もなく、あるいは深く意味を考えない
で「神様」と言っている人が、神様を本当に
確認する様に、心のうなずきをもって、とらえ
る様になる。その様に変わってきます。これは
教育によってでは出来ません。これは、神様と
の霊的な交流と営みが深められる以外には、
期待できないのです。すなわち、聖霊の働きに
他ならないからです。

私は、人間の弱点というものは、これは私の弱
点だから、生まれつきだからと言って許してお
くのがホーリネスだと思いません。それによっ
て神の栄光が傷つけられ、神の証が損なわれ、
進まないとするならば、それは邪魔物なのです

神様の前に告白して、本当に取り除いてほしい
と思うならば、祈って、聖霊によって克服し、
占領するのが、きよめの生涯だと思います。
「攻めとりがたき町は一つもなかりき」という
み言葉をよく引用します。そこにもって行かな
いで、これは私の性格で仕方がないとか、これ
は生まれつきだとか、その様な事を言っていた
ら、きよめられているのか、きよめられていな
いのか、分からない様な者達が増えてきます。
私は他人の、そうした弱点を理解しなければな
りませんが、自ら許容してはなりません。

神と共に歩む事を会得した者が、日に日に、
変わっていかないという事はありません。

神の愛に対する確信(コンフィデンス)。
「凡ての事は相い働いて益となる」神は私の為
に最善以外は、成したまわないお方との確信が
途切れない事です。

祈祷会が盛んであるか、どうかと聞くと、では
盛んになる方法は何ですかと聞き返してくる。
方法ではない。伝道者自身が祈りをもっと知り
祈りの人になる以外にはありません。
音楽を知らない人が、音楽会を盛大にしようと
しても出来ないのと同じです。



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