聖書と共に

弟子のユダ

まず、「ペンテコステの祝福」(アンドリューマ-レ-)
の記事から、ご紹介します。
「彼らの信仰には、弟子達に特有な、主イエス
との個人的関係、主に対する内なる愛、最良の
親しき友とて、又、最愛の主としてのイエスと
の全く自然な結び付きが欠けているのです。

しかし、つぎの事こそ、絶対に必要なものです
それは、主イエスに全く占領された心、主にのみ、より頼む心です。その様な心のみが、聖霊
の満たしを期待する事が出来るのです。」

ここから「ヨハネ福音書講義下」(バックストン)です。
「私があなた方を愛した様に、あなた方も互いに愛し愛なさい。」
 私達が自分を低くするならば、人から、どの
様な報いを得るでしょうか。その謙遜が偽り物
なら、それによって名誉を得ようと思うでしょ
う。
けれども、真の謙遜は、そういう報酬を待ち望
みません。主は、12弟子の足を洗われました。
それにより、どんな報酬を得られたでしょう。

弟子の一人が主を売ります。もう一人は、主を
知らないと言います。残る10人は苦難の時に
、皆、主を捨てて逃げてしまいます。ですから
謙遜と愛は、そういった報いを耐え忍ばねば
なりません。

弟子達は、主を裏切る者がユダである事がわか
りませんでした。ユダは長い間、主に従いまし
た。主の言葉を聞きました。主の行いを見まし
。主と共に食事をしました。たけれども身も魂
主に捧げていませんでした。

主イエスは愛です。ユダは3年間、完全な愛の
光の中で生涯を送りました。その為に、心が
溶かされたでしょうか。そうではありません。
その時まで心は頑なでした。この事によって、
人間の生まれつきの姿の恐ろしさがわからない
でしょうか。

主は、終わりに至るまでユダを愛されました。
主は、最初にユダと他の弟子達の足を洗われま
した。ユダはそれに負けなかったでしょうか。
ユダは最後まで勝ちました。これは恐ろしい事
ではありませんか。

「サタンが彼の中に入った」神の愛を拒んだ為
に、ユダはサタンに居場所を与えました。
「すでに夜であった」ユダは闇に出て行きまし
た。



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