聖書と共に

プロテスタント教会の一つの歴史

①ジョン・ウィクリフ(1324~1384年) 英国
  彼は当時のカトリック教会の腐敗を指摘し
 神の前での平等を説いた。当時は聖書は
 ラテン語で書かれ、聖職者しか読めなかった
 ウィクリフは聖書の英語翻訳を行った。
 聖書だけを信仰の根拠にした宗教改革の先駆
 的な人であった。なお現在でもウィクリフ
 聖書翻訳協会がある。

②ヤン・フス (1369~1415年) チェコ
  彼は、ウィクリフに共感しチェコ語に聖書
 を翻訳し、聖書信仰を説いた。
 カトリック教会は1411年に彼を破門にし、
 火刑にした。没後、500年後1915年にヤン・
 フスの銅像がプラハに建てられた。
 スメタナの我が祖国「モルダウ」の5曲目は
 フス派の歌った歌が入れられている。

③マルチン・ルター
  彼は、元々、カトリックの修道僧であった
 が苦行や儀式などではなく、信仰によって神
 に受け入れられる事を説いた。
 1517年に宗教改革を行った。当時はグーテ
 ンベルグによる印刷技術の発展により、世に
 広く知られ、又、聖書も多く出版された。
 なお、ルターから100年後のJ.S.バッハは
 ルター派の敬虔なキリスト教徒でした。

④モラビア兄弟団
  1722年、チェコのモラビア兄弟団は、
 カトリック教会から逃れドイツの
 ツイツエンドル伯爵の地で庇護されます。
 彼らはフス派のヘルンフート(主の守り)と呼
 ばれ共同体を作る。
 1735年、ジョン・ウェスレーがアメリカへ
 渡航中、船が嵐に遭遇。ウェスレーは自身
 宣教師でしたがは不安でしたが、その中で
 平安を保ち、神様を讚美しているモラビア
 兄弟団に出会います。
 ウェスレーは彼らと交わりを深めます。

⑤ジョン・ウェスレー (1703~1791年)英国
  1738年、英国でウェスレーはモラビア
 兄団の宣教師ピーター・ベーラーの説教を
 聞いている内に、ローマ人への手紙の信仰
 義認の確信を得ました。
 ウェスレーは、その後、メソジスト運動の
 創始者になります。モラビア兄弟団の敬虔
 主義は、メソジスト運動に影響を与えた。

 なお、青山学院大学の正門の銅像は、この
 ジョン・ウェスレーです。

 日本でウェスレーの流れをくむ団体は
 インマヌエル綜合伝道団 等です。

 



  

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